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近況 | しっかり者、適応障害になる。

東京、急に涼しくなりましたね。
お久しぶりです、Fujiです。

「まさに私じゃん」となった歌詞。お耳のお供にどうぞ。

冷蔵庫にストックしているお茶をブレンド茶からほうじ茶に変えました。少し濃い目につくるのが好きです。すっかり秋~~

ここ数か月(もはや1年が経とうとしている)下書きの数だけが増え、まったく更新できていませんでした。昨年末に仕事がきっかけで適応障害と診断され、約半年間治療に専念していました。今回はそのことについて記録しておこうと思います。


涙が止まらない帰り道

昔からイエスマン。頼られたら全部受け入れちゃうし、完璧主義で周囲の期待に100パーセント以上で答えようとしてしまう性格です。幼いころから「しっかりしている」と言ってもらえることが多くて、自然と周りがつくり出した「しっかり者像」にできる限り近づくのが自分の生き方だと思っていました。

会社の人たちはそんな私のことを「若いのにストイックだねえ」とすごく気に入ってくれていたし、私自身も一緒に仕事を進めていく上でやりやすい、そう思える上司たちでした。日に日に任せてもらえる仕事の量も増え、1か月で3回出張に行く月とかもあったり(今考えると恐ろしい)。「今は吸収する大事な時期」と言い聞かせ、休日にコワーキングスペースを借りて朝から夜まで缶詰状態で仕事をする日もありました。

気がついたら5年先輩の上司より担当する仕事量の数を軽々越していました。仕事ができるできないとかの問題じゃなくて、いや、おかしいでしよ。入社2年目だぜ?

毎日残業、終わらない仕事に焦り、ミスを連発。
給料も決してよくはなく(フリーター時代週5フルタイムのほうが稼げていた)、貯金もどんどん減っていく一方。固定残業代の闇をここでひしひしと感じました。上司からのプレッシャーに押しつぶされ、今まで当たり前のように沸いて出てきた「周囲の期待に応えたい」という気持ちもなくなり、とうとう心の中にあるストッパーがぶち壊れてしまいました。

最寄り駅から自宅までの間に人通りの少ない坂があります。ある日を境に、絶対にそこを通るたび、涙が出るようになってしまいました。毎日毎日、泣きながら坂を上った。帰宅後、すぐに浴びるシャワーの最中も涙は止まりませんでした。


このままではこころが危ない

ネットから職場の近くにあるメンタルクリニックを予約しました。週末、仕事帰りに受診。待合室には落ち着くアロマのいい香りが漂い、ゆったりとしたオルゴールのBGMがが流れていて「メンタルクリニックに来たんだなあ」と実感。問診票と一緒にこころの状態を調べるストレス耐性チェック?メンタルヘルスチェック?みたいなのに答えました。

診察室に呼ばれるとチェックリストの結果を見せてくれました。結果は高ストレス、うつ状態に入る一歩手前の状態でした。

次はストレスの原因を探っていきます。仕事の状況、私生活の過ごし方、体調や気分など、ここ3か月であった環境とこころの変化について先生が詳しく聞き出してくれました。自分でも仕事が原因だとわかっていたので、そこをメインに話しました。私の場合、体には下記の症状が現れていました。

・意欲の低下(仕事以外のこともやる気が起きない)
・食欲の低下(お腹が空かず1日1食が続いていた)
・不眠症状(なかなか寝付けず常に寝不足の状態)
・からだのだるさ(平日は起き上がれないほどからだが重い)
・気分の抑揚が激しい(自分でもわかるほど口数が減った)

辛かったこと、心配だったことを話せてすっきりしたと同時にあふれる涙。鼻水をだらだら流しな泣く私にティッシュを差し出しながらふむふむ、と先生。
下記の3つが当てはまることから、「適応障害」と診断されました。

①ストレスの原因が明確で、ストレスを感じてから3か月以内に症状が出ている
②ストレスにより強い苦痛を感じている、または生活に支障が出ている
③その他の精神疾患や、死別反応(大切な人を亡くした喪失感)ではない


適応障害とは?

