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12人の上司と働き学んだ成功と失敗のリアル

こんにちは。自己紹介を兼ねて、これまで私がどのような社会人人生を歩んできたのかをお話します。
今日は前回に引き続き第2弾として私の2社目での話をしたいと思います。

前回の記事はこちら↓


最低の始まり

2社目でのスタート。前職SEとしての経験を活かし、B向け(=企業向け)プロダクトの運用進捗管理という新しい挑戦に胸を膨らませていた私でした。

最初の上司Aさんは、常にスマートフォンを見るか、タバコ部屋でタバコを吸いながらお偉い人にへつらうかの二択という人物でした。仕事を教えてもらった記憶はほぼ皆無。全ては先輩たちから学びました。

それでも仕事は順調と思えました。しかし、ある出来事が起きます。

上司Aさん「○○さん(←仲良くしてくださった女性の先輩)も来るから、一緒に食事に行かない?」

待ち合わせ場所に着くと、そこには上司Aさんだけ。翌日、その先輩に確認すると「そんな話は聞いていない」という返事。そして後日の評価面談で、会議室に呼び出され「もっとよい評価にしたければ…(以下省略)」というセクハラ的な発言。

この経験から学んだことは、「管理職と言えども実力が高いとは言い切れない」という残酷な現実でした。

期待と現実の狭間で

その後、社運を賭けた(と思われる)大きなプロジェクトに異動となりました。上司Bさんとの日々は、まるでジェットコースターのような変化の連続でした。

ある企業との協業という難しい課題。日々変わる方針に振り回される毎日。それでも、多くの人の役に立てる可能性を信じて必死に食らいつきました。しかし、このプロジェクトも最終的には終了。再び異動を余儀なくされることになります。

窓際族への転落、そして運命の出会い

上司Cさんと短い期間一緒に働いたあと最大の危機が訪れます。

「既存のプロダクトの運用だけしていてください。リニューアルのプロジェクトには参加しなくて結構です」

担当プロダクトの責任者は新卒入社3年目の後輩。

そんな新卒入社3年目の後輩から告げられたその言葉は、私の自尊心を完全に打ち砕きました。それまでの経験や努力が全て否定されたような気持ちでした。

窓際族として追いやられかけた時期。そんな私を救ってくれたのが上司Dさんでした。

「他部署でちょっと手伝ってほしい案件があるんだけど、興味ある?」

さりげない声かけから始まった上司Dさんとの出会いは、私のキャリアを大きく変えることになります。

転機―本物の上司との出会い

最初は小さな仕事から。そして、徐々により重要な仕事を任せてくれるようになりました。

私がプロダクトのKPI管理を任された時、私は正直不安でした。数字への苦手意識を率直に相談すると、上司Dさんは即座に行動を起こしてくれました。

「マーケティング部門でインターンするような形で、数字の見方を学んでみない?ちょっと話を通しておくよ」

この「即行動」の姿勢は、私にとって大きな学びとなりました。課題を見つけたら、すぐにアクションを起こす。言葉だけでなく、具体的な機会を作り出す。これこそが真のマネジメントなのだと、身をもって教えてもらったような気がしました。

「もっと上を目指すなら、2階級上の職位になったつもりで物事を考えてみるといい」

この言葉は、私の仕事への向き合い方を変えてくれました。目の前の作業だけでなく、会社全体における自分の仕事の位置づけ、そして将来のビジョンまで考える必要性を学びました。

上司Dさんには、よく指摘される欠点がありました。メールの返信は遅いし、出社時間も遅刻することも多々ありました。でも、それは些細なことでした。なぜなら、本質的な部分で私たちを導いてくれていたからです。

