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短編小説:植物人間(短編集・春愁町3)

https://note.com/6016/n/nefe44e217448

こちらの短編集の3つ目の作品です。すべてが環になった地続きの世界での物語です。春の優しいと言うよりはすこし哀しいです。思春期の男の子て大変やろなて、書いてて思いました。

俺の『子ども時代』というモンが唐突にその終わりを迎えたのは俺が12歳のの6月10日のことで、俺は初めての中間テストを終えたばかりの中学1年生で時間は22時05分やった。

北浜のマンションの白すぎる壁紙、欅のリビングのテーブルの上、お母さんの一番のお気に入りの何や変な柄の北欧のコーヒーカップの底に3㎝程残った黒い液体を眺めながら。

俺が何でそんなことを時間と風景まで刻銘に鮮明に記憶しているのかと言うたら、その日、俺が塾の送迎バスで家に帰ってきたら父親と、見たことないおばちゃんが、白蝋みたいな顔色のお母さんと向かい合って別れ話を、離婚の相談をしていたからや。

お母さんは、塾の道具の入った黒いノースフェイスの四角いリュックを担いだままの俺の姿を見てはっと驚いて

「ごめんね、草太はいま、お部屋に行っててもろてええ?」

そう言うたけれど、父は「これは草太にも関係のある話やから」と踵を返そうとした俺をダイニングテーブルの椅子に座らせて淡々と話し始めた。父は家電メーカーの研究員で、普段は燃料電池とかそう言うモンを作っている人で、それが関係してんのかそれは知らんけれど、酷く冷静というのか、いつも表情に乏しくて、言葉とその論法が理路整然としすぎている。それやなの言うてることがいつもなんか本来あるべき場所から調整できる程度に微妙にズレるというのんか、ほんのりとおかしいことがままあって、一般的な常識とか倫理言うモンから考えるとちょっとそれは許される範疇のことと違うやろという類の発言をごく常識的で正しいことであるかのように話す、そういう妙な才能と傾向のある人で、こん時は

「草太、お父さんな、お母さんとは別の女の人を好きになって、せやからお母さんと離婚してこの人と結婚したいと思てるのやけど、お前はそれでええか」

そんなことを大真面目に俺に聞いてきたので俺はその父の一般常識から考えたらなんや明らかにおかしいやろて言葉が一瞬真っ当な事を言うてるように聞こえて返事に詰まった。「ええか」て俺に突然聞かれても、そもそも結婚て、離婚て、そんな簡単なモンなんか?

大体当時の俺は中1と言うてもまだ誕生日が来てへんから12歳で、ついこの前までランドセル背負って小学校に行ってたんや、そんな子どもに向って一体何を聞いてくれんねやこのオッサンはて今なら思うけど、その当時の俺はその手前勝手でしかない言葉の意味がまず理解できなくて、それに対して即答がでけんかった。ほしたら父はさらに畳みかけるようにして

「まあお前も色々と思う事はあるかもしらんけど、もう相手の、この人のお腹に子どもがあるんでお父さんは少し急いでるのや、せやからお前と椿はお母さんと暮らしてくれ」

それがまるで世界の当然の理で正道であるかのように言うので、俺は更に困惑した。コイツ何言うてんねん。『離婚』て本来ならもっと、養育費とか親権とか今おる子どものこととか、話し合うべきことがあるやろ。それを明日から自分、塾辞めるんでもう来ませんみたいな言い回しで夫婦も父親も辞めるとかできんのか、できる訳ないやんけ。

俺は相当「わけわからん」というぽかんとした顔をしていたのやろな、俺の隣でずっと能面のような顔をしてただ黙っていたお母さんが

「いい加減にして、まだ中学生の草太に一体何を説明してんのよアンタは、そもそもこれはアンタの不貞行為なんやから、離婚するもしないも私が首を縦に振らんことには何も決まらんことでしょう、それをもう全部スッキリ決まったことみたいに言うて、大体これまで全然家のことは君に任せたて、草太も椿も私に任せきっきりで、運動会も参観も椿が喘息で入院した時かてひとつも来てくれへんで、やっと椿が小学生になって今度は新しい女と新しく子どもも生まれるから離婚せえて、そんな勝手な話、世間一般で通用すると思てるの!?」

叫ぶみたいにしてそう言うた。お母さんは普段は大人しすぎる位大人しいひとや、元々父の会社で営業事務をしていた少し気の弱い、ほんでも気性の優しい人で、家で裁縫したりケーキを焼いたりすんのが好きな穏やかな人なんや、せやから俺が小さい頃から大声なんか殆ど出した事が無いし夫婦喧嘩も俺がそれを目撃したのはこん時が多分最初で最後やと思う。

お母さんの血色を無くした指先は微かに震えていた。

「だってな」

「だって何ですか」

「お前が面白くなかったんや」

「面白くないて、何なんですか、結婚して家族がいるんですよ、面白くないとか面白いとかそういう問題ちゃうでしょ」

「だから、お前の身体が面白くなかったんや」

父が平然とそう言うた瞬間、お母さんの白蝋色の顔は今度は徐々に赤黒く変色して、さっきの指先の微かな震えはどんどん体の上にむかって駆け上がり、全体がぶるぶると震えだした。父はその母の姿を見て平然とするどころか薄ら笑いを浮かべていた

(俺の父親って、こんな人やったのやろか)

そん時の俺はそう思った。もう少しまともな人やなかったのか、子どもの前でそんなこと、よう言えたモンや。いやもしかしたら父はその『身体が面白くない』という言葉の意味を、まだ12歳の俺にはいっこも理解できへんやろと、そう思てたのかもしれん。

そんな訳あるか、中1やぞ。エロ本とか漫画とか、その手モンはクラスの男子の間でなんやかんやと回ってくるし普通に読んでるわ。こん時の俺にはちゃんとお母さんが女としてこの上なく酷なことを、それをしかも我が子の前で言われていることの屈辱は理解できていたんや、それはセックスのことやって。せやから父に、アイツにいますぐここから出て行けというたんは、お母さんではなくて俺や。

「『何が別の女の人を好きになって』や、ええ年こいてチンコの指令が最優先の男なんか中1の俺以下やろ、どころかその辺でウンコ漏らす赤ん坊とおんなじや、クソが、オマエなんか死ね!」

あんとき俺がそう言うて手近にあったコーヒーカップでアイツの頭をぶん殴って1客9500円もするやら言うそれを真っ二つにかち割ってへんかったら、代わりにお母さんが壊れてしまってたんやないかと思う。あの時俺は

『俺が今、この頭のおかしいオッサンからお母さんを守ったらな』

そう思ったんや。あの瞬間俺は絶対に飛躍的に老成した筈や、多分精神的に15歳位老けた。子どもが子どもでいられる時間は、家庭環境がそれを大きく左右するんやと、俺は思う。

父は俺にぶん殴られてまずはその衝撃と痛みに驚き、それから額を抑えて怪我の有無を確認してからいくぶん不快そうな顔して、最後に俺をにらみつけてからその女と家から出て行った。

以来、俺はあいつの顔を見ていない。お母さんとはその後一応代理人、弁護士を通じて話し合いをしたらしいのやけれど、まあ自分が完全にあかん、有責やのに自分から「子どもがでけたから別れてくれ、慰謝料?なんやそれは」なんて平然と言うようなヤツなので相当難儀したという話を聞いたのは、もうずっと後になって、お母さんがこの日の事を笑い話に出来るようになってからや。

「なんていうのかなあ、椿が生まれるくらいまでは、お父さんもただ闇雲に大人しいてほんでも頭のええ、もう少しまともな人やってんけどね。40歳過ぎて、ちょっと会社で偉なって、それが重圧いうのんかストレスになって、ほんである日何かのタガが外れたんやろねえ」

そういう、救いようのないクソに情けをかけるような事を言うからお母さんはあかんねや。とは流石に言ってないけれど。

ほんでも、そのちょっと『タガの外れた』父が家から出て行ったこの後からが大変やった。というのはあの晩、父の隣で特に殆ど表情を崩さずに黙って座っていた妊娠22週目やら言う女は、俺と同じ中学校の1コ上の先輩の母親で、父は何を考えてんのか知らんけどそういうほんまに近所の、しかも向こうにもちゃんと旦那さんのおるような女とデキてそれを妊娠させて、ほんで向こうにも離婚してもろて、新しく生まれる赤んぼと自分の名義のマンションで3人で暮らそて、そういう心づもりでいたのらしい。アホか、出来る訳ないやろそんな事。

そんで、お母さんの身体が面白くないて言うて離婚して、その女と即再婚したいて言うのは、その女とはセックスの相性がものすごええという事なのやろか。

でもその父からするとシモの調子のええ女は、ウチのお母さんよりどう見ても年上の、少し暗い印象すらあるほんまにフツウのおばちゃんで、男と女のことは全てが暗い森の中というのんか、深い沼の底というのんか、今でも俺には全然分からん。ただ俺はこの時から、男女の理というモンが、まあいうたらセックスが、まるで人の皮を脱ぎ捨てた、ぬめぬめとした汚くて臭い粘膜だけの生き物の営みのような、人糞を詰め込んだズタ袋に自分の体を詰め込んで貪るような、とにかくグロテスクな極めて不潔な行為に思えて、これ以前には友達が時折ふざけ半分に

「おいコレ見てみ」

と言うて俺に見せてくれてたその手の画像やとか動画を、面白半部の興味本位で「すげえなあ」とか言うて笑ろてたのに、それ以後はそういうのを見るだけで、その荒い息遣いを聞くだけで、酷い吐き気を催すようになった。俺には女と言うモンが、それは同級生の女の子と普通に会話をする程度のことは平気やし全然大丈夫なのやけれど、女らしい胸のふくらみやとか、身体が丸っこくて俺より脂肪の多い柔らかなとこやとか、何より制服に覆われた下半身の内側にはぬるりとした粘膜の孔があってそれはあの日、黙って俺の家族が瓦解していくのをただ眺めていたあのクソみたいな女にも存在していて、せやから即ちこの同級生はそれとおんなじ種類の生き物なんやと思うと、どんなにその俺の隣の女の子が、あの女とは別モンの、自分と同じ年の子どもなのやと頭では分かっていても、その横からさっと体を翻して、相手が俺を触れられん位の距離まで物理的に離れてしまうことが癖になった。

