「麒麟がくる」と、”源氏の棟梁”の最期と、「平清盛」と
今年の大河ドラマ、見てますか。そうです、思えば諸事情で放送開始が遅れ、どこぞのウイルスのせいで製作&放送の一時中断を余儀なくされと、受難続きの「麒麟がくる」です。
題材と演者が発表された頃から楽しみにしていただけに、イチ視聴者の身ながらなんだかとても悔しいんですけど。ここ数年、毎年必ず大河ドラマを見ていたわけではない私が前々から楽しみにしていたのにはワケがあって、主演・長谷川博己さんがふんわりとながら好きになったキッカケが、ちょうど同じく大河ドラマの「八重の桜」で演じられた川崎尚之助に接したことにあって、それゆえ「大河ドラマ」で「今度は主演で1年通して」彼を見れる!というところだったのですが。
八重の桜は八重の桜で大好きなのですが、問題は八重の桜ではなくその前年の大河ドラマです。いや問題じゃないんですが。
だいぶとりとめのないことになってきましたが、明智光秀(演:長谷川博己)はそんなこんなで随分意気込んで楽しみにしていたのです。そして実際すごく楽しんでいたのですが、それとは逆に人間意図せずうっかり魅せられるときがある。ちょうど新選組への興味から幕末にずぶずぶハマり、「幕末!! 会津!!? ヤッター!!!」ぐらいのテンションで八重の桜を見ていたら、それまで名前も知らなかった川崎尚之助やら山川兄弟やらにすっ転んだように。
ここでようやくタイトル回収なのですが、ということで(?)、うっかり魅せられた相手が室町幕府13代将軍・足利義輝(演:向井理)だったのでした。今回は名前は知っていたし、剣豪将軍の異名のゆえんの逸話(?)も知ってたし、その逸話が好きで足利家の方々の中ではめちゃくちゃ印象的ではあったんですけど、まさかこんな形で出てくるとは……というか、出ていくとは……?
ちょうど中断前の放送分にあたる部分では、「向井理さん、そういえば江でも将軍(徳川秀忠)やってたなあ……でもあのときと随分雰囲気違うな……」という程度だったんですが、放送再開後に急展開を迎えます。義輝公と一緒に見てる私の方まで。なんで。
現実という壁を前にやさぐれて闇堕ちして持ち直すも、もはやそれが死亡フラグで、そのまま非業の死を遂げてしまう流れが美しすぎて駄目でした。永禄の変そのものはどうも現場の感染症対策により立ち回りがだいぶ短縮されてしまったような雰囲気は感じて悔しさはあるものの、公方様の大立ち回りカッコよすぎませんか……!!?
そして義輝公の最期の余韻を引き摺ることしばらく、唐突に思い出すのでした。なんか前もこんなことあったな、と。散り際が脳裏に鮮烈に焼き付いてしまって二進も三進もいかなくなるパターン。で、その ”前も” こそ八重の桜の一作前、「平清盛」での、時代は違えど奇しくも同じく河内源氏のトップ、源義朝(主従)の最期なのであった。
……のですが、なにぶんもう5年以上前の放送だし、本放送以来見返してもいないので、正直覚えていることと言えば「なんかすごい綺麗で壮絶な死に様だった」という衝撃の爪痕みたいなことだけだったんですが。乳兄弟にして一番の腹心の政清と一緒に死んだことは覚えてたんですが、刺し違えだったことはぼんやりしてるレベルの精度でホンッットある意味すごい。
ただ清盛以来、なんとなく玉木宏さんを気にするようになったあたり、実際相当義朝には入れ込んでいたらしいのは確かであり。平清盛、父親共々全話見ていたはずのわりにちゃんと覚えているシーンが大変少なく、ここまで強く心打たれていた話、ちゃんと見返したい! と思ったものの、NHKオンデマンドにも今入っていないようで、結構見返すハードルが高く、とりあえずもう少しお手軽な代償手段としてとったのが史実と軍記物と歴史小説にあたるという……いや、私は何をしているんだ……?
