父の遺品は殆ど手元にないが、戦争前や戦時中の家族写真と一緒に古い証書を見つけた。昭和20年に加入した「火災保険証」だった。 内訳は、火災保険と戦争保険と地震保険。…
以前、長崎原爆資料館で永井隆博士夫人の緑さんの遺品であるロザリオをみたことがある。ガラスが溶けて原型は留めていなかった。緑さんは亡くなるまでロザリオを離さなかっ…
Midori Takada
2017年8月15日 00:57
父の遺品は殆ど手元にないが、戦争前や戦時中の家族写真と一緒に古い証書を見つけた。昭和20年に加入した「火災保険証」だった。内訳は、火災保険と戦争保険と地震保険。保険会社の記述を調べてみたところ、火災保険に加入すれば戦争保険契約を申し込まなくても自動的に戦争保険契約が成立することになり、地震保険が附帯すると記されていた。昭和20年4月12日に郡山空襲があったために、急遽、加入したのかと推測さ
2017年8月13日 12:41
以前、長崎原爆資料館で永井隆博士夫人の緑さんの遺品であるロザリオをみたことがある。ガラスが溶けて原型は留めていなかった。緑さんは亡くなるまでロザリオを離さなかったという。永井隆博士が、子どもに残した言葉は、今の世を予測していたかのようだ。悼む。「長崎の被爆者永井隆博士の遺言」いとし子よ。あの日イチビの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、かやのよ、お母さんはロザリオの