そんな俺の内面の、今後の俺の人生に関わる変化と共に、俺の家であるマンションはローンごと売り払われた。今回の離婚について、お母さんは慰謝料を父にも向こうのクソ女にも請求できる立場やったのやけれど、ただ向こうの女にも家庭があって、まあ当然の権利として向こうの旦那さんも父に同じような請求をしてきた。ほんで双方が支払う罰金みたいな慰謝料いうのんが、ほぼ変わらん額面であったために、お金は支払われても出て行って結果、事実上相殺ということになり、ほしたら慰謝料がわりに俺たちの住んでいたマンションをやると父が言うたのやけれどローンが残っているようなモンを貰うてもこの時はまだ専業主婦やったお母さんにはそんなん払いきれへん。

父は父で、お母さんにマンションを譲渡したらそれは自分の名義でなくなるのに何でローンを俺が払わんとあかんのかと話がまったくの平行線で、しびれを切らした母が「ほんならもう売ります」と、そういうことになった。でもそれはただローンが消えただけで、儲けにはひとつもならんまま、残ったのは俺達の家が消えてしもたて、そういう現実だけやった。

その上、俺は学校で悪ふざけの好きな連中から「浮気父ちゃん」と机にマジックででかでかと書かれたことで、それを書いたヤツと殴り合いのけんかをし、それで俺は相手の顔面の中央をグーで殴って鼻血まみれにし、俺は俺で相手に突き飛ばされた拍子に倒れて顔の半分を打って自分の最後の乳歯、せやから子ども時代の最後の名残を折った。それで俺のことを過剰に心配したお母さんは、件のマンションからの引っ越しをするのやし、このさい学校も替えてしまおうと言うて俺と椿の転校を決めた。引っ越し先に決めたのは、ひいおばあちゃんの暮らしているお母さんの地元、俺達の暮していた市内の北側の中心地の便利のええ所とは少し離れた大阪の下町で、そこの商店街のすぐ近くにある古い公団住宅やった。

この時、小学1年生になったばかりやった椿は、1学期のやっと学校に慣れた所で早々転校せなあかんという事態に

「なんで?そんなんうち嫌や」

そう言うて夏休みの始め頃は寂しいと言うてめそめそと泣いたりしていたのやけれど、引っ越しの1週間ほど前から、まだ6歳の椿は色々と慌ただしい引越し中は構ってられへんしそれやと寂しいやろからとひいおばあちゃんの家に預けられ、そこでほぼ毎日古くて水色のプールの壁と底のひび割れた古い区営プールで泳いだり、ひいばあちゃんにお小遣いを貰い、それを握りしめて商店街の夏祭りに出かけたり、子ども達の集まる焼きそばやでたこせんやなんかを買い食いをしたりして過ごし、学校の始まる前からもう友達が3人も出来たのやと言うて

「うちもう新しい小学校でええわ、友達も出来たし、昨日プールで泳いだ後にその子らと商店街のやきそばやさんでイチゴ味のかき氷食べてんねん。やきそば屋のおばちゃんな、うちのこともう覚えてくれはってな『つーちゃん』て呼んでくれるねん。おばちゃんな、うちの転校する小学校のこと『きっとつーちゃんとよう気の合う子ばっかりや』て言うてた。うち2学期に学校始まんの、楽しみやなあ」

俺達が引っ越しをする事情を何も知らん6歳の妹は、俺とお母さんが汗だくで引っ越し作業をしている間にそんな電話をかけてきた。ほんまにもう無邪気と言うか、アホと言うか、ゲンキンなモンや。椿は仕事が忙しいて平日も休日も何かして遊んでもろたような記憶の殆ど無い父親が日々の暮らしの中から完全に、アイツの使こてたスーツやとかコーヒーカップやとかが忽然と消えてその気配すら感じられへんようになったところで取り立てて寂しいとか、哀しいとかそんなことは全然思わんようやったし、そもそも俺を半分父親、半分兄みたいな存在やて思てるとこがあった椿には『特に何の感慨もございません』と、そういう感じやった。何よりや。お父さんが恋しいて泣かれるよりは。

対して兄である俺はこの12歳の夏、女という生き物を男として完全に拒絶するようになった。

せやからそれに付随して、いや同時に結婚とか恋愛とかそういうモンが一体何なのかて、皆がある程度の年齢になったころに一喜一憂して何ならそれが世界のすべてやみたいに唄われるそれに物凄く懐疑的に、いやむしろ否定的になった。

人間の心が変容していかへんなんて保障はどこにもひとつもないのやし、俺は『Love』が状態動詞で現在進行形にならへん言葉で、それは中断することの難しい継続的な状態を表すからやというのを、それを文法的な決まりやとしても感覚的には一切、信じられへん。それはある時に思いもかけずぬるりとその姿を変えてしまうものなんや。一度は継続的で中断しがたいモンやと信じていたものもちょっとの事で、些細なきっかけで、いとも簡単に砕けて消えてしまう。そうして夫婦は解散、一家は離散、そこにおった子どもが

「ほしたら俺は存在自体、してなかった方がよかったんちゃうか」

そんな結論に至るのならそんなん最初からせんほうがええ。子どもなんか生まれん方がええ。大体愛て一体何なんや、恋とかそんなん、人間の脳が極めて興奮状態にある時にアドレナリンやらドーパミンやらが作り出す幻想やろ、嘘モンの偽りや。

俺は生涯、そんなことせえへん。女の、雌の生き物の身体みたいな気色悪いモンにはこの先、未来永劫、絶対触りたない。

俺は、この先、今は160㎝もない身長がするすると伸びて、身体がだんだんと固く大きく節くれだって、いらんとこに毛が生えて来て、「雄」としての生物に自分が完全に変態していったとしても、ほんでも生殖とも発情とも無縁の、植物みたいな人間になりたいて、本気でそう思うようになった、自分の草太て言う名前の通りに。

それでもお母さんと俺と椿、3人になった家族が、もうすぐ80歳になるひいおばあちゃんの自宅のある公団住宅の別棟に新しい家を借りて移り住み、ほどなくしてお母さんが介護施設に仕事を見つけて日勤と夜勤を何とかこなし、椿は新しい公立の小学校に転入して、俺が新しい中学校に転入した最初の夏の終わり、早朝の空気がとうめいに澄んでほんの少し涼しく感じられるようになった頃の生活は、意外にも穏やかに滞ること無く滑らかやった。

椿は前乗りするような形でこの町に暮し始めていたのでもうここの環境に慣れ、友達もできてすっかり下町の子どもになっていたし、母は元々ここの生まれ育ちで、商店街に買い物に出ては

「焼きそば屋のおばちゃん元気やったわ、なんか今、娘さんがいてるの?草太のちょっと下くらいの」

「いや違うねん。なんかどっかから預かってる子らしいわ、あのちょっとキレイな子やろ」

「あとな、イシヅカ電機のお兄ちゃんて、今でもう子どもが4人もいてるん?」

「そうよ、あそすこのお嫁さんはなあ、どら焼き屋の下の娘さんや、今店継いではるお兄ちゃんのすぐ下に元気のええ子がおったやろ、アンタ覚えてる?」

夕方ウチに「アンタら、これ夜ごはんにしなさいね」て言うて、お菜を色々とタッパーに詰めて持って来てくれるひいおばあちゃんと近所の噂話いうのんか世間話なんかをして、思えばお母さんは北浜のマンションにおった頃は、神経質な父の顔色を伺って、朝のコーヒーはいつもの店の同じ銘柄やないとお父さんが怒るし買うてくるとか、シャツがいつもの枚数、同じ場所にないとイライラされるから気を付けんとあかんとか、そういうのを常に気にしていたのやけれどここに来てからは

「草太、お母さん明日の朝ごはんにパン買うの忘れてきてしもた、買いに行ってくるわ」

「は?ええてそんなん別に、炊飯器に残ってるご飯食うか、それか俺がホットケーキ焼いたる。1食くらい何食べても死なへんし、椿はホットケーキが好きやろ」

「そっか、せやね。ほしたらお願いしてええ?」

そんな感じで、とにかく毎日が忙しいせいで適当とかええ加減が板についたというのんか、そんなんいちいち構ってられへんというのか、前のマンションに居た頃のいつも何かに緊張してた感じが、何かに怯えているような空気が周囲から無くなっていた。まあそれも最初のころはということやけれど。



大体、世の中ていうのんはなかなかうまくは回って行けへんもんや、大阪の長い長い夏がやっと少し遠くに過ぎ去り、穏やかに秋の日差しの訪れた頃、まず、ひいおばあちゃんが家で倒れた。元気な人や言うても80歳やし、もともと少し血圧が高くて、そのせいなんかちょっと脳の血管がつまってしもたんや。台所で流し台に寄りかかるみたいにして倒れているのを最初に発見したのは俺や。発見も搬送も早かったから、手術とかはいらんと言われて2週間程の入院で家に帰れる程度には回復したのやけれど、足に麻痺が残ってしもて、お母さんは夜勤の時やとか土日にシフトが入って俺はともかく椿を家に置いて勤務しやなアカン時は、俺の祖父母である両親は早くに亡くしているのやけれど、傘寿を迎えてもまだまだ元気やったひいおばあちゃんが「うちがなんとかしたる」と言うてくれてるからて、それを頼ろうて心づもりやったのが、逆にひいおばあちゃんの世話をせんとあかんようになった。

離婚してからこの時までで大体4ヶ月位やろか、お母さんはここまで息を止めてぬかるみをただ夢中で走り続けてきたような状態やったのが、何かがぽきんと折れて、ピンと張っていた糸が切れてしもたのかもしらん。元々気の優しい、諍いも争いもいっこも好きやないて人が、あの身勝手なクソ父への怒りというよりは、俺と椿への責任感だけを燃料に走り続けて来たのを、あれはおばあちゃんが退院して家に戻って1週間目の日曜の夜や、居間に置いてある小さな折り畳みテーブルの前で、近所のスーパーの100均で買うたマグカップを握りしめながら

「なんか人生てうまく行けへんもんやねえ、離婚もそうやけど、やっぱりお母さんがあかんのやろか、お母さんがもっと…ねぇ…」

そう言うて、あとは言葉に全然ならないまま、嗚咽というのか、哀しい音を口元からこぼしながらほろほろと泣いていて、それを隣で見ていた俺は、この頃にはすっかりその存在を忘れかけていた父親への怒りがまた、おれの中にむくりと起き上がり

「こんなんたまたまや。ええことがあった後には悪い事、悪い事があった後にはええこと、世の中そういう風にして上手い事回るようにできてんねやて、おばあちゃんも言うてはった。あの親父は頭がおかしいねん、アイツはこの先幸福になる事なんか絶対あれへん、俺が日夜呪っとる、あいつの言うたとなんか気にしたらあかん、椿の事は俺がちゃんと見とく、自分のことは自分でちゃんとやっとく、俺らのことは何も心配いらん」

