潜在的不登校
文部科学省の調査によると、2023年度の小中学校における不登校児童生徒数は過去最多の34万6482人であるらしい。
このニュースを目にしたわたしがまず考えたことは「不登校の定義というのは一体なんやねん」ということだった。質的調査を伴わない数値的調査がなされているということは、そこには不登校児の定義があるということのはず。ですよね?
それを探るべくアマゾンの奥地になんて行かなくても、定義はちゃんと文部科学省のホームページに記載されていた。そしてこの「アマゾンの奥地」の元ネタ、子ども達はアマゾンのことをAmazonだと思い込んでいて、いやそれAmazon摂津倉庫の話とちゃうでと簡単に説明してやると、なんと彼らは藤岡弘氏のことをひとつも知らなかったのであった。なんてころ、仮面ライダーやぞ。
それはまあさておき『不登校』とは 「何らかの 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、 登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を 除いたものを指すのだとか。
ということは、普段学校を休みがちで、もしくは朝の登校前「いきたくない…」と言っておふとんの上でぽろりと涙を流し
「それなら学校まで送ってあげるから、行こ、な?」
そのように促されてしぶしぶ登校しているという子はここには含まれないのだ。この現象もわりと大変なことだと思うのだけれど。
例えば、うちの6歳のひととか。
4月、空色のランドセルを背負って意気揚々、入学した小学校に、6歳はいまぜんぜん行きたくないのだそうだ。
それは、秋晴れの涼やかな天候に恵まれた10月終わりの運動からしばらくして、ある日突然起こった。
ある日、7時半という、8時自宅出発という予定時間を鑑みるとデッドラインですらない時間にお布団の山の中からひょっこりと顔を出した6歳のひとは、眼球の上にうっすらと涙の表面張力を作ってこう言った。
「がっこう、いきたくない」
それで、あわてたわたしは理由を聞いた、何かいやなことがあったの、お友達と喧嘩でもしたの、もしかして体調がわるいの?でもその質問の答えはどれも「No」であって、なんとか本人から聞きだした言葉のエッセンスを結んで繋げて解読したその「理由」は
「ちょっと前に教室の窓ガラスが割れたのが怖かった」
というものだった。教室の環境が怖いのだそうだ。
確かに6歳のクラスは、「その力で発電でもしとき」とでも言いたくなるような元気印が粒ぞろいで、その子達それぞれは大変に可愛いし、別に誰も悪くはないのだけれど、その個々人を集めて攪拌すると危険というか、揉め事が日々頻発する。
ついこの前も昼休みに喧嘩が勃発、そこで弁の立つお友達の挑発に乗ったひとりがなにやら重量のあるものを窓ガラスめがけて投げつけたらしい。わたしが5時間目の終わりにいつものように6歳を迎えいくと、前庭に面した窓ガラスの一番端っこが「とりあえずあてときました」のダンボール窓仕様になっていた。尚、教室の窓ガラスが誰かの故意というか過失によって割られたのはこれが2回目だったりする。
6歳はそのことを言っているらしい。
わたしはこの6歳の他に、大人しい女の子(6歳の姉、現在中学生)とあとひとり、小学校時代には、授業中ひとつもじっとしていない、寄ると触ると喧嘩をし、何なら低学年の頃に教室のガラス窓を割った過去もある男の子(6歳の兄、現在高校生)を育てているので、クラスの窓ガラスが割れたと聞いて
「へー、1年に1、2回は割れるよな、教室の窓ガラスは」
と意にも介していなかったのだけれど、6歳は箱入りというか乳幼児期をバイタルモニターのアラーム音とレスピレーターのアラーム音以外は然程音のない、極めて静寂な病院で過ごし、やっと半分程通うことのできた幼稚園も、穏やか過ぎるくらい穏やかな子ども達の集う幼稚園で、前庭のマリア様のお守りの元にベテランの幼稚園教諭と補助の先生とごく静かに過ごしてきたもので、昼休みに元気印の男児が仔犬のように喧嘩をし、授業中時折言い合いが起きて誰かが教室から遁走し、あまつさえ教室の窓ガラスが割られる現在の環境というのは
「やくざの出入りや…」
くらいのインパクトがあったらしい。もしくは大阪府警の立ち入りか。
この6歳は先天性の心疾患持ちで、今でも医療用酸素を手離せない。当然、支援学級に在籍はしているのだけれど、こと大阪の『支援学級』というものは、他府県のものとやや色合いが異なるもので、原学級方式という学校生活のほとんどの時間を普通級ですごす形が基本になる。そのことをわたしは6歳を入学させるまでよく知らなかったし、知ってから驚いたし、説明せえよとも思ったものだった。そしてこの件については「いつか言うたろ」と思っている、教育委員会のエライひとに。
ともかくも、6歳は普通のお友達が何なくこなしている学校生活のあれこれに挑む際、普通の子達の1.5倍くらい頑張りと気合が必要になり、故に学校の中で感じる緊張は普通のコドモ達よりも多くなる。
そうでなくとも元々、体力も血中の酸素飽和度も常人より著しく低い6歳は、ちょっとの具合の悪さが冗談ではなくてそのまま死への不安につながるという人種で、そりゃあ日々不安にもなるし、とにかく疲れるだろう。
ということを、あんまり想像できていなかったんだよなあ、母親のわたしは。
だって、6歳の体というか、病態をもって、普通に地域の小学校に登校しているというだけでもう僥倖なのだ。かつての入院ばかりしていた頃の6歳の様子を知っている人は、6歳が小学生になった姿を見て皆驚く。その上何故か感染症に矢鱈と強くて、風邪を引いてもインフルエンザにかかった時すら入院を回避してきた。だからわたしはこの子を「とにかく強い子や」と思っていたし、周囲からもそのように言われてきたけれど、それは病気のお友達の中ではということであって、普通の、元気なお友達の中で6歳は、入学から今日まで相当なガッツで彼らについていっていたのだと思うと。
「…なんかすんません」
という気持ちになった。
どんなに気を付けていても、日常でケアすることの多い、それだから常に6歳の隣に控えているという、通常よりもやや過密な母子関係を続けていると、時にこういう齟齬がおきる。自分と子どもの意識を上手く切り離せないのだ、自分が感じていることの集合に子どもの感情が含まれると思い込んでしまう。
―あなたは強い子。
それはあくまでわたしの希望的観測であって、待望する楽観であって、6歳にとってしんどいことの範疇は普通の子よりもかなり広いし、怖いものの荒野はさらに広大だ。そうでなくても6歳児の中には46歳のおばさんの屈強さは欠片も存在しない。
そこにあるのは瑞々しい臆病さと、小動物の繊細さ。
ということで昨日は学校を1日お休みしてわたしとお家でおうどんなどを食べ、今日はすこし遅刻をして登校した。給食の前の教室のザワザワが怖くなってほんの少しだけ泣いたらしいけれど、明日は漢字のテストがあるので「行こうかな」とのこと。
今?今はお部屋ベッドに転がって、何をしてもまず怒らない優しいねぇねと一緒にゲームをしています。