娘として奮い立たせる感情
『父の面会』
令和6年9月11日(水)
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原発がある伊方町
私が住むド田舎から…
八幡浜市の叔父宅に迎えに行き
車で片道3時間走らせ🚙💨(笑)
父への面会は15分くらいかな?
本当は…5分から10分と予約時には
言われていた。
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施設が変わり初めての
面会。
誤嚥性肺炎で入院して
弱り果てた父を
もう…
お盆まで無理かもしれない💦
と姉妹で話していた。
葬儀の準備何かも把握はしてるけど😅
万全な準備中もしてたくらいだ。
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しかし…
誤嚥性肺炎はとりあえず山を超えて
退院した。
退院しても衰えや寝たきりに近い状態で
新しい施設に写った。
本人の口から
『自分で椅子に座りたい‼️』
と意欲的に行ってリハビリをすると
1日で自分でベットから起き上がり
ベットに腰かける迄に導いて下さったらしい。
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姉達の情報では
機嫌よくやっているということや
食事の量も増えたらしいと
言い光景だと把握していた。
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が…やはり父は父だわ🤣
面会はコロナが流行っていて
一人のみになったので私じゃなく
父が会いたくて本音を言える
叔父にしていただいた。
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ずっと家に帰りたいという
施設入居者あるあるの
『帰りたい症候群』🤣
と1日車椅子で座っている事で
骨と皮だけに痩せ細った身体は
お尻が痛い😖💥と…。
病院からのオムツで
便はオムツでは中々出ないと…
(実際は出てるらしいが😅)
施設側とは違うまだまだ
本性を出していない父は
溜まった鬱憤を叔父に伝えたそうだ(笑)
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最後に出口であえて
私が『又来るけんな‼️』
というと
『来んでも…家に帰りたいわ…』
と呟いた言葉のはきも
スタッフさんや私達も聞き取れずwww
何回か聞いて
叔父が通訳してくれた🙈💦
※私は右側が低音難聴。
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帰りの車の中で…
『最後は家に帰らしてあげた方がエエんや無いか?』
姉妹の意見と個人ではどうにもならない
現実に…
介護職をしていた私は
『最後まで看取れないで情けない…💧』
と涙が溢れながら言葉を詰まらせて言うと
叔父も涙を流しながら…
施設を後に片道3時間の
ドライブをした。
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私が一人だけでも
こんな山奥でしかも
昔話に出てくるような…
薪炊き風呂にボッチョン便所で
段差だらけの古民家で介護するのは
不可能に近い。
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姉妹の協力が無いと出来ないが…
その他はそれすら選択に無い。
もどかしいのと…
何にも出来ない自分に...
叔父を送り40分の帰り道
涙が沢山流れて前が見えなくなりそうで
必死に泣くのを堪えた。
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帰り道の母宅に寄り
叔父から叔母へのお土産を渡し
家路に着く。
ご先祖様へご報告する。
『良き方向へ…導いてください‼️』
後はお任せするしかない💦
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日本は介護問題が多発。
昔の当たり前に親を家で見る
暮らしがすっかり無くなり
共働きをし孫には手を掛けるのに
実の親には手を掛けない
大人があまりにも多い。
『自分の今の存在は両親ありきの自分』
だからご先祖様は尚更敬う志が
あって当たり前。
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私は…次に住む場所は
看取りまで循環する
村へ移住したいと思う。
子供も未来の宝だけど…
それを支えてきたのは
その代々の大人達であり
ご先祖であること。
これをちゃんと教える大人で私は
煙たがられても...
子供達や大人に言うていこうと思う。
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昔の日本に甦れ…
日本人。
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それは自分自身へ
言い聞かせながら…
常に問いながら…
自分と向き合う。
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最後まで読んでくださり
ありがとうございます
(^人^)
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