『俺は父親を呪っている』

そう言った。それ意外に、俺は一体何をどう言うてあげたらよかったんやろか。

俺はその言葉通りに、毎日お母さんをこれ以上ない位に侮辱した父を呪い、まだ夜の暗闇のその奥に何かがおるのちゃうかと怖がってひとりでトイレにもよう行けへんような妹の面倒を見て、学校では常に成績上位を保持し、下町のちょっと「やんちゃな」生徒の多い、設備も良くない、モルタルの壁のようけ剥がれ落ちた、学力テストの平均点が前の中学校より明らかに低いそこで割にアタマに血の上りやすい自分を出来るだけ抑えて絶対に問題を起こさへんように努めた。

せやから同じ陸上部の、そんで同じクラスの背の高い藤野いうのが俺に

「菅原て『ソウタ』て名前やろ、俺の名前も『ソウタ』やねん」

そう言うて昼休みに、自分の席に座る俺の顔を覗き込んできた時も

「え、ああ、うん、まあ」

と言うて特に相手にせえへんかった。転校したこの中学で、一番最初のはじめから俺は自分が転校してきた事情を誰にも話せへんようにしていたのやけれど、ここがお母さんの地元で、そうすると子どもの頃からお母さんの事をよう知っている人もおるので

「旦那さんが女作って逃げたんやて」

俺のクソ父が知らんババアを孕ませて逃げたんやというウチの事情というのんか、事実を知っていて、そういういらん話を大人が子どもの前で話すのやろな、その話を俺にふってくるヤツが時折おった。それがまた心配そうな顔をして「大変やね」とか言いいよる、そん時の相手は女子やったけれど俺はそいつの顔面の中央に向って頭突きをするのをこらえるのにホンマに、本気で苦労した。せやからここではできるだけ人間関係を構築すんのは止めようと、友達なんかいらんねやと心に決めていた。

今、仕事と介護と家事、あとは育児、そういうもんに人生の全部を費やして自分の時間もなしにくたくたに疲弊しているお母さんを、俺が学校でなんかやらかしたとか、その手のことで更に手こずらせるなんてこと、絶対にしたくない。

それやのに藤野はしつこかった。大体のヤツは転校生である俺に興味を抱いてあれやこれやと話しかけても当の俺が「うんまあ」「そうなん」「へえ」と気のない返事三段論法を多用すると「なんやおもんないヤツやな」という顔をしてどこかに行ってくれるのに。

「俺のソウタはアレやねん、颯爽のソウやねん、菅原のは草のソウやろ?」

「うんまあ」

「おんなじ陸上部やんな、長距離やりたいんやろ、俺短距離やねん、速いで」

「そうなん」

「俺ん家な商店街出たとこにある和菓子屋やねん、どら焼きが旨いねんで」

「へえ」

「菅原て部活の時以外は眼鏡なんやな。何で賢いヤツてみんな眼鏡なんかなあ、この前の中間で一番やったのって菅原やろ、1番は転校生やぞて先生が言うてた。5教科合計498点てすげえよなあ、毎日何食うてたらそんなん出来んの?」

藤野は俺の気の無い返事三段論法に一切臆せず、そして俺の不快そうな表情を全く気にせず、俯いて数学のテキストを眺めていた俺の顔を机にはりつくみたいにして覗き込んで、さらには俺の紺色のフレームの眼鏡をするりとかすめ取った。藤野のせいで俺の視界はぼんやりと焦点の合わない世界に曇り、流石に俺は

「おい、眼鏡返せや、それがないとよう見えへんねや」

そう言って思わず顔を上げると俺の目の前には、大きな黒い瞳に長い睫毛の世界のぜんぶをひとつも疑ってへん赤ん坊に似た人懐こい顔が、俺がやっと反応して言葉を発したことに対して明らかに嬉しそうに、くるりと癖のある頭髪をゆらゆら揺らして微笑んでいた。

俺はこのテの顔に見覚えがある。あれや、北浜におった頃にマンションの同じ棟のおじいちゃんの飼ってたレオって言う名前のゴールデンレトリバーや。本来あの手の犬種って賢いはずやのに、これがまた人懐っこすぎてひとつも番犬にならんアホなやつで、よう廊下やとかエレベーターで会うと、お尻をピンと上げて「遊ぼう」て仕草で誘うてくる。せやから一度、おじいちゃんに頼んでマンションの前庭でテニスボールを投げて遊ばしてもろたら、咥えたボールを誰にも渡したないてボールを咥えてマンションの敷地の外に逃げよって、それを捕まえんのに半日かかった、ホンマに大変やった。あいつ、ほんまにアホやったなあ、こいつはあのアホのレオによう似とる。

「なあなあ、菅原の家て、そこの公団住宅やろ、親1人なん?きょうだいとかおる?俺んちはじいちゃんと姉ちゃん2人と、父ちゃんと母ちゃんと犬、犬は武蔵て言うねん」

せやけど、そのアホな犬に似た藤野は自分の自己紹介ついでにかこつけて俺の家の事を聞いてきて、俺はやっぱりうんざりした、何やねんなこいつ。

「ホラ、お前んとこ母ちゃん、えっとあすこの、駅の向こうの大学病院の近くのライフケアホームていうので働いてはるやろ、じいちゃんばあちゃんのようけ住んどるとこ」

しかも藤野は俺の家の事情を、お母さんの勤め先なんかをどっから聞いたのか知っているようで、そんなことまでもぺらぺら話し始めたので流石に俺は

「お前の家とか全然興味ないから言わんでええし、俺のことも一切聞かんといてくれ」

あと眼鏡返せ。そう言って藤野の言葉を制し、まるで生まれて初めて眼鏡を見たサルのようにしげしげと見つめていたそれを、藤野の手からひったくって取り戻そうとした。

そしたら藤野は立ち上がり、それをひょいと自分の頭の上の高さに持ち上げてしもた。当時の俺と藤野で20㎝ほど身長差があったやろうか、俺は160㎝に届かんほどの背丈で、藤野はもう中1にはあり得んほどの、180㎝近い背丈やった。そうなると俺は背伸びしても藤野が頭の上に挙げた眼鏡の高さに手が届かへん。藤野は俺が眼鏡を取ろうとして手を伸ばして一度掠ったのをなんや妙に嬉しそうに「俺、背だけは高いねん」と見たら確実に解るやろう、ほんまにアホなことを言うし、周囲の同級生たちも『あいつらなんかおもろい事をしとる』という空気と雰囲気でだんだんと集まって来て、この全く望まない状況に脳が瞬間的に沸騰するみたいにして、かあっとなった俺は、両手を高く上げていて全くのノーガードやった藤野の股間を思い切り躊躇なく蹴り飛ばしてやった。

「いってえ!」

当然の結果として藤野は悲痛な声を上げてその場にうずくまり、周囲は潮騒のようにざわついて少し引き、それから無遠慮な同級生たちの笑いが起きた。

「菅原がやりよった」

「あれはあかんやろ相当痛いで、無慈悲なヤツやな」

「せめてみぞおちにしといたれや」

「藤野君、大丈夫?生きてる?」

「菅原て大人しそうに見えるけど意外と手が出るヤツなんやな」

「え、出したん足やろ」

そんな面白半分の喧騒の中、俺は股間を抑えてうずくまった藤野から自分の眼鏡を奪い取り、まだ昼休みで、その後に5時間目と6時間目とそれから部活があるのを当然知っていて、そんでもそのままロッカーのリュックを手に持ち、走って家に帰ってしまった。あん時俺はなんかもう疲れて、世界の全部がすべてが面倒くさくなったんや。

お母さんが離婚とその手続き、自宅の売却と引っ越し、就職と介護がいっぺんに来てくたびれ切っていたように、俺は俺で、両親の離婚と、そのせいで俺の中に生まれた性とか愛とか恋とかそういう類のものが全て虚しいものやて、虚構なんやて、そういう感情が萌芽して始まる前に終わってしまったこととか、実際に生活が180度変わってしまった事とか、そんでも「俺がお母さんを守るんや」という俺の気持というのか矜持というのか、そういうものの全てにくたびれていたのやと思う。まあ当然と言えば当然や、こん時の俺は「自分はもう子どもやない」という気持ちはともかくも、体じたいはまだ下の毛も生えそろってへんような子どもやったんやから。

俺は、教室を駆け足で出て、昇降口から上履きのまま、正面玄関から出ると職員室から丸見えやしそれやと少し面倒な気がしたので裏門の、一段低くなっている壁を登って乗り越えてそのまま家に帰った。

10月のことや、誰もいてない家に帰り、夏の太陽の名残のほんの少しまだ残る強い日差しと、それでもやっと秋らしい涼しい風の通る古い団地の、普段は居間で夜はお母さんの寝室になる8嬢の部屋の床にごろりと寝転がって、これってやっぱり学校からお母さんに電話とかいくのやろな、そうしたら何て言うて誤魔化そうか、そんな事を考えながら俺はうとうとと眠ってしもていて、インターホンの音で目を覚ました時には、太陽は静かに西に傾き、部屋には夕日の茜色がほんの少しさし込んでいた。

何や夕方か。え?誰やろ、宅配?お母さん何か頼んだのやろか。

「はい、どちらさん?」

「俺!」

「は?誰?」

「オレオレ!」

「せやから誰や、詐欺か!ここん家の息子は俺だけやぞ、ドアホ」

「俺、藤野や、なんかホンマごめんな、入れてえや」

古い団地にようあるあの重たい独房の扉みたいな鉄のドアの外側にいたのは藤野で、俺は驚いて思わずその扉を開けてしもた、何してんねんオマエ、何で俺の家まで来とんねん、ほんで何やその手に持った巨大なビニール袋は。

「エート…これはこころばかりのお詫びの品です」
「はぁ?」

藤野の持っていた白いビニール袋には大量のどら焼きが詰め込まれていて、その巨大な体躯の背後には、丁度学童から帰って来た椿がにこにことして立っていて、そして俺にこう言うた。

「このひと、お兄ちゃんのお友達やろ、ウチの名札見て『菅原草太君の妹?』て聞いてきたからそうやて言うて案内してあげてん。お兄ちゃんやっと学校のお友達ができてんなあ、よかったなあ」

「よかったなあやあれへん、大体その小学校の名札はひっくり返して見えへんようにして歩けてお兄ちゃんいつも言うてるやろ、コイツみたいな変態が見ててやな、椿の名前を覚えてしまうかもしれへんねんぞ、そもそもコイツは兄ちゃんの友達と違う、ただのクラスの変なヤツや」

