最近読んだアレやコレ(2023.07.08)
今回のアレコレは怪談ちっくな作品ばかり揃っておりますが、これは偶然というわけではなく「夏だし、そういうのを読もう」という意図的な選択によるものです。舞城王太郎の『深夜百太郎』や、京極夏彦の「」談シリーズの再読も考えたのですが、未読作品を読みたかったので……。夏が怪談の季節である理由は、おそらく納涼目的だと思うのですが、個人的には「恐ろしさ」「怖さ」と低温度が感覚として結びつかないので、その理屈はあまりピンときません。自分が恐怖から想起するのは、むしろその逆であるべったりとした蒸し暑さであり、そういう意味ではその感覚をより過剰に引き立てる夏は、確かに怪談に適した季節と言えるでしょう。そういえば「ギャグが寒い」という修辞も改めて考えるとよくわからない。温度が下がると同時に、共感性も下がっている。
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真夜中のたずねびと/恒川光太郎
要を抜いた積木のように、ひとりの人間ががらがらと崩れさってゆく途中、ほんのひと時、死者の声を聞く奇跡が起きる。しかし、死者の声とは、結局のところ、それを聞いた本人の自問自答でしかなく、外からもたらされたものではないその声は、何のはたらきも持たず、崩れ去ってゆく人生をひとつも変えることはない。縁が見えないほどに大きな濁流によって、ヒトが押し流されてゆく様を何度も見せられる短編集。ですが、これを「やるせなさい」と言葉するのは、やはり安易に過ぎるでしょう。描かれているものはまぎれもなく「崩壊」や「破滅」ですが、その崩れてゆくプロセスは小説の中で横移動のベクトルへと変換され、ひとつの意思の灯った〈旅〉のように描写されています。「たずねびと」とは旅人に囁きかける死者の声を指すのか、それともどうしようもなく道を行き続ける旅人本人を指すのか。その顔が見えないからこそ今は真夜中であり、そこにはただ〈旅〉の風景のシルエットだけがある。死者の声は何も変えることはできない。ゆえに、定められたそのルールを逆手にとるように、かすかな夜明けの気配を描いた短編「真夜中の秘密」は、まさに本作を締めくくるに相応しい作品であり、シルエットばかりの〈旅〉の風景に曙光を当てた見事な傑作だったと思います。
わたしのお人形 怪奇短篇集/瀬川貴次
知人の推薦作。「海の香り」「心配しないで」などのストレートな怪奇短編ですらもどことなく重心が「怖さ」からずれており、「廃団地探検隊」や標題作などの変化球に至っては本当に見事、ブレている。特徴として挙げられるほど表に出ているわけではないのですが、通して読むと感じられる「怪異をハックしてやろう」というほのかな意識が痛快です。そして、その大喜利的な趣向があくまで残り香に留まっている奥ゆかしさが、本作のなによりと魅力であると私は思います。ですので、ド直球に大喜利をやっており、本田鹿の子の愛読書を地でゆく「わたしのお人形」は、確かにこの短編集全体のカラーを明確化する標題作に相応しい快作なのですが、同時に「それが奥ゆかしく隠されている」という最大の魅力からもっとも外れた作品であるようにも感じます。そういう意味でも、個人的には「小さな生き物」がベストかもしれません。あと「インフェルノ~呪われた夜~」も好きですね。タイトルにたがわず、人間がぶっ殺されるシーンとエロシーンだけを最低限の小説の体裁だけでくくった凄まじい軽薄さ。性欲と暴力のランチパック。
幽霊屋敷/ジョン・ディクスン・カー、三角和代
フェル博士シリーズの新訳版。「今回は随分、ひどい出来のトリックだな~、まあ、私ほどカー作品を普段使いしている読者からすれば、駄作の方がちょっと刺激があって嬉しいくらいだね」とふんぞり返りながら解決編を読んでいたら、そこから続いた不意打ちの連続攻撃をもろに顔面にくらい、ひっくりかえることになりました。「え、いきなりそんなことする!?」としか言いようのない、ラストの畳みかけが気持ちよすぎる。H・Mも大概ですが、フェル博士もなかなか度し難い名探偵であられるようで……。果たして何故「彼」は幽霊屋敷で震えないでいられたのか、という大ネタに結びつく問いが鮮やかに浮かび上がる原題『The Man Who Could Not Shudder』も見事なのですが、そのホワイダニットも含めてどこまでも環境のギミックであり、その仕掛けをハコの形に作る必然性があったことをこの上なく表した『幽霊屋敷』という邦題も素晴らしい。また、たっぷりと含まれた怪奇はやっぱりそれほど怖くなく、相変わらずのラブロマンスは呆れつつもやはり嬉しい。どこまでも「いつも通り」の楽しさの中に、必ずひとつ鮮烈なアイデアを仕込んでくるその攻撃性もまた「いつも通り」。安心して身を任せ、安心して驚ける、理想のカー・ブランドでした。あと、おそらくミステリ史上最も適当な屋敷の平面図も必見です。笑ってしまった。
百物語 浪人左門あやかし指南/輪渡颯介
リンクは文庫(kindle)ですが、実際はノベルスで読みました。シリーズ前作を読んだのは7年近く前で、ほぼ何も覚えていなかったのですが、特に問題ないものですね。特に何事も起こることのないまま、物語中盤まで淡々と百物語が進行し、その合間合間に左門たちの過去の思い出が語られるというキャッチーさのない構成が独特で、しかしそれは決して退屈ではなく、水を飲むようにするすると気持ちよく読み進めてゆくことができます。もしやこれは物語小説ではなく、主人公たちの日常を切り取ったスケッチなのかとすら思う程の自然さの中で、ミステリとしての建て付けがそっとフェードインし、読書体験の上にぴったりと被さってくる。しかし、それは決して「全てが繋がった」というような衝撃を伴うものではなく、実際の登場人物たちも含めて、皆が「ああ、なるほどね」と柔らかく受け止めて、そこから想定しうる凶事に淡々と立ち向かう。時代劇らしい剣戟も終盤は用意されているのですが、そこすらも熱を込めることなくコンパクトかつシステマティックに折り畳んでゆく手つきは、薄さや軽さでは決してない、個性と呼ぶべき不思議なリズムを作品全体に一貫して通しています。次は何年後かわかりませんが、次作も読みたいですね。ノベルスで出てないのが残念。