シャ乱Qブレイクの源流 分析家つんく♂のヒットソング開発マニュアル
寺田光男は焦っていた。
上京してきたばかりで友達もいなく、人気もなく新宿でバーテンダーのバイトをしながら悶々とした日々がいつまで続くのか。
これだったら大阪におった方がよかった。
シャ乱Qとして1992年にデビューしたものの、シングルを3枚リリースしたが全く売れず。
親をなんとか説得してプロとしてバンド活動を始めたが、レコード会社からの最後通告が何時来てもおかしくない雰囲気を感じ始めていた。
インディーズ時代は、曲の宣伝やライブ告知、ビラ制作を自分達で行い、加えてバイト等で忙しい日々を過ごしていたが、ほとんどのことをレコード会社が行ってくれていたため何もする事がなく、かといって外出できるほどお金もなかった。
売れるまで、デビューして2年半かかったからね。
その間、生活は地味だった(笑)。やめようとは思わなかったけど、とにかく暗い時期でただひたすら音楽を聴きまくってた。
(KERA2008年1月号)
ひとりぼっちのワンルームで売れるために何をしなければいけないのか、売れてる彼らにあって、自分達にないものは何なのかを頭の中で夢中になって考えていた。
つんく♂っていうのは音楽に対してものすごい分析家なんですよね。非常に真面目に勉強している。
(中略)
やっぱり10代の頃からただならぬ研究をしてきたはずなんです。オタクというか、気が触れるギリギリまで音楽を極めるというか・・・。
僕は他人のことはめったに褒めないけど、彼のことは褒めることしかできないですよ。まず間違いないでしょうね。
そういうのって見ていればわかるから。
だからこそ僕は、昔から彼のことはリスペクトしているんです。
(TAKUYAが語るつんく♂楽曲の音楽性とその生き様 Top Yell 2015年7月号)
この後、同業者のミュージシャンも舌を巻く研究心を発揮したことが音楽活動のターニングポイントになっていく。
音楽の教科書
どうすればヒット曲を生み出せるのか。
売れてる彼らにはあって自分達にないことは何なのか。
まず自分の能力というのは、
天才ではなく凡人だと定義することから始める。
庶民は天才にはなれないし、勝てない。例えば世の中に男が100人いるとしよう。多く見積ってもその中に天才は3人といないと思う。だったら全ての男の中で4位になろうじゃないか。俺はそう考えてきた。これからもそうだ。なぜなら俺も天才ではなく、庶民だから。
つんく著「愛の営業方針~心のトレーニングをしようよ!~」
凡人が成功するには努力するしかない。
しかし、ただ闇雲に努力するのではなく、正しい方向で努力をしなければ成功できない。
バンドには成功への道標となる教科書がない。
教科書がなければ勉強ができない。
なのでまずそれを作ろうと思った。
僕は曲を作るとき、手を抜くということではなく、最短に、無駄なく仕上げたいんですが、その効率を上げるために自分なりのマニュアルができているんですよ。 それで、できるところまで自分ひとりでやってしまうという。 これが僕のプロデュース方法です。
(CDジャーナル2007年10月号)
マニュアルの作成方法は、自分自身が「なぜ?」と自問自答していき、それに対して仮説を立て、答えを導いていったと思う。
まるでビジネス戦略を構築するかのように。
勉強と仕事の違いはまさにそれで、勉強は学校の先生から問題を出され、予め決まっている答えを導いていくのに対して、仕事、特に起業は自分自身で問題を作り、仮説を立て最適解へと導いていく。
売れるというゴールは見えている。
あとは過程をしっかり描くことができれば結果は必ず付いてくるはずだ。
しかし、幼い頃から実家の商売を手伝い、祖父から商いの心得を叩き込まれ、どうすればお客さんが喜んでもらえるのかを肌感覚で理解していたが、一から商品を作り出して世間から圧倒的な支持を受けた経験はなかった。
23歳の彼は売れる商品(曲)を作るため、自ら研究開発に取り組み出した。
売れる凡才と売れない凡才、売れるプロと売れないプロ、その違いを明らかにし、その差をうめていけば、自分も売れる凡才になれるし、売れるプロになれる。 そう確信した僕は、売れているバンドや曲を徹底的に観察し、分析することに時間を費やすことにしました。
つんく♂著「一番になる人」
ヒットに繋がった研究の日々
日本初のウェブサイトが誕生した1992年、インターネットで情報を収集することは当然できなかったので、音楽番組とリリースされた楽曲を頼りにリサーチしていった。
マニュアル作りにあたって、まずは競争相手となる売れているバンドについてデータを集めた。
手始めにオリコンTOP100に数多く入っていたバンドを調べ、そこでどんな曲が歌われていたのかを徹底的に調査した。
<1992~1993年オリコンTOP100>
CHAGE&ASKA:8曲(if、僕はこの瞳で噓をつく、no no darlin'、LOVE SONG、WALK、SAY YES、YAH YAH YAH、Sons and Daughters)
B'z:5曲(BLOWIN'、ZERO、ALONE、愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない、裸足の女神)
WANDS:5曲(世界中の誰よりきっと、もっと強く抱きしめたなら、時の扉、愛を語るより口づけをかわそう、恋せよ乙女)
米米CLUB:4曲(君がいるだけで、ひとすじになれない、ときの旅路~REXのテーマ~、愛はふしぎさ)
サザンオールスターズ:4曲(涙のキッス、シュラバ・ラ・バンバ、エロティカセブン、素敵なバーディー)