「俺、変態と違うで」

「うっさい、お前は黙っとけ、俺は今、兄として妹に教育的指導をしとるんや」

俺はそう言うたけれど、藤野は俺がつい扉を開けた瞬間にするりとノラネコみたいに玄関に張り込んで来てしもていて、そうしたら出て行けて押し出すことは、なにせ藤野は中1にしては規格外にでかいので難しそうやし、ここで押し問答をしていると声が意外によく外に響くし、何より椿の前で俺ら2人が揉みあいになってしもて、それがお母さんの耳に入るとそれはそれでややこしい。俺は瞬時にそういうことを想像して計算をして仕方なく

「まあ…ええから入れ」

俺は藤野を家の中に招き入れることになった。ちょっと相手してやったら帰るやろと、そう思たんや。そうしたら藤野は靴を脱いで3歩あるいたとこにある居間の畳を踏んだ瞬間、その場できちんと正座をして、持って来たどら焼きの入った袋を手前に置くと

「なんか俺、失礼な事聞いてしもてすみませんでした」

と言うて俺に手をついて謝った。それがまたなんて言うのか、凄くきれいな形のお辞儀で、あとから聞いたら藤野は家が和菓子屋やと言う理由で2人の姉ちゃんと一緒にお茶をやらされてたのやそうや。それに藤野はよう見たらその顔の造りがキレイなだけやなくて爪の形とか指の長いのとか、それから少し日に当たると茶色く透ける癖毛やとか、うなじに浮いて見える背骨の形まで全部作り立ての乳児のように乳白色にうつくしくて、俺は暫くあっけにとられていた。椿も驚いてランドセルを抱えたまま藤野の事を口をぽかんと開けて見ていた。それが10秒くらいやろか、藤野は伏せていた顔を静かに上げると更に反省の弁言うのんか、ここに来た事情いうのを話はじめた。

「あの…あんな、同じクラスの菅原いうのんにシバかれたんやて家で言うたらな、お母さんにめっさ怒られてん『人様の事情に土足で踏み込むようなことしたらあかんていつも言うてるはずや』て。俺、金玉蹴られるどころか、店の擂り粉木持ったお母ちゃんに追いかけられてしこたまケツ殴られたわ。俺なあ、ホンマはお前のこと春季大会で見て知っててん。ホラ、鶴見緑地で5月に新人大会があったやんけ。そん時にちっこいけど、きれいなフォームのやつがおるなあて、それをずっと覚えててん、そしたら何とオマエがこっちの学校に転校してきたやろ、当然部活も同じ陸上部やし、俺嬉しくてこれは絶対友達になったろて思ててんや、せやから自己紹介のつもりで今日色々言うてついでにお前のこともちょっとだけ聞いてんけど、あかんかってんな。でも別に菅原のこと面白半分にからかおうて思てたわけではないで、それは絶対や、あとな、それにな」

「あとそれに何やねん」

「ここでは母子家庭とか父子家庭とかそういうのんは別に全然めずらしないで、ざらにおる。何なら親が2人ともおらんヤツとかもおるで、陸上部のキャプテンの伊勢谷先輩なんかそうや。両親まとめて小学生の頃に亡くならはって、今は叔母さんと暮らしてはる。ここの学区て公団とか市営住宅に住んでるヤツが多いやろ、そういうとこなんや。クラスの連中かて、別に菅原のことを面白がって、からかったろて思てんのと違くて、母子家庭やったら自分ん家と一緒なんかなて思って聞いてることの方が多いと思うねん。みんなオマエと仲良うなりたいんや、なんせ菅原は学年トップの秀才やねんから」

藤野がそう言うので俺は以前「菅原君の家ってお母さんだけなん」と俺に聞いてきた女子のことを思い返した、母親が駅裏で小さい飲み屋をやってんねやと言うてたあいつも思えばそういう事情のあるヤツやったのかもしれん。

「そうなんか、せやったらあの…俺、金玉蹴って悪かった」

「ウン、俺死ぬかと思たで、これで明日俺が女の子になってたら菅原、おまえ責任とってくれ」

「は?イヤやそんなん。お前を俺がどないせえて言うねん。それとやな」

「え、何?」

「俺はちっこいんと違う、オマエがでかいねん、一体何センチあんねんその身長は、おかしいやろ中1で、お前こそ何食うたらそうなんねん」

俺がそう言うたら、藤野はこの家に入って来てから初めてにっこりと笑い、それから持って来たどら焼きを俺達がいつも食卓にしている小ぶりな折り畳みテーブルの上にガサゴソと取り出して、俺が毎日食うてるモンと言うたらこのどら焼きやな、バター入りと餅がはいってんのが俺のおすすめやと言うので、俺はお母さんが「これはお客さん用やで」て言うてた煎茶を3人分慎重に淹れてやって、俺と椿と藤野の3人でどら焼きを食べた。それは藤野が言うた通り、これまで食べたどんなどら焼きよりずっと皮がしっとりとして餡子がずっしりと甘くて美味しかった。藤野がいうには、雑誌なんかにもよう紹介されるし、実際にようけ売れるのやそうや。

椿は兄である俺の同級生がその体躯に似合わずよう笑い、そしてうんと優しくて、小学生の椿から見てもかなりの男前で、それがスマブラやらマリカーの相手を手加減しながら気長にしてくれるもんで、日が傾いて少し外が薄暗くなってきてそろそろ藤野は帰らんとあかんのちゃうかという時間になっても「イヤや、まだ帰らんといて」と言うて駄々をこねた。藤野は藤野で

「菅原、実は俺今日な、父ちゃんとじいちゃんは店でアンコ炊く言うて、一晩鍋につきっ切りで、母ちゃんは広告代理店さんと打合せで、姉ちゃん達は遊びに行ってしもて、犬は帰ってもいびきかいて寝とるし、末っ子の俺はお金だけ渡されて、アンタこれでご飯食べておきなさいて言われてスゴイ淋しいねん…」

そんな事を、それこそ飼い主に置き去りにされた犬みたいな顔をしてそんなことを言い出した。この日、俺のとこのお母さんは遅番で帰宅は夜21時頃になる予定で、そういう時は俺が飯を炊いて、味噌汁を作り、それから冷蔵庫のお菜、これはお母さんが作り置きしておいたやつけれどそれを出して椿と食べる。そう言う事をしていたし、できていたし、簡単なモンやったら俺はフツウに料理も出来た。それで俺は藤野についそれやったらウチでご飯食べていくかと言うてしもてたんや。この頃の俺は愛と恋とそれから生殖それ自体を完全に否定して己の中から排除した思春期の中学生やったのやけれど、同時に椿の父親代理であって、それをやりすぎたせいなんかすっかり保護者属性が板についていた。

「わかったから、その…上目遣いで俺のこと見るな。ほしたらウチで飯食うて行くか?俺ら、藤野の家のどら焼きようさん貰ってしもたし」

「えっ、ええの?」

「ええけど、藤野、おまえん家の電話番号教えろ、オマエとこのお母さんにどら焼きのお礼とそれから、今日ウチでご飯食べて帰らせますて俺から言うといたるから」

「菅原て、お母さんみたいやなー」

ひひひと嬉しそうに笑いながら藤野は俺の家の電話で店舗の方に、というてもそれは藤野の自宅の1階部分らしいのやけれど、そこにおる母親で『菓子匠 藤野』の女将である人電話をして「今日友達の家でご飯食べてきてええか」と一言い、ほしたらその子に代わるわと俺に受話器を渡して来た、なんやそれ、雑な紹介やな、もっと細かく説明せえ。

「もしもし…あの僕、菅原草太と言います。藤野君の同級生で、その…今日藤野君のきんた…いやその、藤野君と喧嘩して蹴るような真似してもてすみませんでした、それやのにどら焼き、えらい沢山もろてしもてほんまにありがとうございます。美味しかったです。それで藤野君に今日僕の家で夕飯食べて帰ってもらおて思うんですけど、それは構いませんか」

俺がやや緊張しながらそれでもどら焼きのお礼やとか、喧嘩のお詫びとか、今日藤野に夕飯を食べて行ってもらう許諾を貰いたいのやとかそんなことを話すと、電話の向こうで鈴みたいにきれいな、弾んだ声の人が俺に嬉しそうに話し始めた。

「えっ草太ちゃん?薺ちゃんの息子さん?せやったら、うちとこの颯太が今日はホンマにごめんねえ、人様の事情に立ち入ったらあかんていつもよう言うてんのやけど、うちの颯太て大事なこともそうでないことも3歩歩いたら全部忘れるねん。ホンマに嫌な思いさしてしもてねえ。ううん、いいねん金玉のひとつくらい、どうせもう一個あるねんから。おばちゃんな、草太ちゃんのお母さんの薺ちゃんとは保育園と小学校と中学校の同級生で友達やってんよ」

「えっ…あのおか…僕の母の友達なんですか?」

「そうやねん。そんでもうち薺ちゃんと高校は別やったし、中学を出た後は時たま連絡する程度やってんけどな、そしたらついこの前、夏に薺ちゃんが「出戻ってしもた」てお店に来てくれてん、ほんで今また仲良うしてもろてるねん。草太ちゃん、夏から今までホンマに色々大変やったねえ、うち薺ちゃんから大体の話聞いてはらわた煮えくりかえって気が付いたらお店のどら焼きふたつ握りつぶしてしもてたわ。なあ、人生には思いもよらん事があるもんやけど、今回のこれは薺ちゃんも草太君も椿ちゃんもいっこも悪いことあれへんで、ああいう誠意が誠意で返せへん、ひとの気持ちのわからん残念な人間ておるもんやねん。そんでまたその正体に気が付くのには時間がいるもんやねん。なあ、草太ちゃんはしっかり者のええ子やけど、そんでもまだ子どもなんやし、今からそんなにしっかりせんでええから、なんか困った事があったらおばちゃんに言い、いつでも力になったるさかい、な?」

えっ、はい、ありがとうございます、せやけど藤野に飯は食わします。そう言うて俺は電話を切った『誠意を誠意で返す』『アンタは何も悪くない、』『なんかあったら力になる』凄く真っ当なことを嵐のような大阪弁で、それやのにひとつも険の無い温かな言葉でまくしたてた藤野の母親に圧倒されてぼんやりとしながら、俺は電話を切った。

「藤野、俺んとこのお母さんとおまえんとこのお母さんと友達やて知ってた?」

「今日、知った」

「そうなんや…おまえんとこのお母さんなんかすげえな、頼りがいて言うのんか…」

「せやろ。じいちゃんもお父ちゃんも差し置いてお母ちゃんが今あの店の3代目の社長なんや。お母ちゃんが家に来てから店の売り上げが2倍になってんやて、仮に地球が滅亡する日が来ても生き残って宇宙人にどら焼き売るのやていつも言うてはるわ。気合だけで何もかもやり遂げはる人や、せやし怒らしたら相当コワイで。そんであのな菅原」