一人一人の目線に立ち、個々の課題に真摯に向き合う。派手さはないけれど、確実に部下を成長させる。時には厳しく、でも必要な時には優しく寄り添う。そんな上司でした。

私は必死で応えようとしました。その姿勢が評価され、人事評価は急上昇。「このまま上司Dさんの下で、もっと成長したい」。そう思っていた矢先のことでした。

「広告部門への異動が決まりました」

皮肉なことに、高評価が仇となった。会社が注力していたあるプロジェクト。私が最も苦手とし、避けていた領域のプロジェクトでした。
しかし、異動となってモチベーションが下がった私に半年間内緒で1on1をしてくれるようなやさしい上司Dさん。

今でも上司Dさんのことを尊敬しています。

試練の日々

しかし、その後も道のりは決して平坦ではありませんでした。

上司Eさんは初めての管理職。広告畑の仕事も初めて。広告部門のプロジェクトもまったく進まないし、カタカナ用語が飛び交い面食らう日々。

ここにいるのは違う気がすると半年で上司Dさんのころに担当していたプロダクトの担当に社内転職制度を利用して異動しました。しかし、その頃には上司Dさんは別の部署に異動となっていました。
上司Dさん当時にプロダクトの責任者をしていたEさんが上司になるもプロダクト担当者はかつての3分の1程度になっていました。
しばらくしてプロダクトが終了することになり、再び異動となります。

次は初めての女性上司Gさん。一日の中で人格が変わるかのような感情の起伏の激しさに、私は翻弄されました。

ほぼワンオペに近いような業務を担当。

「自分だけが休めないみたいに被害者ぶらないで!」

上司Gさんに有給休暇を申請した際に渋られ残念に思っていた時に掛けられた先ほどの言葉は、今でも耳に残っています。

その後もいろいろなエピソードが続きます。上司Hさんはストレングスファインダーを活用しながらマネジメントをする上司だったし、上司Iさんとの出会いで驚いたのは、「飲み会=出世」という古い企業文化の存在でした。

仕事の要領は悪くて残業が多くても飲み会に参加する同僚が高評価を得る一方で、私への対応は「自分で考えてみてください」の一点張りでした。

限界との闘い

そしてその後も転々と異動が続きました。

最も過酷だったのは上司Kさんとの日々。
再びとあるワンオペ業務を任され、管理職になれる権利が与えられる社員等級に昇級。

ワンオペはさすがにしんどいので上司に人数を増やしてもらうよう提言するものの、人は増えるも半年後にはいなくなっていくという怪現象が続きます。

そして、ある日から上司Kさんは豹変していきます。

上司Kさんは大勢の人が参加する会議で私を叱るようになり、次の会議で改善しても叱られることなどが続きました。その結果メンタルは限界寸前まで追い込まれました。

これ以上ここにいては完全にメンタルがやられると異動を願い出ます。
(上司Kさんとのエピソードは後日別記事にする予定です)

その後

異動願が受領され、これまでとは180度異なる畑違いの部署に異動。
そこでの上司Lさんから「そんなこともできないのか」というような態度をされたり、自分の仕事のやり方や資料の作成の仕方までその通りにやらないと声を荒げるなど、慣れない仕事に加えて様々なプレッシャーがのしかかりストレスがどんどんと溜まっていきました。

そんなある日、私はある病気になりました。主治医からは無理をしないようにということで、上司と相談し私が担当していた業務を調整して減らしてもらったところ、途中で業務を投げ出したと言わんばかりの人事評価を受け降格するという体験をしました…。

12人の上司と仕事をする上で学んだこと

合計12人の上司と仕事をする上で学んだことは

  • ときには経営者視点で物事を考えることの重要性

  • 一人一人の目線に立ち、個々の課題に真摯に向き合い部下を成長させて、時には厳しく、でも必要な時には優しく寄り添うようなマネジメントスキル

  • どんなに環境や上司の機嫌などに振り回されようが自分軸を大切にすること

  • 会社は心や身体の問題を抱えても寄り添ってはくれない

  • 健康を第一に考え、上司や職場に期待せず自分のキャリアを守る選択も時には重要

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