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細川興元と甥っ子・細川忠利

細川興元は細川藤孝の次男、細川忠興の弟。
細川忠利は忠興の三男。興元から見たら甥っ子です。


今回は『大日本史料細川家史料』に記載されてたやつで、お互いの持ち物欲しがってる書状があったので紹介。
叔父と甥っ子の意外なやりとりってかんじで面白いです。

大日本史料細川家史料


◆元和五年正月十二日 忠興→忠利

元和五年正月十二日 忠興→忠利

「其方釜玄番所望候つる由おかしく候、其釜は其方おもわれ候らも能候間、人に御やり候はヽ此方へ可給候、玄番には別之釜遣候事」

ざっくり現代語訳


貴方が持っている茶釜を興元が欲しがっているらしいけどおかしいことです。その釜は貴方が思ってるより良いものだから、他の人にやるくらいならお父さんにください。興元には別の釜をやればいいでしょう。


…この『おかしく』ってところが最高に小馬鹿にしてる感じあってかわいくないですか!?!?!?!?最高。
でも、興元この二か月後位に亡くなってるんですよね…
それを踏まえると、興元の不憫度が増し増しです。
あと茶釜欲しがってるということは少し茶道もやってたのかな?

◆元和五年十二月三日 忠興→忠利

「古寿命院ら来候つれの香炉、数寄屋之勝手ニ置度之由被申越候、同物二ツ在之間安事候へとも、二つなから遺物之内へ書入、?や続目之印判まてか?め候故、不成候 其上勝手ニちいさき香炉(略)物まで候、われ/\勝手に置申候香炉之内一ツ遺候、秘蔵にて候つる可被得其意候、勝手之置所、数寄屋へ出るくしかたの向之角ニ置物ニ候事」

興元の持ってた秦宗巴の香炉を忠利が欲しがってたけど、もう興元の遺物目録に書き入れちゃったから無理だよ~っての書状。

大日本史料には「秦宗巴の香爐は興元遺物目録に書き入れし故忠利の所望に応じがたし」との見出しがありました。

ちょっと変体仮名読めない&メモきたなくて変体仮名ちゃんと記録できてなかったので、ひらがな部分はあやふやです。すんません

後半は置き物の位置について忠利にお説教してるのかな…???

ちなみに秦宗巴は曲直瀬道三の系統の京のお医者さんだそうです。

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