ポロックとゴッホに見る芸術家のあり方 その本質と生き様
ジャクソン・ポロックは抽象画家として近代アートの世界においてはおそらく最大限の評価をされている画家だろう。ポロックの絵画はオークションに出ると付けられる価格の桁が違う。
うん千万なんてレベルではなく、億が当たり前。これまでに100億円以上で落差された絵画が2枚あり、どちらの作品も世界で落札された高額絵画ランキングで20位以内に入っている。
このように、ポロックはウォーホルと並んで近代アメリカの画家としては恐ろしいほどに評価が高い。
でも多くの人はポロックの良さが分からないという。何が凄いのか分からない。まあそうだろうと思う。こんなの誰でも描けそうじゃんと思う。
私は決して美術に詳しいわけではない。現代美術だってそんなに理解しているわけではない。けれども昔からポロックは好きだった。ウォーホルの良さはわからなくても、ポロックはなんか分かった。それは理解とは違うんだろう。直感的にいいと思っただけだ。
あるいはポロックのその生き様に、ピカレスク的なカッコよさを感じたことも関係しているかもしれない。
そんな自分が初めてポロックの絵を観たのは、千葉県にあるDIC川村記念美術館だった。
置いてあるのはポロックの作品としては比較的小さいものであったが、
それでもその迫力、見事な線の流れ、絶妙な色彩のコントラスト、その重厚な存在感にしばし圧倒されてしまった。
目の前で呆然となって、動けなくなってしまった。
美術館に行くと、何枚かの絵はこのように心を完全に奪われてしまうことがある。
ポロック以外だとゴッホがそうだった。
ゴッホにも、圧倒される何かがあった。
ポロックは分からなくてもゴッホの良さは分かる人はたくさんいるだろう。
ゴッホの絵もポロックの絵も人を惹き付ける強烈な魅力があるが、その根本的な部分では同じではないかと思っている。
それを一言で言うならば、
燃えている
とでも、言えばいいだろうか。
ゴッホは炎の画家と言われるとおり、燃えているという表現はなんとなく分かるだろう。
しかし、ポロックもまたゴッホと同じくらい燃えている。
アル中だったポロックは、わずか44歳という若さで、飲酒運転の自動車事故で亡くなった。1956年アメリカでの出来事だ。
その破滅的な生き方が、どこかゴッホと被る。
まさにポロックのドリッピング作品そのままに、
アルコールとガソリンをぶちまけて、
炎で燃したかのような人生
だった。
これを燃えていると言わずになんと呼ぼうか。
とはいえ、私はポロックという男を美化しすぎているかもしれない。でも、それを言ったらゴッホという男だって世界中で美化されている。
なぜなら芸術というものは、
観客に美化されることによって、初めてその価値を持つからだ。
似ているのは生き様だけではない。私は美術に関して素人だから適当なことを言ってしまうが、この二人は絵の質感、雰囲気もどこか似ていると思っている。
まずその絵には鬼気迫るものがある。
目の前に立つと、訴えかけてくるような何かを感じる。キャンバスから浮かび上がるような、人を惹きつけるエネルギー。
渦巻くような荒々しい情念だ。
狂気すら感じる、みなぎるほどの強い精気がそこにはある。
しかしその狂気、大いなるうねりのなかにも、それを完璧にコントロールしようともがく、画家の強い意志、その軌跡が見て取れる。
そこにあるのは、一切の誤魔化しがない真剣さだ。狂気や恐ろしさすら感じるのに、嘘のない真っ直ぐな誠実さなのだ。
ゴッホもポロックも人生という名の魔物に翻弄された。
何より欲しかったのは、富や名誉であったかもしれない。あるいは平穏に暮らせる安息の地、安穏な生活であったかもしれない。
それでも、楽に生きるということ。どこかの拝金主義のエセ芸術家のような、世間に迎合してずる賢く生きるという安易な選択はしなかった。その不器用な生き様が痛いほど愚直に映る。
しかし、その愚直さにこそ芸術家としての矜持があったのだ。愚かであること。あり続けることが、ときに本物となる。いや本物を超えて、真実にさえ至るのだ。
芸術家というものは心の奥の奥。これ以上、底が見えないほど奥底にある、言葉では表現できないそれ。それが一体何であるかは分からないが、とにかくそれを表現しなければならない。
ゴッホもポロックも彼らの奥底にあったそれは、鬱屈とした吐き気や葛藤をもたらす、目を背けたくなるような矛盾のかたまりだったのではないだろうか。
芸術家はそれを昇華させるために作品を創る。
ゴッホやポロックのような、本物の真に迫る芸術家にとって、それは技術やコンセプトなどという表面的で小手先のものではダメだったのだ。
なぜなら彼らにとってのそれ。
それとはまさに、己の全生命をかけた人生そのものだったからだ。
今日、私たちは彼らが残した絵画、その作品を美術館で見ることができる。
しかし、その絵に見るものはいったい何であろうか。なん色かの絵の具で塗られた、ただの形や模様、美しいデザインなのだろうか。
違うのだ。私たちが本当に観るべきものは、その作品を創った画家の背景にある彼らの壮絶な人生とその物語、生きた神話をそこに観るのだ。