そして今流行っている曲だけではなく、八神純子、ゴダイゴ、沢田研二、渡辺真知子、チューリップ・・・昔のヒット曲も聞きまくってみた。
さらにビートルズとローリングストーンズの楽曲の違いについても研究しヒントを探した。
問題の発見と解決のために、一つ一つの曲を分解し、テンポ、構成、言葉選びなど様々なアプローチで何度も何度も聴いている時、
ふとある疑問を持った。
「ミリオンセラーはサビが口に出るのに、なんで歌詞の内容を覚えていないんやろ?」
より具体的な問題が出題され、その視点で再度様々な曲を聞き、一つの仮説を導き出す。
良い詞というのは、1枚の写真のように時間の流れが止まっているんですわ。
(中略)
しかもミリオンセラーの詞はその1枚の写真にサビのキャッチコピーがうまいこと載るんです。「ギンギラギンにさりげなく」とか「ピーヒャラピーヒャラおどるポンポコリン」とか。
これがない歌詞はふわーっとした絵みたい。
(週刊ポスト 2008年10月17日号)
その仮説を踏まえて、今まで書いてきた自分の詞を振り返るとポエムっぽい歌詞が多かった。
まさにふわーっとした絵のような曖昧とした歌詞ではリスナーの心は動かない。
じゃあ、どんな歌詞を書くのがいいのか。
そんな時、全ての家具が手に届きそうな狭いワンルームマンションで寝ていたベッドが目に入った。
ヒントは近くにあった。
"そこは見られたくない"という部分を書けないと、
人の心を打つことなんてできない
高橋がなり・つんく♂著「てっぺん」
ポエムの世界ではなくて、女性と別れたかっこ悪い自分、裸の自分を1枚の写真にさらけ出して書いてみた。
そして言葉をルービックキューブのように回しながら試行錯誤を重ね、やっと完成した”商品”
書き上げた歌詞を当時、森高千里さんを手がけていたチーフプロデューサーとスタジオで同席するタイミングがあったので、「シングルベッド」の歌詞を見てもらったんです。
すると「この歌詞はすごい。天才だよ」って褒められて。
(中略)
あそこがアーティストとして一番の山場でしたね。
(週刊ポスト 2008年10月17日号)
自らの弱さを隠さず、過去を愛おしむ歌詞が多くの人の情景にリンクし、圧倒的に支持された。
到達点を見据えて意識的に、そして戦略的に行動したことがヒットに繋がった。
音楽は時代を映す鏡
ヒットした理由として、社会が求めていた歌詞だったというのもある。
90年代前半はリスナーを鼓舞する応援歌的な歌詞が多かった。
負けない事
投げ出さない事
逃げ出さない事
信じ抜く事
駄目になりそうな時 それが一番大事
大事MANブラザーズバンド「それが大事」
心配ないからね
君の想いが誰かにとどく明日がきっとある
KAN「愛は勝つ」
カラオケブームで聴く歌から歌う歌に変化した事とバブル崩壊で背中を押してくれるような鼓舞する歌詞を社会が求めていた。
そんな人生応援歌が一巡しかけた頃、仲間はずれや無視など学校のいじめが社会問題になり若者は孤立を過度に恐れる空気が流れ始めていた。
浜田省吾「悲しみは雪のように」やB'z「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」などJ-POPでも孤独の不安や慰めを歌詞にしたヒット曲が出始めてきた。
音楽は時代を映す鏡だということを十分理解している彼は、マニュアル作成時に今までの歌謡曲の流れ、世間の空気について、もっと深いリサーチを当然したはず。
そんな慰めを欲していた空気の中で生み出された「シングルベッド」は時代の波に乗り、シャ乱Qはブレイクした。
シャ乱Qってなんとかスレスレでやってきた。そのなかでシングルの書き方とか、コンサートの仕方とかを覚えていったんですよ。手探りで。
NHK「スタジオパークからこんにちは」2013年10月4日
シングルベッドから約4年後、つんく♂は自ら開発したマニュアルを使ってモーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトをプロデュースし時代の寵児になっていった活躍ぶりは誰もが知るところ。
研究したことは、自分のなかで明確なレシピとなり、その後、ミュージシャンとして転機が訪れたとき、大きな助けになりました。
本来なら尻すぼみになってもおかしくないときに、僕を大きく押し上げてくれました。「モーニング娘。」のプロデュースがそれです。
レシピを応用することで、僕は、若い男の気持ちではなく、自分とはまったく違う若い女の子の気持ちを謳った歌詞をつくる秘訣をつかんだからです。
つんく♂著「一番になる人」
2014年にハロプロの総合プロデューサーを退任した後も、ワーカホリックな姿勢は変わらず、JASRAC登録数が1900曲を超えても今もどこかで曲作りに勤しんでいる。
今だからこそ聴いてほしいシャ乱Qの楽曲
「シングルベッド」をはじめ、「ズルい女」「いいわけ」「パワーソング」などシャ乱Qのヒット曲には孤独をテーマにした歌詞が多い。
孤独なのは自分だけではないと、つんく♂は優しく大丈夫やでと歌に救いを求めるリスナーの心を歌を通じて励まし続けた。
シンギュラリティな年だった1994年〜1995年にブレイクした背景にはそうした理由もあると思う。
咽頭癌を発症し人生するかしないかの分かれ道に立たされた時「声はなくなっても生きていける」と前を向いて歩いている姿を見ている今だからこそ
改めて彼の歌声を通してシャ乱Qの楽曲を聴くと心に沁みてきます。
シャ乱Qの音楽は肩肘張らず楽しめるが、ひとつひとつの歌詞の中から生きる指針を学べる懐の深さも持っている。
そんな奥深さの一端を覗きにいってもらえればアナタのココロの重荷が少し軽くなるはず。