「サボる哲学 労働の未来から逃散せよ」
「サボる哲学 労働の未来から逃散せよ」を読んでいる。
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000886582021.html
頭から強烈な本。機会があれば、立ち読みででも数ページ読んで欲しい。熱いような、熱くないような、謎の熱量で書かれる文章は面白く、引き込まれる。
私は、最近働くのがつらく、にもかかわらず、働くことから精神的にも距離をおけず、日々良き労働者であることに心血を注ぎ、できなかったことを悔やみ、削られる日々。
もっとサボったり、これでいい、と思えたり、限界まで頑張らないと生きていけないみたいなところから、脱却したいと思っていた。
そもそも、労働ってなんだ、サボるってどういうことだ、と色々思っていた時に、この本を書評か何かで見つけて、図書館で予約していた。
思ったより過激な本だったし、面白かった。これがアナキズムなのかー、としみじみ思うというより、ニヤリとしてしまう感じ。
労働、奴隷、動員、色々と自分は毒されてるな、と思う。すっかり資本主義の渦に巻き込まれてあっぷあっぷしてるんだな、と。
常に使える奴隷だとアピールし続けないといけない、という焦燥感に駆られていたのだろうか。
それ以外の生き方を知らないからこそ、駆り立てられるのかもしれない。
そして、病気でままならなくなったことによって、自分が使える奴隷ではなくなることに恐怖を覚えているのかもしれない。怖い。
いかに私たちがいろんなものに支配されているのか、手をかえ品をかえ、歴史を交えて教えてくれる。
支配から逃れるには、他者との思わぬ出会いで、思わぬ方向へ広がっていくこと。横へとずれていく。
中動態的、やるのではなく、やってしまう、身体が勝手に動く、そうして支配から逃れていく。中動態もアナキズム。
なんとなく、坂口恭平さんと同じことを言っているように思う。好きなことだけやる。自分の力で生きていく。これもまたアナキズムか。
誰かの所有物として生きるのではなく、自分を生きる。身体が動くままに。
私は本当に奴隷に染まっているように思う。今の私を打ち砕き、自分の生を拡充させられたらと思う。簡単な道のりではないと思うけれど。
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