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ヴァルビー


これは、バンド仲間のAさんがたまたまヨーロッパにいるというので、ヴァルビーという街のカフェで一緒に朝食をとったときの写真。

外はつめたい風が吹いていたけど、朝からキャンドルをつけたテーブルは、おだやかであたたかい空気に包まれていた。冬の朝のひかりに照らされて、キャンドルの火もすきとおって見えた。右からのびる手はAさんのものではなく、一緒にきていた友人の手。Aさんの細かい演出にしたがって完璧な位置におかれ、撮影された手だ。

Aさんとは、大学3年から参加していたバンドで仲よくなった。

バンドに入るまえ、僕は大学のコピーバンドサークルに入っていた。サークルの活動では、自分で曲を作るのではなく、既存の曲を再現して演奏した。数えきれないくらいのバンドをコピーしたが、どこか虚しかった。人の真似が上手になってギターが上手になるのは嬉しかったが、もの足りなかった。

そんななか、Aさんが加入しているバンドがギタリストを募集しているということを耳にした。そのバンドは、イギリスのインディポップの世界を、とても綺麗に表現したバンドだった。ワクワクするのに切なくて胸がぎゅっとなる、五月のそよ風のような音楽だった。僕はバンドの曲が大好きで、すぐにバンドに参加することを決めた。

Aさんとバンドにいた期間は、素晴らしい経験の連続だった。初めてのレコードリリース、レコーディング、音楽フェスへの出演、そして新しい音楽やミュージシャンとの出会い。すべてがキラキラ光っていた。そのときの喜びは、興奮よりも、やっと居場所を見つけたという安心感に近かった。やっと、自由な表現ができる場所に来れた。ギターでどこまでも行ける。音楽をやってる。バンドをやってる。

Aさんの恋人が事故で亡くなったということを人づてで聞いたのは、僕がバンドを抜けてから数年経ってからのことだった。Aさんの恋人は画家だった。あるバンドのアルバムのアートワークを通して僕も名前を知っている人だった。しばらく会わないうちに、Aさんは恋人を亡くした後の人生を生きていた。僕はそれをぼんやりと知ったまま、目の前の現実のことで精一杯だった。僕はその間に音楽以外の夢を持ち、大学院を卒業し、デンマークまで来ていた。僕らは20代の後半に差し掛かったころだった。

朝食をおえると、ヴァルビーからコペンハーゲンに移動して、Aさんと僕は、スマホのカメラで何枚も何枚も街の写真を撮った。公園の芝生の色、街のひかり、海のリズム、教会の塔の尖った先端の部分。澄んだ空気と陽光が心を温めるような素晴らしい天気だった。風は乾いていて冷たかったが、寒くはなかった。

Aさんの恋人のことは、こちらからあえて話題にすることはなかった。あの日、Aさんはどんな気持ちで歩いていたのだろう。Aさんの撮った写真の構図や色合いを見る度に僕はその美しさに憧れたり、Aさんに見えているものを僕はどれくらい見えているのだろうと思ったりした。

僕はといえば、世界についての大事なことも、身を切るような喪失も全然知らないまま、若さに身を任せて大いばりで生きていた。スマホで写真をとるAさんの眼差しを見ていると、そんな自分の未熟さが恥ずかしくなるような気がした。Aさんは、深い悲しみもわかったうえで、それでも世界は美しい場所だということを、疑わないで生きているんだと思った。

喪失は、そう簡単に埋まるものではないのだろう。僕にも大きな悲しみや喪失が待っているのだろう。癒えなくても、傷を抱えたままでも、Aさんのように世界に目を向けて、生きられるだろうか。僕もおなじように、凛として生きられるだろうか。そんなことを考えた。

夕方になり、飛行機の時間が近づいてきた。これからも連絡をとろうと約束して、僕は帰りのバスに乗り、Aさんは空港に向かった。

このエッセイを書くにあたってその日Aさんと撮ったコペンハーゲンの写真を探してみたが、不思議なことにどこをどう探しても見つからない。でも、それは問題ではないのだと思う。あの冬の日に、僕らはたしかに一緒にコペンハーゲンの街を見ていたのだ。人生に起きたことやこれから起きることの合間で、僕たちはあの冬の日を、写真に収めておこうとしたのだ。その記憶こそが、何より大事だと思う。

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