「なんや」

「俺オムライス食いたいねん…」

古い規格の公団住宅の天井の鴨居に額をぶつけてしまいそうなくらい巨大な癖に、小学1年生の椿と2人して小首をかしげてオムライスが食べたいと言い出した藤野に吹きだして、そんで俺はちょっと時間かかるけどええかと言うた。それから一言だけ

「俺、前の家からこっちにきて初めてやわ。あんたは何も悪くないて、なんかあったら力になるて言われたん」

そう言うた。そう言われたかて、明日から俺の生活が突然楽になるとか、お母さんがきつい夜勤から外れて夜も家におってくれるようになるとか、ひいおばあちゃんの足が元に戻るとか、この追い炊きの出けへん公団住宅が前の北浜の白くて清潔なマンションに変わるとか、そんなことは一切起きへんのやけれど、何や気持ちが軽くなるていうのかな、藤野て言う押しかけの友達が出来て、親戚みたいに俺のことを心配してくれる大人がおることがわかって、こん時、俺は少しだけ肩の力が抜けたんや。


中学2年生になって、クラス替えの後も藤野と俺は同じクラスで、俺らは小1からずっと友達やったような、いつも自然に何となく一緒におる友達になった。そうなると互いに名前で呼び合うのがええかなとは思ったのやけれど、俺は草太であいつも颯太なもんやから、それやとかなりややこしいし、それで互いに苗字で「フジノ」「スガ」と呼び合うようになった。

俺は藤野の、誰に対しても平等というのんか、敬語が仕えてないというのんか、とにかく裏表のないところやとか、他人を絶対に悪く言わんところやとか、10も年上の双子の姉である桜と楓に「紳士たれ」て日々鍛えられているがために下世話なことを、例えばエロ動画見ようやとかエロ本持って来たとかその手のことを俺に殆ど言わへんとこやとか、妊娠中の家庭科の先生の運んでいる段ボールをぱっと横から取り上げて

「こんなん持つもんちゃうで先生、俺運ぶわ」

そんなんを気負わずにごく自然にできるとことか、そういうのんが俺にはホンマに気が楽やったり、本人にはよう言わんけれど尊敬できるとこやて思て、せやから自分とって藤野は一番大事な友達なのやと思て、普通に仲良うしていた。

加えて俺にはなんでかクラスの男子が「菅原、宿題がわからん」とか「菅原、俺の制服のボタンが取れてしもた」とか「菅原、小口切りて何や」とか言うて矢鱈と寄ってくるようになっていた。それは俺が、生物的な女がとにかく苦手やという事実というのかもうこれはセイヘキやと思うねやけれど、それが中2になってもひとつも改善せんと変わらんままで、常に女子を避けていて、それやのになんか知らんけれど時折、クラスの中でいつも声の大きい、ちょっと目立つグループの女子から

「菅原君て好きな女の子とかいてないの」

そう聞かれるもんで「いない」「だれとも付き合わん」「実はフジノと付き合ってるねん」と言うてその手のことを全部そっけなく退けるので、それがクラスの特にフジノを中心にした男子らからすると

『菅原はクラスカースト上位の女子らに一切なびかへん、俺らの仲間なんや』

そういう空気を作り出していたのらしい。そんで数学とか英語の宿題を今日当たるから教えてくれ言われたら、ええよて教えるし、ボタンもつけてくれ言われたら俺は細かい作業が得意やからつけてやるし、調理実習ではなんせ普段から料理なんかいくらでも作っているもんで隣の班も手伝ってやるしで、気が付くと俺は

「菅原は俺らのおかあちゃんや」

という謎の立場をクラス内で確立し、普通にクラスの中に溶け込んでいた。

そして中1のあの秋、家のごたごたで常に不機嫌を煮詰めたみたいな表情を崩せへんかった俺に果敢に仲良うしようと言うてきたフジノはこの頃、あの頃から更に背丈が伸びていて、それは185㎝をゆうに超えてもまだ伸び続けていた。

フジノの友達として、あいつの家である店によう寄らせてもらうようになった俺が何度も顔を合わしているフジノの双子の姉ちゃん達はえらい細くて小柄やし、社長で女将のお母さんかて気性に反して小柄のかいらしい人やし、職人さんや言う穏やかなお父さんも、ちょっと頑固そうやけど話すと優しいおじいちゃんもみんな言うほど大きないのに、フジノだけが一家の中で突然変異的に巨大で、加えて、陸上部で毎日俺とグラウンドを走り回ってるていうのに、色が妙に白くて、髪の毛が光に透かすときらきらと茶色い、不思議にきれいな見た目をしていて、ついでにその長身故に老舗で古い昔の造りである店の入り口で3回に1回はアタマを強打する日々を送っていた。

アホか、覚えろや己の高さを。

そんでこの頃の俺は毎日、学校への行き帰り、部活で校庭の外周を走っている時、目の前にフジノのとても大きな背中があると、なんでなんかそれに手を伸ばしてそっと触りたくなるような衝動を覚えるようになった、どころかそれに無意識に触れてしまう事が何回もあって、そういう時フジノは

「どしたんスガ、なんかあった?」

大体は妙に嬉しそうに振り返って俺に犬みたいな笑顔をむけてくれるのやけれど、その笑顔が見られることがまた震えるほど嬉しくて俺も「いやべつになんもないねんけどな」て言うて笑い返す。その感情がまた俺には謎で不思議で、例えば同じことを同じ陸上部の高畑やとか山本にしたとして

「え、なになに?」

そう言うてそいつらも無駄に嬉しそうに振り返るのは振り返ってくれるのやけど、俺は別に嬉しない。これはどういう訳なんか、俺にはフジノ限定の感情なんや。

俺は中2になりこの頃の背丈は167㎝、フジノ程ではないやろけど多分まだあと少し伸びそうな身長で、声は去年より一段と低くなり、いらんところに毛が生え揃い、そんで他にも骨格やらちんこの、いや生殖器の形やらが色々がちゃんと男になった。でも以前の通り女を、どうにも自分には受け入れがたい、厭わしい存在やと思ったまま、いよいよ女を全部裸に向いた画像見ても、女が喘いでいるようなそれを見たとしても何も思わん、どこの何が勃つ訳でもない、そういう生物になっていた。

まあそれでもそういうのもええのかもしらん、それならそれで、あのクソ父から派生した俺のような不幸な子どもを世界に量産することもないと、そう思っていた。そんで出来れば、あのでかい身体と、男としての立派な身体機能を俺よりひと先にちゃんと備えてんのを、中1の終わりに一緒に銭湯に行った時に見てしもてたフジノも、俺とおんなじ生殖も性も関係の無い世界に安住していてくれへんかなと俺は密やかに願い、祈っていた。

せやけれど、何せフジノは、ちょっと梅田とかひとの多い賑やかな場所に出たら、例えば部活の遠征の時に野暮ったい中学校のジャージを着て御堂筋口を俺らと一緒に歩いていても何やしらん芸能事務所やらモデルエージェントやらいうとこのお兄ちゃんに

「なあなあ、君モデルとか興味ない?」

そんな風に唐突にスカウトされてしまうような見た目のヤツや、そしてそれを

「こいつこんな見た目やけど13歳なんです、アホやし、電車の切符もよう自分で買いません」

そう言うて剥がすのは「俺たちのおかあちゃん」である俺の役目なのやけど、玄人の芸能事務所の人間が「これは」て思て飛びつくのやから、同じ中学生の女子かて当然放っとかへん。そんなフジノがどうやら陸上部の3年の女子と付き合うてるらしいて聞いたんは、その3年生が引退して、秋季大会のある直前の2学期のことや。

「なあ、スガ、オマエな、フジノが3年の橋本先輩と付き合うてるて聞いたか」

「は?知らんでそんなん、大体その…ハシモト先輩て誰や」

おんなじ陸上部で、家がおんなじ団地で、おんなじ母子家庭で、えらい天パで、おばちゃんが美容師をしてはる高畑が俺にそんなことを言うてきた時、俺は高畑に頼まれて数学の連立方程式を教えていたのやけれど、数学の教科書を持ったまま立ち上がり、高畑が

「えっスガ、ちょっと待ってくれや、代入法て一体これ何のことやねん」

そう言うてるのを「悪いそれはまた後で」て言うてほぼ無視し、あん時のあれは昼休みや、体育館で3年の先輩らに誘われてバスケをしていたフジノの所に全速力で走って行った。

(何やそれ、俺は何も聞いてへんぞ、何で俺に言うてくれへんねや、オマエは俺の一番の親友ちゃうかったんか)

あの時、瞬間的に腹の底のぐらっと煮え立ったような感覚、相手の女が、女の肢体で俺の大事なフジノに取り入ってあいつのいっこも汚れてへん体に触れて汚したのやて、そう思った時のあのどす黒くて重たい感情は、あれは今思えば嫉妬や。

俺はあいつの一番の親友やから、俺はあいつにだけは、俺の父親が俺達家族を、よそのおばはんを孕まして、俺らのことをゴミみたいにして捨てたのやと正直に話して聞かせていたし、あいつはあいつで

「俺なあ連れ子やねん。お母ちゃんて未婚の母いうんか、結婚せんまま俺のこと産んでん。俺のホンマのお父ちゃんて外国人らしいわ、せやから俺の髪とか目とか茶色いしあの家の中で俺1人だけ妙にでかいやろ。ほんで俺が3つの時に、お母ちゃんが北新地でホステスしてた店に付き合いで連れてこられた今のお父ちゃんがな、お母ちゃんに一目惚れしてしもて、それがもうアホみたいなベタ惚れで、土下座してまで嫁に来てくれて言うて、ほんで今日に至るねん。姉ちゃん達は父ちゃんが逃げられた前の奥さんの子や。だって考えてみ?俺のお母ちゃんと、スガんとこのおばちゃんは同い年やのに、ウチのとこの双子の姉ちゃんが俺の10歳上ておかしいやろ、それやとお母ちゃんが12歳の時に姉ちゃんらを産んだことになってまう」

意外と誰も気にしてへんし気づいてへんのやけどな、俺にも実は色々あんねや。そう言うて俺にフジノにとっての一番の秘密みたいなもんを明かしといくれてやな、彼女?女?そんなんが出来てたのをなんで俺に言うてくれへんのや。俺は体育館のバスケのコートの中に走り込んで、そこにいたフジノの腕を掴んで引っ張って無理やり体育館裏に連れて行き、そこでフジノのみぞおちを一発膝蹴りしてフジノの長身が俺の背丈よりやや低く屈んだところにアイツの首元に飛びついてヘッドロックをかまし、ほんでこう言うた。

