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「傷を愛せるか」


「傷を愛せるか」を読んだ。

最近好きな本屋で見かけて気になったので、図書館で借りてみた。とても良かったので、最初に見つけた本屋で購入した。折に触れて読み返したいと思う。

淡々としているが、まなざしの優しさが文章に感じられる。それぞれの章もまた趣深い。違うときに読めばまた、違ったことを思うのかもしれない。

「預言・約束・夢」のガードレールの話が興味深かった。それがあるから、もしもの時も大丈夫、という機能的なものは当たり前だ。でも、それがあるから、安心できて、できることがある、いつも通りに行動できる、というのはあまり考えたことはなかったけれど、確かにそうだな、と思った。いわば、お守りである。私は頼りにされるとめっぽうダメになってしまうので、ガードレールのすごさをしみじみと感じた。期待に応えられる頼りになるやつ。

「ブルーオーシャンと寒村の海」も平たく言えばブルーオーシャン、レッドオーシャンの話。でもこの話を読んで思う。ブルーオーシャン、寒村の海を一人で泳ぎ続けられる強さを。他者のほとんどいない広い海を泳ぎつづけるってどういう気分なのだろう。

「傷のある風景」には、感情を揺さぶられた。誰しも抱えている傷は大なり小なりある。その大変さはその人にしか分からないし、比較されるものでもない。その時手酷く痛いものでも、思ったよりも簡単に治るものもあれば、長年化膿して持ち続けるものもある。

私はその傷を見ないようにして、忘れてしまえば、それはいつか癒えて無くなっていくだろうと思っていた。めでたくすっかり忘れてしまっていて、今やなんで傷になったんだっけ、と思い出せないが、確かに傷は何十年と残ってしまっている。

傷があることを認め、受け入れ、傷のあるまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。

そろそろ、そうする時期かもしれない。傷ついた理由なんて思い出さなくていい。ただ、認めて、受け入れて、いたわること、それが必要なのだと思う。それに踏み出せるということは、今、自分が以前より安全な場所にやっとたどり着けたかもしれない、ということかもしれない。

読むと少し心が軽くなるような、爽やかな風が少し吹いてくるような、そういう感じがする。傷かあっても、なくても、大きくても、小さくても、何かを感じることができる本だと思う。



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