片倉佳史さんと台湾の雞絲麵 (ke-si-mī ケェシィミィ=インスタントラーメンのルーツではないかと言われている )について対談しました。
日本のインスタントラーメンやカップヌードゥルのルーツではないかと言われる台湾の雞絲麵(ke-si-mī)は、日本に日清チキンラーメンが登場するはるか以前から台湾にある “ お湯をかけるだけで食べられる即席麵 ” です。
日清食品(株)の創業者、安藤百福(あんどう ももふく/台湾名:呉百福) 氏がインスタントラーメン「チキンラーメン」、カップ麵「カップヌードル」の開発者として知られていますが、台湾の雞絲麵(ke-si-mī)との関係はウイキペディアに書かれていますので、興味のある方は検索してみてください。
雞絲麵(ke-si-mī)を簡単に説明すると、素麺(そうめん)を油で揚げてから天日干しにしたものです。屋台や食堂で、もやしやニラなどの野菜や卵などを加えて調理されたものが売られるだけでなく、スーパーや個人商店、伝統的な市場などで、各食品メーカー製造の袋詰めのものが買えます。その中でも特に人気があり、有名なものは「黑雞牌雞絲麵」(力山食品)で、海外へも 輸出されているようです。スープ用の調味料の他に付属で入れられている冬菜(塩やシナモン、フェンネル、クロ ーブなどを使って作るキャベツの漬物) が美味しいという評判もよく聞きます。この冬菜と呼ばれる漬物はスーパーやネットでも買えるもので、用意しておくと、家庭で雞絲麵(ke-si-mī)を食べる時に重宝します。
力山食品の初代社長は元々小麦粉の販売をしていましたが、支払いができなくなった製菓・製麺工場の機械を差し押さえたことを切っ掛けに、自分で雞絲麵(ke-si-mī)を作るようになったそうです。初代社長の後を継いだ息子さんも 「現代のインスタントラーメンやカップ麺が発明されるはるか以前から台湾には雞絲麵(ke-si-mī)があった」と発言しているようです。息子さんの記憶によると子供の頃、行商の人が天秤棒を担いで、麻竹(まちく) の葉(チマキを包むのに使われる葉)に包んだ雞絲麵(ke-si-mī)を呼び声をあげて売っていたそうです。
力山食品は、伝統的な雰囲気や味を守るために、今でも手で麺を巻いて束ねるなどの手作りに拘っているそうです。素麺(そうめん)を日干しする時間の調整が難しいようです。紫外線で麺の殺菌ができますが、干す時間が短いと殺菌効果は弱くなり、干す時間が長すぎると麵が固くなり、手で巻くのが難しくなります。防腐剤を使わないことにも拘っていて、そのほうが伝統的な味が保てるからだそうです。また、以前は素麺(そうめん)を揚げる時に使う油はラードでしたが、現在では人々の健康のために、輸入パーム油を使っているようです。
台湾がまだ日本の植民地だった1944年1 月の「民俗臺灣」(主に台湾の民俗習慣を紹介する日本語雑誌) に、 当時の台北市艋舺(báng-kah)における台湾人の食習慣についてのレポートが掲載されていますが、雞絲麵(ke-si-mī)についての記述もあります。そこには「雞絲麵は索麵 (さくめん) に味をつけたもので、熱湯をそそいでそのまま食 べることが出来る」と書かれています。文中の索麵 (さくめん) とは素麺 (そうめん) の古い言い方です。
また、薏麵(意麵)が現代のインスタント麺のルーツだという説もあるようですが、その「民俗臺灣」では「薏麵は大麵の中に卵を混ぜたもので、普通はあまり使用しない」と薏麵(意麵という表記もある)についても触れられています。文中の大麵は、太めの油麵(かん水=アルカリ塩水溶液を使用した麵)のことで、台湾で昔からよく使用されている黄色い麵のことです。「民俗臺灣」の記事を読む限り、雞絲麵(ke-si-mī)のほうが、今でいうところの即席麺とかインスタントラーメン、カップ麺のルーツ、或いはヒントになったものではないかと思えます。
実は薏麵(意麵)の起源についてはいろいろな説がありますが、その中の一つは薏麵(意麵)のルーツは、伊秉綬 (いへいじゅ:福建省寧化人)という清代中期の書家で、広東省恵州や揚州の知府を歴任し、美食家でもあった人物の家の台所で生まれた「伊府麵」と呼ばれた、短い時間で茹でることができる麵であり、この「伊府麵」が台湾に伝わった後、 略称「伊麵」の「伊」の字が変わってしまって「薏麵」や「意麵」になったのではないかというものです。
また、現在台湾では意麵は一般的にインスタント麵とは考えられていないようです。また、この類の麵を台湾で販売していたのは主に中国広東省汕頭からの移民たちであったので、「汕頭麵」という名称も生まれたと言われています。
