乾山晩愁・葉室麟
お久し振りです。彷蜃斎です。現役時代の残務処理に手をとられ、投稿が滞っておりました。それもとりあえず一段落して、年金談義を再開しようとした矢先、稀有な読書体験をしましたので、この件を先に報告したいと思います。
引退前後から就寝直前にラジオを聴くことが、半ば習慣化しているのですが、スイッチを入れるとNHKのアーカイブス番組でインタビューのようなものが流れ始めました。
「けんざんばんしゅう」という単語が耳に止まりまして、どうやらそれが小説の作品名であることが分かりました。インタビュアーが「はむろ」さんと作家らしき方の名を呼ぶのも、聞き覚えがなかったので記憶に留まりました。が、時間がかなり遅かったので、ラジオのスイッチを切り、眠りにつきました。
翌日、気になったのでネットで調べるとどうやら作家葉室麟さんの『乾山晩愁』のことだったようで、早速、図書館で借りてきました。
恥ずかしながら、葉室麟さんという小説家のお名前すら知りませんでした。ネット検索で、かろうじて『蜩ノ記』というタイトルが記憶に留まっていただけでした。2,3年前にすでに亡くなっているようで、その意味でも、少し書いてみたいと思った次第です。
さるにても、久々に感嘆と羨望とその他諸々の溜息をつきながら、時間を惜しむがごとくのまさしく耽読でした。借りてきたのは『乾山晩愁』が表題となっている短篇集で、他に『永徳翔天』『等伯慕影』『雪信花匂(ゆきのぶはなにおい)』『一蝶幻景』という作品が収められています。
乾山・永徳・等伯と人口に膾炙した芸術家の名が見えるので、個人的に好みのジャンルの短篇集だろうなと思っていましたが、予想を遥かに越えた至福の時間を過ごすことができました。しかも、一つの短篇を読み終えて、次の作品に手を伸ばしたいのですが、いつまでも読了した作品の余韻にも耽っていたい、そんな至福と呼ぶにふさわしい時間が流れたのです。
登場人物はかつて実在した芸術家なのですが、彼らが生きる人生が地に足がついているといった印象なのです。にもかかわらず、物語が稠密に構成されていて、時に膝を打ち、思わず肺から息が全部出きってしまう、そんな濃密さでした。要するに、作者の葉室麟さんが手練れのストーリーテラーなのだということになるのでしょうか。
未読の方のために、できるだけネタバレにならぬように、慎重に記さねばならぬのですが、最初の作品『乾山晩愁』は尾形光琳・乾山兄弟のうち、乾山を主人公としたところに、この作者の独創性がまず認められると思います。
しかも、兄光琳を早熟の天才とし、弟乾山を晩成の秀才として描くのですが、物語は光琳の死の直後から始まるというなかなかの趣向です。ネタバレ回避を名目に、中抜きで私見を言ってしまいますが、この『乾山晩愁』は尾形乾山がまだ深省(しんせい)と呼ばれていた一介の陶工から、後に文人画の先駆けと呼ばれるに至るまでを、兄光琳が関わったかもしれない江戸元禄期に起こったある有名な事件と絡めるながら描いたといえると思います。
その元禄のある事件は最後の『一蝶幻景』でも、重要な背景としてもう一度巧みに物語に組み込まれます。それは作者の腕の冴えというもので、ぜひ多くの方に味わって戴きたいと思います。
腕の冴えといえば、最初の『乾山晩愁』の時代背景が江戸元禄期で、二番目の『永徳翔天』と三番目の『等伯慕影』が安土桃山期、四番目の『雪信花匂』が江戸時代初期、最後の『一蝶幻景』の最後がまた元禄期に戻るのですが、二番目と三番目が同時代で狩野派と一時期狩野派を凌駕した長谷川等伯の物語、四番目と五番目が微妙に地続きで、一部登場人物も重なる。さらに、最初と最後の物語には元禄期台の有名な事件が絡むといった具合に、実に巧妙な構成なのです(具体的に記せば、ネタバレになってしまいます、残念!)。
蛇足になることを恐れず、葉室麟さんという作家の素晴らしさを指摘しておくと登場人物がかわす会話の妙でしょう。
「なあ、雪、人を恋するというのは、どういう気持ちのものだ」
「どういう気持ち?」
「ああ、そうだ。私は女を恋したことがないからな」
「さあ、何かを得て何かを失うもの。その痛みに耐える気持ちでしょうか」
「ほう、お前は、何を失ったのだ」
「父上と兄様を失うところでした」
「そうか、私は親父殿には見捨てられ、妹は義絶し、絵の道ではうだつが上がら
ぬ。失うものが無いないから恋ができるのかもしれんな」
あえて、どの短篇からの引用かは伏せておきましょう。その方が、いざなわれるでしょうから。
頂戴したサポートは、活きた形で使いたいと思っています。是非、よろしくお願い致します。