「フジノ、オマエ、3年の橋本先輩と付き合うてるてホンマか」

「付き合うてるて言うのか…スガ、痛い、痛い、痛い!」

ギブギブギブ!フジノがそう言うて俺の腕をバシバシ叩いたので、俺は自分の腕の力をほんの少し緩めてやった、そうしたらフジノは、付き合うてるとかいないとかではない、それ以前に俺にとっては一番嫌悪する、憎悪の対象になる、ほんまに恐ろしい事を俺に言うたのやった。

「その…アレや、夏休みの終わりにな、先輩に突然『付き合おう』て言われてん」

「そんで?オマエ、橋本先輩のこと好きやったんか、俺ようしらんけどその人、カワイイねんろ」

「イヤ別に俺からするとふつうや、どっちかと言うとスガのほうがカワイイ。でもな、先輩の家に呼び出されて、そこに行ったら『うちと付き合うたらおっぱい触らしたる』てブラジャー見せながら言うてくるもんで」

「はあ?そんなんでオマエ、触ったんか、あんなん脂肪のカタマリやぞ」

「いやその…まあ触るくらいならええかなと思て、ほんのちょっとだけや、ほしたら今度はやらしたるて言うからな…」

俺はこの時、屈んだフジノの肩を抱くような格好で、表面上は必死にいつもの表情を、いつもようフジノに「あほか」っていう時の、やや呆れたような表情を必死に作り平静を装っていたのやけれど、制服に包まれている背中には冷たい汗がつぅっと伝っていくのがようわかったし、指先は血の気が引いて酷く震えているのもわかった。

「オマエ、先輩とどこまでやってしもたんや、俺に言うてみ」

俺は静かに、しかし有無を言わせへん声色でフジノを詰問した、そうしたら

「違うねん。いくら何でもそんなんコワイわて、勃つもんも勃ちませんて言うて俺、逃げて帰ってんて」

そう言うてから、こんな情けない話、恥ずかしいから他のやつには絶対言わんといてくれというて、フジノは屈んだまま俺に覆いかぶさるみたいにしてぎゅうっと抱きついてきた。そうしたらアイツは俺より一回りでかいモンやから俺があいつの内側にすっぽり埋まるような形になって、ほんでも辛うじて背中に回せた右手で俺はあいつの広い背中を

「なんやそれ、情けないていうか、ほんまにアホやなオマエは」

よしよし、そう言うてそっと撫でてやった。俺はフジノの告白を聞いて少し笑ってから涙が出るほど安堵して、そうしてこの時、俺は世界が壊れて崩れて真っ白になっていくような、そんくらい恐ろしいていうのか驚愕するような出来事が、もうずっと以前から自分の中に静かに起きていて、それはもう強固に完全に出来上がってしもているのやて、その事実に俺は気が付いてしもたんや。

結局その橋本先輩て言うのは、ほんまは3歳年上の高校生の彼氏がおって、そいつが大学受験で忙しいて全然構うてくれへんようになって、喧嘩が絶えなかったのらしい。それで橋本先輩は同じ中学の後輩で、中学生にはとても見えへんモデルか俳優みたいな外見のフジノを当て馬に使うたんや。

「アンタが構ってくれへんならうちは年下の恰好のええ子と遊んどく」

そんなとこやろ。まあ、当のフジノは半裸の先輩を目の前にして怖気づいて逃げ出すような、意気地のない、色々とあかんヤツやった訳やけど。そうしてフジノは結局俺が誰にも言わへんでも、多分その橋本先輩いうのが面白おかしく友達にフジノのことを話してきかせたのやろな、何となくその「当て馬事件」の事実を周囲のみんなに知られてしもて、同級生の特に同じ陸上部の男子に

「お前なあ、遊ばれるどころか当て馬の噛ませ犬やってんぞ、アホか」

「イケメンの持ち腐れや、折角やし1ぺんくらいやらして貰えばよかったのに」

「いや、そこはやらへんでホンマによかったで、絶対ややこしい事になった筈やて」

そう言われて、暫くの間みんなのオモチャていうのんか、格好のネタになっていた。まあみんな、フジノのその屈託のないちょっとアホで見た目に反してヘタレでかなり情けないところが大好きなんや。

そして俺も、フジノのことが大好きなんや。

でもそれは、他の男友達のみんながフジノを、憎めへん、カワイイヤツやと、そう思てるのとは全然違う『好き』なんや。

俺はフジノの着てるもんを全部剥がして脱がして、その柔らかな髪に、唇に、内側の粘膜に、とにかく全部に触れたいて、他の奴に触らすのなんか絶対に嫌やて、全部俺だけのモンにしてどっかに閉じ込めておきたいて、そう思てる人間なんや。

俺は確かに女の身体を嫌悪して、その内側にあるものなんかひとつも見たない、仮に見てしもたとしても、俺のだいじなとこはひとつも反応せえへん、せやから自分は草太て、名前の通り植物みたいな性欲とは無縁の人間やと、そう思ていたのに。

俺はこの頃、自分のフジノへの感情を自覚してしまった時から頭ん中で、特に布団の中でフジノのことを少なくとも100万回は犯しとる。

『俺はもうコイツとは長く友達でいてられへん、心が、身が持たへん』

そう思った14歳の秋、どのみちフジノと俺では学力にかなり差があるし、連れ子や言うてもフジノは『菓子匠 藤野』の跡取り息子で、家では下にも置けへんて言うのんか、周囲から「あの子、お父さんと似てないけどでも実子やろ」てだれにもひとつも疑われへん程家族に愛されて大事にされてんねんし、どっかそこそこの大学が上についてる私立高校に推薦かなんかで行くやろ、そんで俺はすぐそこの、あいつには流石に絶対無理やろてレベルの府立高校か国立の付属校に行き、そこで静かに、今は互いに固く繋いでいる手を指を離そうと、そう思ていた。

どんなに想っていてもそれを告げることも気取られることすらあかん、生涯あいつの服の内側に触れる事は赦されへん、俺の想いは俺の内側に蓄積されるだけ蓄積されて腐敗してそんでもひとつも消えていかへんまま、いつか俺のことも静かに腐らせていってしまう。

こんなんは恋とは言わへん。一種の拷問や。

そう思ていたのにや、18歳のフジノと俺は同じ高校の同じ理系クラスにおる。お陰様で高校3年間同じクラスで同じ陸上部で俺が部長であいつが副部長や。

これ一体どういうことやねん。

まあこれは半分かそれ以上俺に責任ていうのか原因のある事で、中2の終わり頃、俺が成績上位者の特待生枠で、フジノが満額月謝を払って通うていた駅前の学習塾の模試の志望校判定を互いに見ていた時、フジノが俺の結果を覗き込んで

「うわ、スガ、全部A判定やんけ、どうすんねん今からそんなんで」

そう言うて自分の、まあその色々と中々どうしてな模試の結果をぺらりと俺の目の前に差し出してきた。どうよ、と言うて。

「うーん…何ちゅうか、フジノはほら、内申は凄いええねんからもう3年の秋に推薦で私立に行く事にしといたらええやんけ、関大とか立命とかの付属があるやろ、な?」

フジノは、救いようのないアホかて言われたらそうでもないのやけれど、問題文を最後までちゃんと読まへんとか、解答欄をフツウに間違えるとか、漢字のへんとつくりを逆に書くとかとにかく「おまえちょっとしっかりせえ」と言う感じのミスが多すぎるヤツで、普段誰にでも優しいてひと当たりが良くて、せやから教師ウケも最高で内申は物凄くええのに試験がもうとにかく悲惨で、せやからこそ早い段階からフジノのとこのおばちゃんもおじちゃんも、じいちゃんまでもが

「颯太は、推薦もろて私立、てことでええやないか、お姉ちゃんらとおんなじ大学の付属とか」

そう言うていたし、俺もそうせえと言うていた。せやのに当のフジノは

「そんなん嫌や、俺はスガと同じ高校に行く、高校も一緒に陸上やるんや」

アレは確か中3の春や、塾のテスト後にあった保護者面談の時からそう言うて聞けへんくなった。こん時のフジノの成績いうのが、例えば学校の定期テストやと、真ん中からちょっと上くらい、対して俺は学年で一番で、それやったら俺が志望校のランクを落とすとか、もしくはオマエとおんなじ私立を第一志望にして俺が特進、オマエが普通とかに行くて、そういうことかとフジノに聞いたら、フジノは激しくかぶりを振っていやそうやないねんと言う。

「違うで、俺が超勉強してお前が第一志望にしとる府立に行く、それでええやんけ、それで万事解決や」

そう言うて、フジノは春季大会が終わったら死ぬほど勉強して俺が第一志望にしている近くの府立高校を受けると言い出した。この頃、うちのお母さんは仕事にも慣れて次は介護福祉士の資格を取るのやと言うて張り切って勉強していて、椿はもう小学3年生になり1人で数時間の留守番くらいはできるようになっていたし、家族の生活は穏やかに落ち着いていた。せやけれどウチは母子家庭で、中1の夏に倒れて足の悪うなったひいおばあちゃんは年金でグループホームに入居してはいたけれどそれも細々とお金がかかるし、あのクソ父は養育費を出し渋っていて時折止めよるし、俺の家には一切の金銭的余裕ていうモンが存在していなかった。せやから私立の高校は俺には無理や、仮にどっかの中堅どころの私立の特待生枠を狙うたとしても、そして受かったとしても、全部家から遠くて交通費がえらいかかるしそれもあかん。俺はフジノにそういうのを全部正直に話していて、せやからこその

「おんなじ『公立』に行く」

という話なのやけれども。

「万事解決やあれへん。俺が狙ってんのて府立のあそこの、それも文理学科やぞ、公立のほぼトップや、言いたくないけどオマエの成績やとこれ…ホラ、偏差値が20は開きがあんねんぞ、いくら内申がどちゃくそええオマエでも当日の試験で絶対コケる、まず無理や、大体オマエ四則計算もいまだに間違うやんけ」

「そんなん、やってみいひんかったらわからんやんけ!」

俺がフジノのテスト結果をチャートにしてあるカラー刷りのA4の用紙を指さしながらそう言うてんけれど、フジノは俺の言葉にひとつも臆さず、真っ直ぐに俺の事を見て、だって俺は絶対にスガと一緒の高校に行きたいねんと叫ぶみたいにして言うたのや。そのことが俺は嬉しかった、嬉しかったけどほんまに辛かった。だってオマエはそうやって俺の後ろをいつも追いかけてきてくれて、俺の事大好きやて一番の友達やて言うてくれていてもやな、絶対に生涯、未来永劫、俺のモンにはなってくれへんねやろ。