そしてかなり元祖・義朝が登場する歴史モノ創作であろう、保元物語をぱらぱら見てるときに気がついたんですが、「あ、なにげに清盛放送終了以降に為義・義朝・政清に再会してる……」という事実。保元物語の為義処刑のシーン、センター試験国語の大問3(古文)でその昔出題されたことがあったんですね!! 私が受験勉強していた頃にはすっかり過去問だったので、過去問演習中に読んでるはずなんですが、「ああ、あの大河で大惨事になってた源氏の父子相克か!」とは全く思い出した覚えがない。が、当該部分の原文読んでると、哀れみと居た堪れなさから父親を騙した義朝と、義朝に騙されたことに気がついたときの為義のくだり、ちょうど傍線引かれて解釈聞かれてたけど全然読み取れなかったことはバッチリ思い出した。ひどい。そしてまさかそれから数年後に趣味で読むことになるとは思わなかった(ほぼ完全現代語訳頼みとはいえ)
そしてなんなら清盛放送当時すらそんなに深入りしなかった院政期~鎌倉初期の古代・中世史を、すごく偏っているとはいえ漁り始めて以降、長年のささやかなモヤモヤが色々ハッキリしてすごく楽しいのです。
鎌倉幕府将軍、頼朝直系が早々に絶える(かなり不穏かつ不自然な形で……)のは小学校日本史レベルの有名事項ですが、以後京都の公家や皇族から遠縁の親戚の”お飾り”将軍を連れて来た、とはうっすら聞いたけど「親戚筋とは……?」と思った記憶があるのですが、なるほど、頼朝と同じ父母(義朝・由良御前)のもとに生まれ、男系ではないので注目されにくいけど河内源氏義朝流の血を繋いだ姉妹の子孫筋から連れてきたのか~!! と知って長年の疑問が氷解してテンションが上がりました。
あと、源氏も平氏も皇族の臣籍降下から始まった血統であることは周知の事実だけど、この義朝の娘(坊門姫)ルートでなにげに清和源氏の血が現行の皇統に再び合流してたりだとか(これは伊勢平氏清盛流も同じく……というか清盛と義朝、曾孫同士が結婚してて、その2人の娘が後嵯峨天皇の中宮になった模様)。
義朝、父方の源氏の血が元を辿れば帝に行き着くのはそうなのだが、母方の方にも天皇のご落胤混ざってたりだとか。
次いで、頼朝直系途絶以降の鎌倉殿と同じ感じで疑問だった、「足利家もまた源氏」の意味をようやく理解しました。為義のいとこ(義家実子説で考えると義朝のいとこ)で、関東攻略~保元の乱後あたりまでの義朝の盟友と言って良さそうな源(足利)義康こそが室町将軍に続く足利家の祖だったのか。親兄弟すら敵に回すことになった義朝にとって、まあ血縁としてはそこそこ遠いとはいえ一番信頼できそうな同族が義康なの、後に双方の子孫がそれぞれ幕府開くことを思うとアツいなあ……と思うと同時に、恐らく当時の彼ら的にはどちらかと言えば凋落に凋落を重ねて底を打ってた源氏の家名を前にただただ必死だったんだろうなあ……とも想像してみたり。だけどめぐりめぐって武家にとっての神話になって、結果的に徳川家康を源氏詐称に走らせる原因になったであろうことを考えると、月並みながら歴史って面白いなと感嘆するばかりです。
そんなこんなで10年前の(個人的)第一次日本史オタク期と比較し他人さまの解釈見るのが好きなタイプになったとか、マイナーなところに突っ走ってしまったとか、立場の有効活用とか諸々合わさってなんか果ては国文学の論文まで読み漁ってる本当に謎の始末なんですが、急に勝手に1人でハマって1人で延々はしゃいでいるだけなので、一応備忘録と2020年秋の近況報告を兼ねて書き残しておきます。
書籍類は読書メーターで読んだ/読みたい/読んでるの管理はしているんですが、学会誌の論文とかは別にメモしておかないとたぶん後々自分の記憶が散逸するので……いやホント、私何やってるんだ?
P.S. 再来年大河の源氏兄弟のうるさそうなDNA(演者談)を遺していった13人世界の義朝、一体どんなパパなんだ……
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