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クリスチャン・ボルタンスキーに誘われる永遠の旅 ―春日美由紀氏の記事に寄せてー


NPO法人越後妻有里山協働機構
長津 晴菜(ながつ はるな)


 2021年、大地の芸術祭は京都芸術大学アート・コミュニケーション研究センターとのご縁を得て、対話型鑑賞を学ぶプログラムを実施しました。春日氏はそこで講師を務められ、それが私と春日氏との出会いでした。

大地の芸術祭は、新潟県越後妻有地域で開催されている現代アートのお祭りです。クリスチャン・ボルタンスキーは現代アート界を牽引してきた世界的大作家ですが、大地の芸術祭を代表する作家の一人でもあります。大地の芸術祭の第1回展(2000年)から第7回展(2018年)までの間、彼が発表した5作品のうち、現在も鑑賞できるのが廃校となった旧東川小学校で展開される《最後の教室》(2006、ジャン・カルマンとの共作)と《影の劇場~愉快なゆうれい達~》(2018)です。ここで取り上げる《最後の教室》は、小学校の体育館と3階建ての校舎すべてを使ったインスタレーション(空間の特徴を生かした表現方法)の作品です。

春日氏の文章や彼の作品からもお察しいただけるかと思いますが、《最後の教室》は大地の芸術祭作品の中でもとりわけ怖いと有名です。しかし人気も絶えない。この作品の鑑賞を終えた人たちは、怖がっていたり(お子さんは泣き出すこともあります)、興奮していたり、衝撃のあまり黙り込んでいたりと様々です。春日氏は目を輝かせて戻って来られました。そんな《最後の教室》の体育館部分(写真①)で、大地の芸術祭のスタッフとサポーターで対話型鑑賞を行うことになりました。対話型鑑賞では「(作品の照明を指して)ここで過ごしていた人の思い出が光になっているんだ」とか、「(動く扇風機を指して)かつての子供たちがきょろきょろとあたりを見渡して楽しそうにしている」といった、意外にも明るい話題が出てきました。藁の上に寝転がって対話型鑑賞を行うグループもありました。ここでの対話型鑑賞では存在しないものたちが主題となっていましたが、春日氏が言うように「喪」は悲しいばかりではないようでした。
 (写真①)《最後の教室》Photo by T.Kuratani ※別途掲載

 また、旧東川小学校の《最後の教室》と《影の劇場~愉快なゆうれい達~》は、今年度(令和3年度)は冬季の開館も実施しています。ボルタンスキーは記録的な豪雪の際に現地を訪れ、《最後の教室》を構想したといいます。この冬も越後妻有は豪雪でした。私は先日、受付業務のために《最後の教室》を訪れましたが、建物の1階部分は雪に覆われており、その日最初に作品に入る人は雪をかき分け、雪囲いの板を外さなければいけませんでした(写真②)。やっとの思いで入った屋内は1階部分を覆う雪のためにとても寒い上、暗い空間に雪解けの水音があちこちから聞こえてドキッとします。体育館全体に映される吹雪のような映像や校舎の3階で白く光る蛍光灯も、より存在感を放って見えました。私にとって《最後の教室》は、夏のむんとした藁の匂いと熱気に包まれるというイメージが強かったのですが、秋の対話型鑑賞と冬の体験を経て、それが変わりつつあります。
 (写真②)《最後の教室》外観(旧東川小学校) 筆者撮影 ※別途掲載

 そして、私も春日氏と同様、彼の作品に誘われて旅に出ることになった一人です。私は大地の芸術祭開催地に生まれ育ちましたが、最初に《最後の教室》を訪れたのは2018年、お客さんとして大地の芸術祭を訪れた大学1年の夏でした。私は10代の頃から様々な死を想像することはありましたが、自らの心臓の在りかを確認したのはこの時が初めてでした。作品空間で大きく響く心臓音に自分の心臓が共鳴し、「あなたはいま生きているが、どのようにして生きているのか」という問いを突き付けられているようでした。私はこの時ほど「生」というものを意識したことはありません。私はそれまで、生きていることが当たり前で、その状態に安心もしていたと思います。その晩は自分の心臓音が気になってなかなか寝付けませんでした。不思議と怖くはありませんでした。
 翌年、ボルタンスキーが出品する瀬戸内国際芸術祭2019と、春日氏も訪れたという彼の回顧展「Lifetime」(国立新美術館)に出かけました。学生の私にとっては気軽に行ける距離ではなかったのですが(《最後の教室》も山奥にあるので越後妻有の外に住む人にとっては同様と言えます)、やはり《最後の教室》での体験がずっと頭にありました。現代社会では何かと隠されることの多い「死」の表現に私も惹かれていたのでしょう。けれど彼は「死」や「不在」をテーマに「生」を連想させる作家だったので、彼の作品に出会う際には必ず「死の前には生があって、自分はいま生きているのだ」という実感が伴いました。

昨年の夏、彼は永遠の旅に出られました。「《最後の教室》にボルタンスキーがいるような気がする。」とスタッフの一人が言いました。ちなみに《最後の教室》に流れる心臓音は彼のものです。私は今まで《最後の教室》の心臓音に対して、旧東川小学校の歴史に彼が新たな生命を吹き込んだものと感じていましたが、彼があそこで待っているようにも思えてきました。彼がいなくなった後、《最後の教室》には彼の「生」が強く残りました。これは今まで感じたことのない印象でした。ボルタンスキーは、「いつか自分の名前が忘れられても、その作品が古いお寺や神社のように、巡礼の地となることを望む」(注)と語ったそうです。幸運なことに彼の作品は世界中に残されていて、これを聞いたとき、私は巡礼の旅の途中にいるのだとすぐに分かりました。そこに新たな作品が加わることはもうありませんが、彼の“Lifetime”は残された作品や巡礼者の旅の中で今も続いていると私は考えています。そして、彼の作品に出会うたびに日常では得られない、自他の生死や存在についてのたくさんの考えが湧き上がってくるので、私の旅もまた終わりそうにありません。

 最後に、春日氏の体験を拝読し文章を寄せるという貴重な機会をいただけたことに感謝いたします。春日氏の記事は私の体験を思い起こすきっかけとなり、まず「私の時と同じだ」と思いました。このように感じた方はおそらく私だけではなく、彼の巡礼者も世界中に多くいることでしょう。
また、2022年は「越後妻有 大地の芸術祭2022」及び「瀬戸内国際芸術祭2022」の開催が予定されています。どちらも春から秋にかけての長期開催ですので、ボルタンスキーという世界的作家と彼の作品が気になった方はぜひいらしてください。お待ちしております。

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