寝転んで見た空
長野県に住んでいた頃、農家のMさんという男性から声がかかり、田植えのお手伝いをすることになった。Mさんは60代の後半で、お米から野菜から何でも作る大ベテランの農家さんだ。
通常、Mさんのところの田植えは機械で行うが、今回私たちがお手伝いをする田んぼだけは、あえて長年、手で植えている。毎年、東京の大学から学生たちも参加するそうで、若い人に田植えを肌で感じてもらうための試みのようだった。
朝、田んぼに集合すると、二十人近い人が集まっていた。近所の見知った人も何人かいるが、半分以上は若い学生たちだった。田んぼには水が張られ、水面が光っていた。
各自の担当場所が割り当てられた。私は端の方だった。Mさんと奥さんが、苗の束を配って回る。受け取った苗の束は、肩から下げた厚めのビニール袋に入れ、そこから少しずつ取り出して植えるように、Mさんからレクチャーを受けた。
裸足で田んぼに入る。長靴でも良いのだが、脱げやすいのと、滅多にない機会だからというので、敢えて裸足を選んだ。足の指の間に柔らかい土が入り込む。にゅるっとして気持ち悪いような、気持ちが良いような、なんとも言えない感触だ。3歩ほど土の中を歩く。少しずつ慣れてきた。
ビニール袋から2本だけ苗を取り出し、水面下の土に押し込む。水の勢いで苗が流されないように、念入りに根元を押さえた。
田んぼの半面の田植えが終わった頃、昼休憩になった。お昼ご飯をみんなで食べ、自由時間になった。私はみんながいる田んぼから少し離れた場所に移動して、畔に腰掛けた。そのまま仰向けに寝転がる。空が眩しくて、慌てて目を閉じる。露で湿った地面が背中に触れて、ひんやりする。思い切って目を開けた。
青い空に、白い雲がゆっくり流れていく。大きく息を吸った。
草の匂いがする。額に当たる陽射しが心地よい。風が頬を撫でていく。
視線を感じて起き上がった。Mさんがこちらを見て笑っている。
「女性でそんなことをするのは、君ぐらいのもんだよ」
それから三年後。私は大阪の街中に勤めている。川が近く、都会の中では景観的にも恵まれた環境なのではと思う。
天気が良いので、外でランチを食べることにした。お昼休み、川沿いのベンチに座り、お弁当を広げる。空には筋雲が少しだけ見える。真っ青な秋空だ。
長野の田んぼで寝転がって空を眺めたことを思い出す。長野の空と大阪の空は、遠く離れていても、繋がっている。
嬉しくなって、ベンチに寝転がってみた。眩しくて、思わず目を閉じる。
背中が暑い。陽射しがきつい。とてもじゃないけど、目を開けていられない。
残念ながら、長野のような気持ち良さは、全くなかった。
それでも、と私は思った。
この空は、あの時の空と続いていることは、間違いないのだ。