大体この頃、フジノは、中2の時の『当て馬事件』の一件をひきずっていて

「女て怖いよな、俺は男同士でつるんでんのがええわ」

なんて言うていた癖に、中3の春や、陸上部に吉本いうて、俺らがいつもよう行く焼きそば屋の『おかもと』て店の優しいおばちゃんの、あれは娘なんか孫なんかようわからんのやけれど、とにかくそこが家やと言う背の高い、ほんでものすご頭のええ、しかし確実に変人やろてわかる綺麗な女の子が入部してきたらそいつのことを

「杏奈」

て呼び捨てにして呼び、俺はまずそれに物凄くうろたえた。それで

「フジノ、おまえ何で吉本さんだけ名前で呼び捨てなんや、後輩やろうが何やろうがまずは苗字に『さん』を付けたれ、オマエ副部長やぞ見本を示せアホ」

俺はこの時は部長をしてたわけやし、フジノにそう言うて注意した。そしたら

「いやあいつ俺の従姉妹の友達で、ほら1年に杖ついて歩いてるちっこい女の子がおるやろ、石塚菜穂て電気屋の子や、知らん?その子の親友やから昔からよう知ってんねんて、おもろい奴やねん、あいつと昔そこの川でフナ捕まえたりしててん」

そう言うて呼び名は改めへんまま、ようその吉本に部活中ちょっかいをかけていた。確かに吉本は足は速いし中1の段階でフジノより確実に賢いし、要らんことは言わんし、ほんでも必要なことはっきりと相手の目を見て話す、なんて言うのか女子に嫌われるタイプの変人で、せやから逆をかえせば女の女らしい嫌なとこの全然ない面白いヤツで、俺にしては珍しく性別の壁を越えてええやつやて、可愛い後輩やて思えていたのやけれど、俺は例えばフジノが練習の後に吉本のことを

「杏奈!オマエそのレモン石鹸でアタマを洗うな!髪の毛がごわごわになんぞ、ほんまにもうアホか!」

幅跳びしたらコケて頭が砂だらけやと言うて、それを外の水道でそこにずっと置いてあった化石みたいな石鹸で果敢に洗髪しようとしていた吉本を呼び止めて注意する時『杏奈』て躊躇なく名前で呼ぶ。それだけでもう俺は世界が明日終わるみたいに哀しくて、左側の胸がちくちく痛くて、そして泣きたい程辛かった。

せやからこそ、俺は『そんなん嫌や、俺はスガと同じ高校に行く、高校も一緒に陸上やるんや』てフジノが言うてくれた時、それがあんまり嬉しくて、俺もまだずっとフジノといたいねんて、今繋いでる手をまだ離さんといてくれて、そう思ってしまったのや。オマエが俺の世界からいなくなったらそれは俺がいなくなんのとおんなじ事なんやて。それが例えば俺自身にとってどんな拷問やとしてもや。それで俺は

「フジノが、絶対俺とおんなじ高校にどうしても行くて言うのやったら、俺が一緒に勉強したる」

一緒に頑張ろうて言うてしもたんや。それで春季大会が終ってからは毎日一緒に塾の自習室に行き、夏休みはアイツの家のアイツの部屋で一緒に勉強をした。と言うより俺がひたすら家庭教師みたいにして横に張りついてアイツの勉強をみたったんや、それがまた俺にはとんでもない拷問やった。

だって俺は15歳になるとこで、一番自分の感情いうのんか、平たく言うと性欲や、それが全然制御でけへん時期にや、四六時中自分にとって一番の性愛の対象であって、すぐ手の届くところにあるうなじやとか鎖骨やとかに否応なしに欲情してしまう、そういう相手が隣におるねんぞ、もう煩悩との闘いて言うのはこの事かてほんまにそう思うたし、これはいつか涅槃いうのを俺は解ってしまうのちゃうかて本気で思たもんやった。せやから、夏休みの終盤、あれは塾の志望校判定テストの直前や、クラスの担当の先生に「ここでせめてB判定、いやC判定を出してくれ、たのむ颯太」て言われて必死になっていたフジノが

「あかん、眠い、スガ1時間だけ寝かして」

そう言うて自分の部屋のベッドに仰向けに寝転がって3秒で寝息をたて始めた時、俺はきっとほんの少し魔が差したんやろな、あいつに触ったろて思ってそうっとあいつに手をのばしたんや、て言うてもその「オマエ、髭生えへんなあ、下の毛あるんかそれで」と男子の仲間にからかわれていた顔というのかつるりとした頬の所をほんの少しだけ、指先だけで触らしてもらいたいて、そう思っただけなのやけれど、それをフジノのアホが俺を

「武蔵?」

武蔵ていうのは、アイツの家の飼い犬で、黒いラブラドールレトリバーなんやけれど、武蔵と勘違いして俺の腕を掴んで自分の寝床に引っ張り入れたんや、武蔵は元々大きい犬種のラブラドールの中でも、多分飼い主に似たのやろうな、かなり巨体の、俺とそう変わらん位の体重のあるでかいやつで、そしてここも飼い主に似たのやろ、えらいアホな犬やった。そんでフジノは俺の事をその武蔵やて思て、布団の中で俺を抱きしめて撫でくり回すもんで俺はもうどうしていいかわからんで、これは事故やからなて、全部お前のせいなんやぞて思て、武蔵がフジノや俺にようするみたいにアイツの口元を舐めてそのまま暫く唇をそっと吸った。そんだけで俺は体が頭の先から爪先まで痺れて、正直ちょっと勃ったし、ホンマにおかしくなりそうやった。

そして、痺れた体で頭で、こんなことを心から、強く願った。

もうどっちでもええからフジノ、俺ん中に挿れるか、オマエん中に挿れさすかしてくれ。

当然、そういうのを俺はひとつも出来へんかったし、あいつの服の中に俺の手を滑り込ませるような真似も一切できへんかった、ただキスして俺が勃ってしもただけや。大体この時はアホやけれども耳のええ武蔵が「呼んだ?」て顔でフジノの部屋に嬉しそうに駆けあがって来てしもて、結局2人して近くの川まで武蔵の散歩に行く羽目になったのやし。

そういうのを全部乗り越えて、フジノと俺はその次の年の3月、俺は合格ほぼ確実のA判定ではあったものの、フジノは結局最後の模試ではD判定で、塾の担当講師の先生には

「まあ、まだ私立がありますから…」

そう言われていた府立高校の文理学科に2人して合格した。受かれば奇跡や絶対無理や受かったら俺は逆立ちして校庭を走ると言うていた中学校の担任の先生は逆立ちの練習をする羽目になり、フジノの家で俺は「うちのアホの方の颯太が合格できたんはずっと一緒に勉強してくれてた草太君のおかげや」と永久にタダでどら焼きを食べられる権利を貰ってしもた。別にええのに。

そして俺は合格者の受験番号が模造紙に印刷されたのが一斉に掲示された高校の前庭で、連番になっていた俺らの番号を見つけた瞬間、フジノにお前のお影や、ありがとうて抱きしめられて、そん時に心から

(このまま殺してくれ)

本気でそう思ったのや。これからまたあの幸福な拷問が静かにそして絶えず3年間続くねや、今、フジノに抱きしめられたまま殺されるか、それか不可抗力の何かが、例えば隕石が俺らの上に落ちてきてフジノ共々死にたいて、そう思たんや。

まあ、そんなこと、一切起きへんかったし、俺達は今現在高校3年生で、普通に生きているのやけれど。


そんでももう、俺達はこれでお別れや。

俺は今日、あいつを駅に送って行く。アイツは神奈川の大学に行き、俺は大阪に残る。俺が14歳の秋にあいつへの気持ちに気が付いて、そんでこの幸福な拷問が続く事が耐えきれんて、高校は絶対に別々にしようと、そう考えてから、まさかの3年の期間延長が決まり、そんで今日やっと俺はあいつと物理的に離れることができる。

距離があれば、あいつの息遣いがもう近くになければ、あいつの背中に触れる事ができなければ、あとは時間が俺のフジノへのこの通算5年分の気持ちの息の根をきっと静かに止めてくれるやろうて、そう思ている。

フジノは、東京の、違うわ、東京にでかいキャンパスがある、しかしフジノの行く学部は神奈川県の藤沢て関西の俺らはあんま聞いたことの無い場所にある私立大学の獣医学部に2次募集でぎりぎり滑り込んだ。せやから引っ越しや。俺は地元の国立大の工学部に前期合格して家からそこに通う事にしている。

アイツは、フジノは最初は俺と同じ高校に入ってまた一緒に陸上をやるていうのが目的やった訳で、大学なんかどうでもええ、俺は愛されキャラで顔がウリやから推薦でもAOでもそういう面接一発みたいなやつで関関同立どっかに滑り込んだるわて舐めた態度でおったのやけれど、そして実際2年の最初までは、まあようそんなに赤点が量産できるなていう酷い成績やったのやけれど、その年の6月や、あのアホの武蔵が死んだ。

確か10歳で、大型犬としてはまあまあおっさんの年齢やったのやけれど、人懐こい愛想のええやつやったし、フジノの家族も、商店街のひとも、ウチの椿もお母さんも残念がって淋しいて言うていた。なんでもお腹に悪性の腫瘍ができていて、それで数ヶ月、ここからは結構な距離のある大学附属の臨床センターて動物病院に入院させて手術もしたのやけれどあかんかったのらしい。フジノは元々優しいてものすご情のあるやつなもんやから、その落ち込みようは大変なものやった。

大体、俺は犬で学校を忌引きをするヤツを初めて見た。

気持ちは分かるで、武蔵とは俺もよう淀川の河川敷でボールを投げて遊んでやったし、あの高校受験の夏、少し休憩や言うてはあいつの腹を枕にして昼寝もした、アイツはアホやけれど俺が起きてたら寝えへんで話し相手になってくれる、飼い主に似たんか情のある犬やった、まあ犬はしゃべらんのやけどな。そんでそん時に俺と武蔵の隣でぐうぐういびきをかいているフジノを俺はちらりと見て

「なあ武蔵、俺、フジノの事が好きなんや。ほんまに好きなんやけどな、せやけどこれは一生本人には、絶対に死んでも言われへんねや」

そんでもお前は知っておいてくれと言うて、武蔵にだけは俺のフジノの気持ちを打ち明けたんや、せやから武蔵は俺の気持ちを世界で唯一知っているヤツやったし、俺かて淋しい。せやけどフジノ、忌引きしてその後4日休むてオマエ。