適応障害とは、ある環境に対して「適応」することが出来ないために、そのストレスによって様々な症状(身体症状や精神症状)を来たしてしまう「障害」です。

適応障害のすべて|医師が教える原因から治療法まで | せせらぎメンタルクリニック (seseragi-mentalclinic.com)

わかりやすい解説をお借りしました。

先生と相談して、薬の服用と環境(働き方)を変える方法で治療を進めていくことにしました。幸いにも、在宅勤務が可能な職場。さっそく週明けに職場の上司に相談。在宅勤務の回数に規定はなかったものの、週2回までという暗黙のルールが決まっていた弊社。回数は気にせず、朝の気分で出社か在宅勤務かを選んでいいと言ってくれた社長には感謝です。仕事量も調節し、最小限にとどめてもらいました。


からだはそう簡単に変わっちゃあくれない

薬の服用と在宅勤務を続けて3か月。不眠問題に関してはよくなりつつあるけど、気分の抑揚と食欲、意欲はダダ下がりのまま。思った以上にしんどかったのが通勤電車でした。休み明け、週の始まりを在宅で過ごし3日ぶりに会社に行こうもんなら動悸が止まらない。足も震える。貧血で倒れそうになる、あのふわっとした感覚がずーーーーっと続くのがきつかったです。

薬の種類や容量を変えてはみたものの、在宅といっても仕事から完全に離れたわけでもないので効果はあまり感じなかったです。それと、一番下っ端の自分が無制限の在宅勤務を許されているにも関わらず「全然治らない」みたいに思われてるんじゃないかっていう罪悪感もストレスでした。適応障害は人をネガティブ思考のスペシャリストにさせる。


思い切って退職を決意する

我慢の限界でした。なかなか気分もよくならず、先生からも「一度休職を視野に入れてもいいんじゃないか」とも言われていましたが、休職明けを考えただけで怖すぎて全力で首を横に振りました。ただでさえ在宅勤務明けで足ガクガク言わせてんのに!
適応障害と診断されてから4か月、思い切って退職を決意しました。

原因は仕事だったけど、職場の人たちが嫌いだったわけじゃないんです。同じ話を何回もしてくるYさんも、誕生日になぜか”たんきり飴”(風邪ひいてない)をプレゼントしてくれたSさんも、俺の若いころを見ているみたいって可愛がってくれたFさんも、みんなみんなリスペクトできる部分があって、この人たちのおかげで頑張れた自分がいたのも事実。退職日も「遊びにきてよ」「辛くなったら串カツ田中集合ね」って送りだしてくれました(職場のビルの前には串カツ田中がある)。


お世話になりました。


大人の夏休み、到来

次の仕事を決めずに退職しました。在籍中にも軽く転職サイトを眺めては書類応募、選考落ちを繰り返していたりしましたが、すべてはタイミングだろうと、焦りは禁物と自分に言い聞かせました。1か月ほど本物のニートとして生活をして、仕事から解放されたおかげで気分もだいぶ落ち着いてきた。こんな仕事をしたいなんていう気力も湧いてきたり。薬の量も減らして、通い続けた病院も様子を見てまた来てください、とのこと。休みができたおかげで普段なかなか会えない友だちとも会えたり、実家でゆっくり過ごす時間もできたり、超満喫。

適応障害と診断されてからは「おとなしくしとこう」みたいな気持ちで、ほとんど家で過ごしていました。誰ともしゃべらない日もあったり。けど、この休みで友だちと会って、久しぶりに家族と過ごして、人からもらうパワーって偉大だということがわかりました。笑う回数が増えた実感もあるし、なにより一緒に食べるごはんがおいしい!「なにもしない時間」で気づけたことがたくさんある、退職して本当によかったと思う。


次回、「転職に成功する」

今回はからだに違和感を感じてから適応障害だと診断され、環境を変えるために退職をするまでの流れを記録しました。思い出しながらつづると、「よくがんばったねえ」と自分を労わってやりたくなります。ヨシヨシ。

思いのほか長くなってしまったので、人生の夏休み後半と転職後から現在についてのはなしはまた次回に記録していこうと思います。久しぶりの記事、ご拝読ありがとうございました。

ではまた!

その後、転職後のお話はこちらから〜

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