「民藝の100年」展
気候が不安定で、体調も不安定だ。最近は本があまり読めず、なんとなくソワソワして落ち着かないので、出かける機会が増えている。
外に出ているなら元気そうですね、と言われるのだけれど、それはちょっと違っていて、体調の悪い時は、なにもせずぼーっとする事ができず、何かを打ち消すように活動的になる。
体調の一つのバロメーターとして、暇でいられるか、というのはあるかもしれないと思っている。
本が読めない時こそ、外に出てなぜかたくさん本を買ってしまったりしてしまうので、本が溜まってしまう。新刊の本屋さんに行くと危ないので、そういう時は、ブックオフや古本屋を巡ることにしている。
そんなこんなで家で落ち着いていられなかったので、前から気になっていた国立近代美術館の「民藝の100年」展に行ってきた。
この展覧会を見た私個人の感想をメモしておく。ちょっと雑。
民藝とは何か、という事だけれど、「民衆的工藝」の略で民藝。私の解釈では、日本におけるarts &crafts運動。人々の暮らしの中ではぐくまれた美。語弊があるかもしれないけれど、美や芸術を目的とせずに、暮らしや労働の場ではぐくまれてきた「用の美」「実用の美」。しかし「機能美」とはまた少し違う。
「民藝」歴史と、「民藝」の広がり(これは定義的にも、運動的にも)、現在に至る流れを丁寧に追っているもので、かなり見応えのあるものでした。
「民藝」ってなんだ?と思っている人もこの展覧会で、ああ、こういうものなのね、とある程度理解できるのではないだろうか。なんとなく、民芸品って、旅行した時のお土産的なものでしょう?と思う方もいらっしゃるかもしれないが、それとはまた似て非なるものでは無いだろうか。
言葉は正確に思い出せないけれど、「展示」「出版」「販売」の3つの柱のようなもので、ただ、愛でるだけでなく、それぞれが自立して文化を継承できるように後押ししたのは秀逸だなと。途絶えさせない工夫と努力。それでも生活様式の変化など様々な要因で無くなっていくのだけれど。
失われつつある、「地のもの」の美しさや独自性を見出し、それを守ろうと戦前、戦中、戦後と奔走した姿には頭が下がる。そういった努力の甲斐なく、いまもう失われてしまったようなものもあり、文化を継承し、守ることの難しさのようなものを感じる。
反面とても素朴な感想として、お金持ちの道楽の究極のものが「民藝」みたいな気がしてしまって、若干白けたところもある。でも文化は有力なパトロン無くしてはなかなか生き残れないのだなとも思う。そして、あの時代に世界の美を見てきた人たちだからこそ、いち早く「実用の美」の価値を知ることもできただろう、とも思う。
私は柳宗悦の本などはまだ手に取っておらず、不勉強この上ないのだけれど、芸術新潮の10月号「これからを生き抜くための民藝」だけ事前に読んでいった。これは読んでいってよかったな、と思う。
見終わって一息、となった時にすでに2時間以上時間が経っていて驚いた。かなり見応えがある。こういう展覧会の中にはベンチがあったりして休憩できるのだけど、ベンチがあったのは、第一会場と第二会場の移動の間のみで、会場内にはベンチがなかったように思うので、体力のある時に行くのをお勧めします。
ついてに常設展も立ち寄るとこれもまた面白い。個人的には丸木俊さんの「解放されゆく人間性」の絵がとても印象的だった。もうひとつタイトルは忘れてしまったのだけれど、着衣で口に手をあてている絵と対照的で、抑制と解放というか、印象的。展示されていた階が違っていたのがちょっと残念。丸木俊さんというと原爆や沖縄の絵の印象かと思うが、他にも絵を描かれているので一度観て損はないと思う。
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