そんで俺が武蔵が死んで5日後や、学校を休んでずっと部屋で泣いてるて言うフジノを訪ねてフジノの家である『菓子匠 藤野』の店を尋ねたら、フジノのおばちゃんが「颯太、武蔵が死んでから泣きっぱなしで全然なんも食べへんのよ」て心配しているし、双子の姉ちゃんが両方出て来て「あの子の気持ちはわかるけど、泣き声が煩くて寝てられへんから草ちゃんなんとかして」言われてアイツの部屋のある2階に連れていかれた、そうしたら姉ちゃん達が言うてた通り、アイツは本気で子どもみたいに泣いていて、俺が

「おい、大丈夫か、泣きすぎて脱水おこすで」

そう言うて、買ってきたファンタグレープを手渡してやったらフジノはそれを受け取らずに俺にぎゅうと抱き着いてきた。スガ、俺は今ものすごい純粋に哀しいていうて。

「逆に聞くけどやな、無粋に哀しいてことあんのか、元気出せ、オマエがそんなんでは武蔵が成仏できへんやろ」

この頃の俺はもう片思いも上級者の域に達していて、フジノが抱きついてくるくらいのことでは、もう動悸がするやとか、顔面が上気するやとか、下半身が反応するやとかその手の生理現象を何とかやり過すことができるようになっていた。そうでなければこんな不毛な恋を抱えたまま何年も生存することなんかとてもできへん。

「無粋の意味がわからん。せやけどな、俺は決めたぞスガ」

「アホ、国語辞典ひいとけ。ほんで何や?何を決めたんや、オマエ明日は学校に来れるのやろな、オマエがおらへんかったら陸部の1年が淋しがるやろ」

「俺、獣医になるぞ」

「は?」

こん時のフジノは、武蔵の病気をもっと自分が気を付けてやっていれば何とかなったのと違うのかと、本気で悔いていた。俺が飼いたいて言うて飼い始めて面倒見てやってたヤツなのにて。そんでその罪滅ぼしていうのんか、同じような犬が沢山おって、ほしたらその分おんなじ思いをする飼い主もおるのやろて、そんでその助けになんねやて「獣医になる」と突然言いだしたのや。おい、そんなん言うたらおまえんちの家業の和菓子屋はどうすんねや。

「和菓子屋は姉ちゃん達が実質継いでしもとる、家から出る気があらへんでアレは」

「せやけど獣医学部て簡単やないぞ、医学部並みのアレやぞ」

「知ってる、せやから何とかしてくれ」

「は?何で俺がお前をなんとかできると思うねん、お前、その顔面偏差値の高さだけで推薦もろて関関同立のどれかに滑り込むて言うてなかったか」

「スガはこれまで俺の不可能を全部可能にしてきたやんけ、頼む、合格できたらなんでもスガの言うこときいたるさかい」

「なんでもて何や」

「なんでもは何でもや」

それってセックスでもか。

とは、とても言われへんかった。ほんでも俺はフジノの志はええと思た。実際なんも頑張らと適当に私立に推薦ていうのももったいない、中3の時の頑張りを見てた俺からするとこいつは実のところアホではないとよう知っていた訳やし、それに俺が第一志望にしとる国立と、こいつが適当に受かるんちゃうかて舐めたこと言うてる大学はおんなじ街や、そんなことになったら今度はまた4年一緒に通学てそれどんな地獄や。

せやから俺はまた一緒に頑張った、多分高2の夏からでは国公立の獣医学部はオマエでは無理や、せやからおばちゃんに「高うつくけど私立に入れて欲しい」て頼めと言うたんは俺や。実際こっちにある国公立の獣医て言うたらアイツでは100年努力しても到底歯が立たん、私立ひとつくらいなら何とかなるやろ、そしてそれは大体がここから遠い他府県や、フジノ、今度こそ俺とお前は遠くに離れよう。

そうして一つだけ合格したのんが東京にあるフリをした神奈川の大学で、今日あいつは何を考えてんのんか始発で、青春18きっぷでそこに行くのやそうや。アホ、新幹線があるやろと俺が言うたら

「えっ、せやけど青春18きっぷて今しか使えへんねやろ」

「違う、それはただの商品名ていうか。もう…ええわ、行きかたは分かってんのやろなフジノ、気が付いたら福岡におったとか、そういうのやめてくれや」

「わかってるわ、せやけど東京って意外に遠いよなあ、この静岡がでかすぎるねんな」

「アホ、お前の行く大学は神奈川県の藤沢市やぞ、東京と違うねん。おばちゃん、大丈夫ですかこれ」

既に新居の学生寮に大体の荷物を送ってしもて、あとは本人を送り込むだけという状態でもこの調子のフジノが俺は本気で心配で、あの中1のころから何かとお世話になった藤野の女将であるおばちゃんにそう聞いてしもた、フジノがこれではおばちゃんも気が休まらんやろと思て。そんでもおばちゃんは

「この子なあ、意外と頑固で言い出したら聞けへんのよ、もうやりたいようにさしとくわ」

そう言うて少し寂しそうに笑った。おばちゃんとおじちゃんは、俺とフジノの事を「特急が止まる駅はちょっと遠いしお店の車で送ったる」て言うてくれてんのに、もうこれが最後やしほんのり暗い明け方の町を自転車で走りたいてフジノが言うて聞けへんもんで、店の前でおじちゃんと双子の姉ちゃん、それからじいちゃん、家族総出で俺らの後ろ姿を朝もやの中にずっと見えなくなるまで見送ってくれた。

「オイ、何で俺の自転車で2人乗りなんや、重量オーバーでパンクするわ、お前はお前のんに乗れや」

「だって俺、もうこれでここには暫く帰って来えへんねんで、その間駅に自転車置いとけへんやんけ」

「…そうか、そやな」

フジノは、俺の方が確実に重いからと言うて俺を後ろに乗せて明け方の町を走った。当然や190㎝台まですくすくのびのび育ちやがって、俺なんか171㎝止まりやぞ。俺はそう言うて自転車の後ろに跨りフジノの大きな背中にちょこんと掴まった。まだ日が昇り切らない、ほんのりと夜の闇の名残のある町は静かすぎるくらい静かで、誰も居てない、なんか世界中に2人だけみたいや。

「流石に俺とスガで2人乗りはきついか、ペダルが重いわ」

「なんやそれ、主にお前が重いんねんぞ、俺今体重50㎏ちょいや」

「うっそ何やそれ、スガ、オマエちょっとした女子やんけ」

「オイ後ろむくな危ない、前見とけ前」

フジノが道の真ん中で俺を振り返ろうとしたので、俺はそれを制した。やめてくれ絶対前むいといてくれ、そう言うてから俺は今度はフジノの腰に腕をまわしてしがみついた。俺はもうなんか泣きそうやった、嘘やもう泣いていた。俺はそんな自分の顔を絶対にフジノに見られたくなかってんや。

始発を待つ駅で、俺達はどうでもええ話をして時間を待った。どうして人間は、誰かとの最後の大事な時にどうでもええことしか頭に浮かべへんのやろ。

「スガのおばちゃん彼氏ができたのやて?」

「そうやねん、驚きの10こ下や、おんなじホームに努めとる理学療法士さんや、ええ人やで、もう再婚したらええねん。ああ椿がフジノがいてなくなったら寂しいて昨日泣きよったわ」

「つーちゃんにまた連絡するて言うといて、せや、杏奈がお前に使い終わった過去問くれて言うてた」

「吉本?あいつ阪大か?あいつなら京大でも行けるやろ、どちゃくそ賢いもんな」

「杏奈は、あれや、あすこまでいくともう変人の域や」

中3の頃、フジノが下の名前で呼ぶことが哀しいて俺が嫉妬に似た気持ちを抱いていた吉本は、俺らが高校に入った2年後に同じ高校の同じ陸上部に入部し、そん時から幼馴染の筈のフジノよりも、なんでか俺の方になついた。でもそれは俺を男としてどうという訳ではひとつもなくて、志望する大学がおんなじやということと、フジノが吉本の親友の石塚菜穂て子の従兄弟やという理由で馴れ馴れしすぎんのが気に入らへんのやて、吉本が俺に膨れながら

「なっちゃんはウチのモンやのに、何なんアイツ」

そう言うた時、俺は12歳のあの日に心から嫌悪して憎悪した女て言う生き物をほんまに久しぶりに「なんやそれかわいいな」て思えたのや。俺はあの日12歳の6月10日の晩から6年かけてフジノと一緒に、何でかフジノに恋をしながら、少しずつ回復してきたんかもしらん。まあ今かて女では勃ちはせんのやけれど。

「ほしたら、俺行くわ」

「うん、元気でな」

ああこれで最後や、ベルが鳴り、電車が滑り込んで来る。最後に俺は何か言おうとして言葉を探したのやけれど、その前にフジノが先手を取ってこう言うた。

「あのな、俺が獣医学部に行くて言うた日に『合格できたら何でも言うこと聞いたる』て言うてやんか、ほんで俺、大学受かったやんか、アレどうする?」

「はあ?何で今その話なんや、それ前も言うたけどな、なんでもて何や」

「約束は約束やろ、なんでもは何でもや」

「それって、セックスでもか、俺、お前のことがずっと好きやってんや」

するりと俺の口からこぼれ出て来た言葉は自分でもあまりに予想外やったし、多分フジノには相当に予定外やったやろうし、言葉は一度口に出してしまえば飲み込むことなんかでけへん、俺は断頭台に登るような気持ちでごくりと息をのみ、両手をぎゅっと握り締めた。

フジノ俺はお前のことをもう5年も、ずっと好きやて想い続けてきてんや。

そんな俺をまっすぐに見て、フジノは優しくふっと笑った。

「…それはちょっと無理やな、俺もスガのこと好きやけど」

「…せやろな」

冗談や。そう言うた時、電車のドアが静かに閉じて、次にフジノが何か言うた声はもう俺には届けへけんかったけど多分「ありがとう」て、アイツはそう言うたのやと思う。

何が「ありがとう」やクソ、俺は今、人生最初にして最大の失恋をしたんやぞ。

俺は始発が到着して少しずつ賑わい出した街を、線路沿いに泣きながら自転車で走った、なんや世界中に1人みたいや、フジノはもう隣にいてない、俺はもうアイツに振り回されんでええ、予定外に長く続いたあの幸福な拷問はこれでもう終わりなんや。

それは安堵なのかそれとも感傷なんか、全然わからん、わからんまま俺は遠く、線路沿いに点々と植えられた桜のを眺めてなんや知らん「ありがとう」てひとこと呟いた。

ありがとうフジノ、俺、お前のことホンマに好きやったんや。



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