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ようこそ、まめちゃん。

いつからだったんだろう。
Instagramに並ぶ友人たちの赤ちゃんの写真を可愛いねえ、という気持ちだけで見れなくなってしまったのは。

彼女らの作る美味しそうな料理とか、心動いた素敵なお店とか花や空の写真とか。
それらから垣間見える日常への眼差しが好きだった。

しかしその内の何人かは子どもが生まれてからかなりの頻度で更新されるのは、我が子の写真一色になった。

そりゃあ1日の大半は育児になるし、関心ごとだって何よりもまず愛しい我が子のことになるよね、なんて頭で理解しながらも、
あなたの日常は子どもだけなの。
なんて思ってしまうわたしもいて、なんて性格がひねくれてるんだ、と自分に嫌気が差した。

友人たちから直接やネットを通じて、妊娠や出産の報告を受けて、「おめでとう!」という祝福の気持ちは本物。けれどどことなく置いていかれるような悲しい気持ちになるのも事実で。

虐待などで赤ちゃんや子どもが犠牲になる痛ましいニュースを耳にすれば、こんなろくでもない親の元じゃなくて、わたしが育てていれば彼らは幸せに生きれたかもしれないのに!なんて事情も知りもしないくせに、ただただ憤った。


わたしは未熟な人間で、まだ母親になる資格がないから授からないのかもしれない。
我が子を胸に抱くことなく、ずっとこのままだったらどうしよう。

そう塞ぎ込んで枕を濡らす夜があるかと思えば、まだまだしたいことも沢山あるし今すぐに妊娠を望んでいると言い切れないんだから、しばらく先でもいっか!なんてお気楽に様々なことを楽しめるときもあって。


そんなシーソーのように揺れる日々を過ごしてしばらく。

「なんかおる気がする。いやこれはなんかおる…!!」
直感的なものが脳裏をかすめた。
しかしこの予感、過去にもあったのだけれど見事に外れてしまったので、全くあてにならない。期待して外れると悲しいので、あまり期待はしないでおいた。



でもさすがに、昼食前に唐突にやってきた吐き気は、これはもしかして…??と思わずにはいられなかった。いざ、前日食べた焼肉の肉の生焼けによる食中毒か、喜ぶべきあの兆候か。


そして緊張しながら見守った妊娠検査薬に浮かび上がった2本の線。
やっぱり!という安堵とついに、という喜び。けれど喜びに浸りきれたわけではなかった。
子宮外妊娠といって、赤ちゃんが育つことができない場所で受精してしまった場合も、妊娠検査薬は反応するようで、妊娠検査薬だけで妊娠を喜ぶにはまだ早いらしいから。

翌日わたしは早速、近所の産婦人科に赴いた。幸いこれまで大きな婦人科系のトラブルがなかったこともあり、初めて足を踏み入れる産婦人科。

少しばかり緊張しつつ受付を済ませる。
待合室にて椅子に腰かけるずらりと15人ほどの女性たち。夫についてきてもらうか悩んだが、来たら居心地の悪い思いをさせていただろう。お家にいてもらっておいて良かった。

この日居合わせたのは、わたしよりかなり若そうな人から、40歳過ぎくらいの人まで。
婦人科系のトラブルかもしれないし、不妊治療かもしれないし、妊婦検診かもしれない。

それぞれ抱えているものは、様々だ。
みんな、どんな気持ちでいるのだろう…とそんなことをぼんやりと考える。

持参した本の半分を読み終えるくらいの結構な時間待った後、ようやく受付番号が呼ばれた。

婦人科検診を受けたことがある人ならわかってもらえるだろう、あの脚がぱっかーんと自動的に開くあの椅子。例にももれず、ぱっかーんと開かれるが、無の気持ちでベテラン女医さんにされるがままである。
さすがに、いきなり冷たい金属のようなものを入れられたときは、ぐえっと蛙のような声をあげてしまったけれど。

「たいのう」と呼ばれる赤ちゃんの入っている袋が見れるらしい、ということは来る前に予習済み。無事にそれが存在するのだろうか、とどきどき。

「妊娠されてますね、おめでとうございます〜。」
と女医さんに言われ、モニターに目をやる。


確かに丸っこい空豆のような黒い影が見えた。
うれしい、という感情より先におお、わたしのお腹の中にこんなのがいるのか…。
と何とも不思議な気持ちになった。それからじわじわと良かったなあ、ちゃんと妊娠していて…と胸を撫で下ろす。

しかも、ここで聞こえた予想外の言葉。
「心臓動いてますよ〜。」

「えっえっ。し、心臓?ど、どこですか?!」
と首を伸ばし食い気味にモニターに見入るわたし。まさかもう心臓が見られるなんて思ってもみなかった。

どれが心臓なのかなかなか分からなくて、やきもきしていると看護師さんは、
「ほら、このちょっと動いているところ〜!」
と指で示してくれた。

ちかちかしている。

ほんの豆つぶみたいに小さいのに、画面の向こうで、小さく点滅しているものがある。

こんなにこんなに小さいのに…!
こうやって命が始まっていたんだなあ…。
そんな小さく、でも力強く点滅するちかちかを見ているとなんだかふいに泣きそうになった。


まめちゃん。


気付いたら病院からの帰り、お腹に宿った命をわたしはそう呼んでいた。いわゆるお腹の中にいる赤ちゃんの愛称、「胎児ネーム」というものになるのかもしれない。

胎嚢を見たときの「うわ、空豆みたい。」という驚きが由来なのか。
あるいは心拍を確認したときの「豆粒みたいなのにすごい。」の感動が由来なのか。
両方なのかもしれない。

…ごめんよ、単純なママでさ。

この日からまた、Instagramに並ぶ友人の赤ちゃんたちの写真を、また前のように可愛いねえ…と純度100%の愛おしい気持ちで見れるようになった。
なんなら、いいねボタンを押したりコメントまでしたりといつの間にか積極的にアクションをしている自分もいる。

順調にいけば、自分もいつか我が子に会えるという希望と妊娠できないのかもいう不安が取り除かれた安堵が、より一層赤ちゃんの愛らしさに拍車をかけたのだと思う。


つくづく、なんてわたしは単純な人間なんだろう。


わたしの中のまめちゃん。

元気に誕生することができたら、与えうるかぎりの愛情と環境をあげるからね。
どうか、このまま無事に育って。


その日の夜は、普段はあまり意識することのない神様に強く強く祈った。



………………
これは妊娠が分かった当時書いたもので、
今はようやく無事安定期を迎えることができました!!!!
今日から6ヶ月です。
つわり、妊娠中の仕事、しんどい中でも美味しかったものなどそれはそれは色々下書きに積もっております(笑)
また追々投稿しますので、良ければお付き合いください〜〜。

#妊娠 #妊娠中期 #エッセイ部門

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