春
お金はエネルギーであるという話を聞いた。若いお母さんが夕飯の材料をスーパーで買うとき、お金は家族への愛情のエネルギーを帯びる。色で言うと優しいピンクだろうか。習い事を始めるとき、目的が友達作りであれば、お月謝のエネルギーは楽しい黄色かもしれないし、ライバルに勝つためであれば、その色は真っ赤に燃えているかもしれない。
かつて恋した人との食事では、お金は何色をしているだろうか。
彼は昔の職場の同期だった。親友、相棒、腐れ縁。どの言葉が妥当か分からないが、恋人だったことは一度もない。身体に触れても、その問題に触れないのが二人の暗黙のルールだった。
私と彼には共通の趣味があった。軽登山のサークルで、彼はその代表だった。彼が怪我で休会していたこの数ヶ月、私は代理を務めていた。彼の復帰が決まり、私たちはカフェで打合せをしていた。ガラス張りの店内に午後の陽射しが差し込んでいる。春分を過ぎ、太陽は強さを取り戻していた。
彼は迷惑をかけたお礼に、私にディナーをご馳走したいと言った。彼は私が了承するのを待っていた。彼の誘いを断ったことはなかった。私は視線を落とした。カップには一口分のコーヒーが残っている。私は息を吐いた。答えは決まっていた。
「お礼はみんなで食事にしよう。」
彼は少し目を見開いて、いいねと小さく微笑んだ。私はコーヒーを飲みほした。
復帰祝いは盛会だった。一人五千円の寄せ鍋コースで計八名。私が六千円、彼が一万円を出し、他のメンバーは四千円。彼の会費は私に五千円のディナーをご馳走したのと同じだった。
会費は事前に集めていたが、彼の分だけまだだった。私は会計を済ませると、参加者を駅まで見送った。改札の前で彼は会費を渡してくれた。駅の照明が彼の顔を逆光で隠した。私はお疲れ、またねと言って駅に背を向けて歩き出した。若草色の長財布に彼の会費をそっとしまった。一万円の新札は、淡い桜の花の色だった。
「100人で書いた本~1万円篇~」(キャプロア出版) に収録 https://www.amazon.co.jp/dp/B07CB42TF2/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_VY1cDb094SR6X