空區地車の力学27.2022年例大祭のゆくえ その②人は人を助けるようにできている!
5月3日 祭り前日は、文字通り前夜祭
とはいえ、まだ陽の高い15時開催だ。前夜祭は毎年行なわれるが、私は始めての参加になる。空区若中の巣窟「空地区会館」に50人ほどが集まっている。「へーぇ、賑やかじゃん、知らんかった」。しかし、いつもの顔がない。レジェンド連がいないのだ・・・せっかくパイセンに会えると思ったのに残念。長居は無用、17時まで歓談OKだったが途中退席し、阪神御影に繰り出した。御影クラッセ前で行なわれる御影の地車の練りを見るためだ。
他地区の鳴り物とはいえ、鳴り物を聞くと自ずとテンションが上がってくる。空區地車の盟友が営業する立ち飲み「大黒屋」で一杯ひっかけ帰路につく。明朝は早いし、一日中曳かなければならない。私は子供会担当なのでフラフラはもってのほか!祭り前夜は深酒禁物、胃袋の打こん厳禁!21時には就寝。いい子は早寝する。
5月4日 町曳き
明けて4日、快晴。8時に「空地区会館」に集合だ。3年ぶりの懐かしい顔が揃う。若い曳き手は、思い思いにストレッチをして曳く気満々だ。ふくろはぎは第2の心臓と言われている。私もストレッチ。
コロナ禍での開催のため今年は空區の紋が入った黒マスクが配られる。お揃いは良いのだが、愚連隊風(暴走族風)に仕上がっている。
9時半にお祓いを済ませ、各區地車の「蔵出」が始まる。地車のパイセンで盟友・津田氏の陰謀に嵌まり、3月27日、改修を終えた空區地車の試し曳きに続き、またしても後ろテコに任命されてしまう。
地車に乗っているので楽そうに見えるが、後ろテコは中腰で重いテコを操るので体力が必要になる上、後ろテコの原理を理解していないとできない。
年齢的には元気な70歳までとなる。私もそんな年になったんだと感慨にふける。
同じ後ろテコを担当した津田氏は、若い曳き手からテコに入る私たちに「ご苦労様です」の一言がないとブツブツブツ。後ろテコの大変さと重要性を理解していないからだ。しかし、「ったく・・年長者を敬うということがないんだよな、最近の若いヤツは」という嘆き節は間違っている。ちゃんと教えないから悪いんだと私は反省する。
ひとまず四役から「後ろテコをお願いします」と言われたので「蔵出」は担当させていただいたが、私には子供会の綱が待っている。10分ほどで本住吉神社の裏手まで進むと、後ろテコを山岡一族の最長老カズさんに交代をお願いした。
かっては、祭りが5月13年日開催ということもあり曳き手が減少の一途を辿るが、山岡と桜井の三兄弟がいれば「地車は動く」がつい最近までの吊りタイトルだ。カズさんは私が知る限りここ30年は変わらぬ体型と動きと口を維持している空區若中のレジェンドだ。年齢的には「浴衣」を着ての参加だろうが、いまだに「法被」を着て吠えまくっている。こういう方がいないと祭りは締まらないし、伝承の危機が陥る。
私が後ろテコから子供会の綱の位置に向かうと、今年もかなりの子供たちが集まっている。しかし、小学校5~6年生が不在で4歳~小学校4年生が参加するというチョー小粒。綱を曳くというより戯れる世代が中心。しかし、子供の数+親がいるので綱は何とかなりそうだ。
しかし実際曳いてみると、私の危惧は無用、しっかりエンジンになっている。私の掛け声に「おした、おした、おした」と続き、綱がピンと張る。さしずめ「2気筒ターボエンジン」、高出力でクリーンなエンジンだ。
それに反して数はいるものの排気量不足気味の若き曳き手たち。声も出ないし・・「ん~、なんじゃこりゃ」とため息が出るが暖気運転中ととらえることにし、しばらくは子供会の「2気筒ターボエンジン」に依存することにした。
4日の見せ場は夜のシーア前での練り合わせだ。今年は西區、空區、茶屋區の三台が集結した。私は地車の後ろに座って重り&観戦体勢。
ここでも事件勃発。地車後ろに乗って提灯を振る女性が邪魔になって後ろテコがしにくいこと、しにくいこと。後ろテコと女性踊り手の重要度を比較すると100vs0で後ろテコになる。空區ここにあり的に滅茶苦茶踊って欲しいのだが、後ろテコがいつでもどこでも入れられるように女性踊り手が気を使わねばならない。そこんとこよろしく。
蔵入も無事済ませ早々に帰宅の途についた。今日はレジェンド連の参加はなく、地車曳き手のまとまりもイマイチ。残念。しかし、元来、人は人を助けるようにできている。諸君!明日はもっといいものをつくろう(ガウディ談)。明日は本宮だ。