「伊麵」は中国の各地に普及していますが、「伊麵」という名称は変化していないそうです。台湾だけが「意麵」に変わってしまったようですが、実は日本時代の台湾人記者が1919年に中国福州へ遊びに行き、「意麵」を食べたことについて日記に残しています。そして、1923年にはすでに台湾の鹽水(kiâm-chúi)で「意麵」という名の麵が出現しています。台南の「意麵」の発祥地は鹽水で、当時その地にいた福州人が考え出した製麺方で作られた麵で、古くは「福州意麵」と呼ばれていたらしいです。そして、実はこの鹽水で福州人が作ったとされる「福州意麵」も「意麵」という名称の麵料理も現在の中国福州ではどうやら見あたらないそうです。
また「意麵」の麵生地を捏ねる時に強い力を出すことが必要なことから、元々は「力麵」という名称で、力を入れる時に「イー!イー!」という掛け声が発せられるので、「意麵」と呼ばれるようになったという説もあります。また、さらに台湾の鄭成功時代、台南の鹽水に駐屯していた福州人の兵隊が「意麵」を作ったという説までありますが、この鄭成功時代に生まれたという話はあまり信用できない説だとも言われています。
このように「意麵」の発祥地や名称のルーツについては様々な説があり、正確なことはわかりません。また、麵の形状も平べったいものもあれば、丸い筒状で不規則な湾曲(ちぢれ)のある麵である場合もあります。
台湾の台南ですっかり有名になった「意麵」は台湾各地の他、中国各地にまでもその名は知れ渡り、今では各地で麵を売る人が台湾風に「意麵」の名称を使うようになっているとも言われています。
現在、台湾では薏麵(意麵)の形態はいろいろな種類があります。細くて縮れた麵や、太くて平べったい麵もあれば、保存が効くように、意麵をさらに油で揚げて成形し(これを鍋燒意麵と呼ぶ店もある)、衣に包まれたような形態のものもあります。 また、この類の意麵は、非常に短い時間煮るだけで柔らかくなります。そして鹽水意麵や福州意麵、汕頭意麵といった、台湾や中国の地名が付く名称で呼ばれるものもあります。地名が付くものは、意麵の発祥地だからとか、或いは、意麵は元々福州人が発明したからとか、汕頭人が製造・販売していたからだといった、起源にまつわるストーリーと関係しているようです。
もしかしたら本来は全く別物だった幾つかの麵が時代とともにさらに別々に変化して、それらがいつの間にか同じ名称 「意麵」で呼ばれるようになった可能性もあるし、元は一種類の麺だったものが各地で時代とともに全く違う麺に変化してしまったけれど、同じように「意麵」と呼ばれているという可能性もあると思います。また実は中国にも昔からお湯をかけるだけですぐに食べられる麵があって、旅をする時などに携帯されていたという話もあります。
雞絲麵(ke-si-mī)はお湯をかけるだけですぐに食べられますが、やはり少し茹でたほうが美味しいので、家庭では茹でてから食べる人も多いです。食堂や屋台ではモヤシやキャベツ、ニラなどの野菜が少し入れられているほか、お金を足せば、玉子も加えてもらえます。また、各種鍋料理の中に具材として入れる人も多いです。
雞絲麵(ke-si-mī)はなぜか昔からかき氷店で売っていることが多く、妻の話だと、そういう店を見ると、学生時代、学校が終わると、かき氷店へ立ち寄って、かき氷を頼む学生もいれば、雞絲麵(ke-si-mī)を頼む学生もたくさんいた懐かしい光景を思い出すと言っていました。
台北市金山南路にあった、かき氷や甘酒に白玉団子を入れたデザート、雞絲麵(ke-si-mī)などを売る「政江號」という店名の有名な店があったのですが、最近、約 50年の歴史に幕を閉じました。非常に残念です。
現在、台湾では雞絲麵(ke-si-mī)以外にもお湯をかけるだけで食べられる即席麺が何種類も販売されています。中にはスナック菓子のように直接食べることができるものもあります。スーパーなどでよく見かけるのものは科學麵、王子麵、雞汁麵です。科學麵や王子麵は各種鍋料理の中に具材として入れる人も多いです。
雞絲麵(ke-si-mī)の値段ですが、屋台や食堂などの飲食店で調理し、提供されるものは一杯30〜45元(約130〜200円)ぐらいです。スーパー、コンビニ、雑貨店、インターネットで袋詰めの商品を買うのであれば、Q師父蔥香風味雞絲麵は一袋5個入りで70元(約300円)前後、黑雞牌雞絲麵は5個入り100元(約400円)前後です。科學麵や王子麵、雞汁麵は一袋だいたい8〜10元(約35〜45円)です。
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