100日後に国際協力をやめる日記
100日後に国際協力をやめる日記。
そう題して書こうとしたのが一月。何にも書かずにもう三月も末になってしまった。新たに就職をする人、あるいは新たな職場へ転職する人もいるかもしれない。そんな季節になってしまった。さて、僕はと言えば、一月に決心したとおりに三月末で国際協力からは離れることは決まった。本当は100日かけて、順を追って思い出しながら書いていきたかったのだが、そんな計画的なことはできないまま時は流れ、今になってしまった。しかし、まだ、片足を残している状態で、記憶の鮮明なうちに思いの片鱗みたいなものを書き残しておくのが、なんらか備忘的な役割を果たすかもしれないという淡い期待とともに、少し駆け足になるが、少し書き残しておきたい気持ちが蘇ってきた。
世に何の痕跡も残していない人間が、何を書き残すのか、ということについてだが、やはり、辞めるに至った経緯だろう。その経緯は至極個人的なものであり、主観的なものであり、その世界の一端を覗き見ているに過ぎない。だけれども、その一部こそが全体を形成している部分であることも同時に真実であるのだから、国際協力の業界を志そうなどという、珍妙な考えをお持ちの方にはどこか触れうるところがあるのでは、とも思う。
前置きはそこそこにして、今日は今日は一つ、辞める動機みたいなものを記しておこう。
あ、あと、今回、広く国際協力と言ってしまったけれど、正確には機構の方です。なので、広く見れば、国連機関や多国間銀行などもあるので、そこには触れていませんが、入り口として目指される方も多いかとおもい、このように記載しています。
ロールモデルがいない
これはそれなりに大きな問題だと思う。でも、そもそも、ロールモデルが必要なのか?という問いに対して答えようとすると、実際のところ、必ずしも必要ではない、と言えると思う。それは、自分で道を切り開けばいい世界でもあるから。
でも、ここでいうロールモデルとは、もう少し違った意味合いだ。少し正確に言い直せば、参考にできる/したい先輩や上司が見つからない。という問題だ。これは、上述したとおり、個人的とも言える問題で、「ぼくは」見つけることができなかった、ということ。
じゃあ、どのような人を探していて、それを見つけられなかったの?という問いが浮かぶだろう。それは、ぼくにとっては「組織をうまく使ってやるべきことを成し遂げている人」だった。そういう人が見つかれば、組織独特の合意形成の特徴、キーとなる人材、根回し方法等々、モデルケースとして応用が効く知見が手に入るわけだ。組織ではとにかく調整が大事なので、やりたいことを進めていくにはこういった能力が必要になる。
そして、結論から言えば、見つからなかった。いないとは言っていない。僕が勤務した範囲では残念ながら見つけることができなかった。では、そのような上司、組織体制になっていない中、どのように全体としての意思決定を行うのか。答えはずばり「決定しない」のである。会議はすれども進展せず、の繰り返し。
まず、会議で何を決めればいいのかわかっていない。論点を提示すると、ありがとうございます、重要な視点ですね、と返ってくる。次の会議では、振り返られない。このような惨劇が繰り返されていた。
これではダメだとおもい、メモを作成し、論点を提示した。そうしたら、言質を取られたと感じるのか、「それは見せないで」、と言われる。再びそれぞれが言いたいことを主張する。終わり。これの繰り返しだった。
なぜこのようなことが起こるのか。どうも本当はやるべきことがないらしいのである。ぼくは、先ほど述べたとおり、「組織をうまく使ってやるべきことを成し遂げている人」を探しているつもりだったのだが、どうもやるべきことがないようなのだ。
では、どのようにやるべきこと、できることを決めていくのか。「外務省に説明しやすいか」なのだという。実際のところ、やるべきことは戦略ペーパーとしてまとめている。しかし、何ら参照されない。それはただのペーパーだそうで、実際とは異なる、という答えだった。もうぼくはちんぷんかんぷんで、じゃあなぜ作るのか、と疑問が湧き始める。じゃあ、一体何が説明しやすいんじゃい、と。そんなもん担当が変われば変わるだろ、だから戦略作って承認しとるんやないかい、と。
しかし、この組織では、僕の考えはどうも通じないらしいのである。指摘すると、そんな正論ばかり言っても、とこちらが子供でそちらが大人かのように振る舞ってくる。そうやって、対立を避けることが組織運営の上手い人間だと評価され、課長、次長、部長になっている。だから、組織全体として議論をして何かを決める構造になっていない。議論しない人が意見してこない人を評価し、再生産しているだけなのである。そして、思いついたように方針を変える。今までのことはなかったかのように。下のものは、それがいつものこと、という感じでその変更に渋々とついていく。その無力感が人々を支配し知らず知らずのうちに麻痺し、それを成長と勘違いし、間違った親ガモについていく子ガモたちを量産している。そんな世界で僕の指摘は一匹狼の遠吠えのようにさえ聞こえているのかもしれない。
あとはこんなことも書いていこうかと思います。