小説|三十七峠〔Part1〕
※Part1~5でひとつの物語になります
◇◆◇
ああ、やっとここまで帰ってきた。
雪の上に残る足跡に、街の気配、人の影を感じて、俺は膝から崩れそうになる。
もう少し、踏ん張れ。
あと5分も歩けば、車を停めた駐車場なのだから。
寒いを通り越して、頭がぼんやりしている。手と耳の感覚もない。灰色が・・・きっと、ずっと灰色しか見ていなかったからだ。少しは色があるはずの、街まで戻ったというのに、視界にはモノトーンしか映らない。
もっと、踏ん張れ。
車まで5分、そして、そこから運転して2時間。弘樹のところまで、弘樹がいる病室まで。
足が、重い。力が入らない。
弘樹を、失うわけにはいかない。
もっと、もっと、踏ん張れ。
◇◆◇
警察官をしている弘樹が、職務質問の際に頭を強く殴られ、病院に運ばれてから、もう3日になる。
あの日、勤務中に連絡を受けた俺は、車の整備の残りを同僚たちに任せ、ツナギを着たまま職場を後にした。
「あっ、大輔・・・」
駆けつけた病院には、すでに両親が到着しており、母は俺の顔を見た途端、糸が切れたように崩れかけた。父が慌てて、母の身体を支えなかったら、その場に倒れてしまっただろう。
「弘樹は?」
「病院に運ばれた時は、意識があったらしいんだけど、今は眠ってるんだ。このまま入院になるから、大輔もそのつもりでな」
泣き出した母を支えたまま、父が俺に答える。
「わかった、俺にできることはするよ」
「ああ、頼む。弘樹は、今のところは安静と点滴で経過を見るけど、状況によっては手術かもしれないって」
手術。頭の?
そんなに、重症なのか?
急いで頭を振り、嫌な予感を追い払う。大丈夫だ、俺の弟が、そんな簡単にどうにかなってたまるかよ。
そう自分を奮い立たせ、俺は自分の役割を必死にこなした。入院に必要なものを買いに行ったり、弘樹の婚約者を励ましたり、医者の話を必死に聞いたり。
大丈夫だ、大丈夫だ・・・けれど、個室に移され、点滴や機械や管をつながれた弘樹は、この3日間、ずっと眠り続けている。
兄弟と言っても、弘樹と俺に血のつながりはない。同い歳の俺達は、小六の時、弘樹の母と俺の父が再婚して、家族になったからだ。
幸い、母は懐の深い人で、俺を弘樹と同じように、自分の息子として扱ってくれた。態度も教育も、経済的にも、何もかも。今まで20年間、俺達が仲良くやって来られたのは、少年時代に必要としていた愛情を、母から均等に与えられたおかげだと思っている。
中学、高校と、俺達は2人とも野球部に入り、弘樹はショート、俺はセカンドを守っていた。同じ家、同じ学校、同じ部活。あの頃は何をするのも一緒だった。
「大輔は、背が高いからいいよなあ 」
高校生になり、身長が確定した頃、弘樹は時々、俺にこう言ったものだ。
「弘樹だって、小さくはないよ」
「でもさ、大輔と並ぶと、俺は実際より、低く見えちまうんだよな」
だけど、顔はおまえの方が、俺よりずっとカッコいいだろ。心の中に浮かぶこの言葉は、なんだか悔しくて、実際に声にすることはできなかった。
やがて、高校を卒業すると、弘樹は地元の大学を経て、警察官になり、俺は専門学校で学んだ後、車の整備士として働き始めた。
「2人とも、30までに結婚しなかったら、家を出て独り立ちしろよ」
父が僕達にこう言い始めたのも、同じ頃だ。幸い、その年齢をはさんで、俺は昨年結婚を済ませ、来年は弘樹も式を挙げる。あいつの新しい時代が、もうすぐ始まるというのに。
なあ、弘樹、目を覚ませよ。独身最後のクリスマス、楽しみにしてるんだろ? 琴美ちゃんとディナーに行くって、約束しているくせに、寝てるって何だよ。
早く起きないと、クリスマスを通り越して、正月になっちまうぞ。
頼むよ、頼む。
お願いだから、早く起きてくれよ・・・。
頭部外傷。脳震とう。脳挫傷。開頭手術。
弘樹が入院して以来、俺は暇さえあれば、パソコンでこれらの単語を検索しまくっていた。
「ネットで病気は治せないんだから、程々にしなきゃ駄目だよ」
睡眠を削る俺を心配しての、奈々の言葉さえ、この時だけはうっとうしく感じてしまう。
「わかってるよ。わかってるけどさ」
何かしていないと、叫び出しそうなんだよ。
幸い、声にしなかった言葉を察してくれたのか、奈々はそれ以上何も言わず、代わりにコーヒーを淹れてくれた。
彼女と結婚して良かったと思うのは、こんな時だ。
こういう思いを、何気ない幸せを、これから弘樹も味わうはずなのだ。
「・・・三十七峠?」
だから、戻って来い。そう強く願いながら、意識を戻すと検索した、次の瞬間。
その文字達に、ふと目が止まった。
三十七峠の奇跡。三十七峠の薬。
「何だ、これ」
三十七峠で買った薬のおかげで、意識が戻った、頭部外傷の後遺症が残らなかった。三十七峠で検索し直すと、そんな話が、次々とモニターに浮かんでくる。
そこに行けば、頭の怪我に効く薬が買えるというのか?
何のおとぎ話なんだ、これは?
半信半疑で掘り下げると、実際にそこに行き、薬を買ったという人のブログが見つかった。交通事故にあった娘さんの意識を呼び戻すため、薬を手に入れ、藁にもすがる思いで与えたら、翌日には目を覚ましたというのだ。
そんな、都合のいい話があるものか。頭では否定しながらも、俺の右手は勝手に動き、三十七峠についてのメモを取り始めていた。
・N町の駅前からバスに乗り、三十五峠という停留所で降りてから、細い道を40分ほど歩く
・停留所付近から三十七峠までの道は、車の通行が禁止されているため、自家用車では行けない
・別れ道に「←薬茶屋」という道標があるので、左に入ってさらに5分くらい行くと、古い大きな家にたどり着く
・電話やメールなどの連絡先情報は、全くない
・何故か、三十七峠では写真を撮っても、画像が真っ白になってしまう
本当、なのだろうか。
N町はここから、高速道路を使えば、車で2時間ほどの距離だ。路線バスの時刻表を調べると、始発は9時ということがわかった。
つまり、行く気になれば、日帰りで戻って来られるということだ。
意識を失うほどの頭の怪我が、薬草茶で治るなんて、普通に考えればありえない。まして、N町は雪の降る地域であり、夏ならばとにかく、年の瀬に行くような場所ではないのだ。
けれど。
このブログ以外にも、具体的に語るSNSやホームページが、いくつも存在した。それらはすべて、薬の効果を、事細かに語りかけてくる。
幸いなことに、明日は休みだ。
そう思うと、居ても立ってもいられない。
効かなかったとしても、現状のままなのだから、試してみる価値はあるだろう。そう判断した俺は、三十七峠の正確な場所について、地図の検索に入った。
※三十七峠〔Part2〕へ続く
この小説は、しめじさんの企画 #写真から創る に
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