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細川興元の初陣


細川興元は細川藤孝の次男。
細川忠興の弟です。


綿考輯録 忠興公(上)より。

頓五郎殿ハ永禄九年丙寅の生れにて、天正五年の時十二歳なり、御高名の有無は難計なれ共、戦場ニ御伴ひ、忠興と共に先に進まれしなとハ有ましき事にもあらす、其故ハ或時太閤の御前ニ歴々御列座、片岡城攻御咄の時、頓五郎殿の働を御尋ね被成しに、其時ハ肩くるまニ乗ありく此に而、其場ニ差出たる事ニ而無御座と忠興君御申候ヘハ、名誉なる男也、我弟の武編を人の褒るニ云消す様や有と被仰けれハ、武辺の事は兄弟とてもひいきハ成不申と被仰上候

綿考輯録 忠興公(上)

ざっくり現代語訳


頓五郎(興元)殿は永禄九年丙寅の生まれで、天正五年の時は十二歳であった。
御高名を上げたかどうかについては計りがたいことだが、戦場に御伴い、忠興君と共に先陣を切ったことはあるまじきことだともいえない。

その理由はある時、太閤様の御前に身分の高い人々が列座され、忠興君の初陣である片岡城攻めのお話になった時太閤様が「頓五郎殿の働きはいかがだったか」とお尋ねなされた。
忠興君は「その時は肩車に乗っているような頃であったため、戦場において特にこれといったことはしていません」と申された。

これを聞いた太閤様は「名誉なる男だ、実弟の武辺を人が褒めたというのにそれを打ち消すとは」と仰せられると、「武辺の事は兄弟といっても贔屓はしないものです」と仰せなされた。


ざっくり考察


12歳って肩車されてる年なのかしら…って思った
でもこう友達や家族同士でわちゃわちゃスキンシップするときに肩車してる男子、いるよね。そういう感じなのかもしれない。

とはいえ「弟まだ肩車されてる時期なんで笑」っていってる忠興、かわいいな…

この記述の前に忠興の片岡城攻めについて「頓五郎殿御働の事いふかし」と兄ちゃんと一緒に初陣してるのはちょっとおかしいんじゃないの、とか誤伝じゃない?ということがいろいろと書いてあります。
ちなみに信長公記の「(興元)十三歳(忠興)十四歳」も偽りだよ!とのこと。かなしい

でも肩車されてる頓五郎(12歳)はほほえましいので武功あげててもなくてもどっちでもいいです。


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