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読書感想文『我は、おばさん』を読む

2021年の読書感想文の課題図書を読んでみました。

《おばさんをやってみたいと手を挙げてみる》

この世に生まれ落ちるとすぐに万物にかけられる魔法「1年ずつ年をとる」という術が私にもしっかりかけられておりました。この魔法はゆっくり効いていくので本人にはわかりにくいのです。
気がついたら私はしっかり「おばさん」になっていたのでした。

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その昔、THE BLUE HEARTSが「リンダリンダ」と歌うのを聴いたときに思ったのだ。

「すごく似合ってる」

これまでの経験と今を感じる力と、実現する体力がちょうどマッチしたその年齢で、全部を引き受けてやる事は効果抜群なんだなと感心したのだ。
それをやる人もやる事にもパワーがあって、見ている側も気持ちがいい。その人と仕事が似合ってる。

ああ、私もそう在りたい。
心の隅でいつも思いながら、年齢にあう効果抜群な事、役割を考えるようにしてきた。

そして今、私はおばさん。
じゃあ「おばさん」になったら一体何をしたらいいのだろう?

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そんな事を考えている私が気になった本がこれだった。

岡田育さんの『我は、おばさん』。

この本では、古今東西の映画や書籍から色々なおばさん像を挙げながら、これからの「おばさん」像について考えている。様々なおばさんが居てこんなおばさんも居て、そしておばさんにならない人も居て。
あなたなら何を選ぶのと、何をするのかと問いかけている。
私の「何しようどうしよう」を一緒に考えてくれる本であった。

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少女でもなく老婆でもない、この中間的年代。そしてなぜだか圧倒的存在感。意外と長いこの時期をどう過ごすのかがたぶん、この先続く女人生にかなりの影響を与える予感はする。

おばさんになるまでのそれなりの年月をかけて鍛錬して身につけた、この経験と図々しさをどう使うのか?自分の為だけに使うと、押しの強い迷惑なおばさんになる。でも、人から押し付けられたイメージのために生きる事を拒否する力にもなる。そして他人の為にも使えば、少しおせっかいな親切を臆せず出来るようになる。
私は世の中で、このおばさん力を使ってちょっと生きてみたいと思うのだ。


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善きおばさんとは、次世代を向いて生きていること。頼まれてもいないのに若者の世話を焼くのがおばさんの役割。
いや、それは全世代に目を向けてもいいかもしれない。

役割だからやらなくてもいい。やってみたら面白そうだなと思った人は手を挙げればいい。私達の挙げた手はちょっと筋ばったりシワシワしてるけれど、シワの数は心のヒダの数だから。 

世の中でおばさん役割を持ってフォーメーションを組め。
挙げた手を見つけたら、そこを目指して私はボールを放るつもりだ。そして私にもパスして欲しい。そうしてゆっくりパス回しして、世の中を回していきたい。それを見た下の世代が、「あ、おばさん達がいいプレーしてんな」と思ってくれたらいい。おばさんになってあのパス回しをやってみたいと下の世代も手を挙げてくれればいいなと思う。

私とそのプレーが似合ってる。
そう在りたい。

それを見てこれから気楽にカッコよく言える言葉になっていくといい。

「我は、おばさん」。

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