noteの有料記事が情弱サロンビジネス化する3つの理由
*Twitterから入られた方へ、この記事は無料です
今インターネットの一部の界隈で「note」なるサービスが持て囃されています。noteとはネットからテキストや画像や動画等のコンテンツを投稿し、それを自由に値段つけて販売出来るというサービスです。
このサービスで、今までネットの収入を広告やアフィリエイトに頼っていたブロガーやツイッタラーや山師が「クリエイター支援だ!」「革新的だ!」と、嬉々としてマネタイズに乗り出しています。
しかし正直私としてはコレ「単なる情弱を釣るサロンビジネスにしかならないのでは?」という確信を持っています。
というのも、そもそもnoteは
理由1 追い銭にしかならない
そもそもコンテンツはまず「触れて貰ってナンボ」です。どれだけ良いコンテンツを作ろうが、見るand/or読んで貰えないことには意味がありません。
「いやいや、良いコンテンツは必ずアクションを貰えるはず」という声もありますが、どうやってnoteで金を払うまでにソレが良いコンテンツかどうか判断するのでしょうか?
例えば、無名の方が良いコンテンツを販売していたとしても、ソノ事実はどうやって拡散されていくのでしょうか?どこの馬の骨とも分からない人の中身が分からない評価もないコンテンツ、貴方は金を出したいと思いますか?
結論から言えば、noteでマネタイズ出来るのは「既に沢山PVが得られ、一定の評価があり、ファンもついてる有名な方だけ」であり、信者を集めて金を出させるモデル以上のモノではありません。
勿論、そういった面を考慮して「我は偉大なクリエイター様!評価もファンも得ているので、必ずやnoteは我の支援となるであろう」的な方もいるかと思います。
しかしながら、noteを突き詰めていけば
理由2 必ずタコツボ化する
noteはコンテンツを横展開させたり、クリエイター/ユーザー間で互酬させる仕組みが致命的に弱いです。というのも、noteでユーザーが出来るアクションは実質「ハート」と「コメント」しかなく、noteはユーザーアクションの強さが拡散へと結びつかないうえに、そのアクションすら購入者限定です。
要するにnoteはどうしても本当は活発にユーザーが動いていたとしても、面白いコンテンツがあったとしても、閉塞感が漂ってしまいます。
これを打破するためには、新規ユーザーの流入と話題性を他SNSで会得する必要があり、ソレはみんなやってるっぽいのですが、情報の非対称性からどうしても傍目には「信者ビジネス」に映ってしまいます。
皆様もTwitter等で教祖様が「我は偉大なり!」と具体的な情報を明かさずにイキり、それを信者様が「教祖様は偉大だ!」と具体的情報を明かさずに持て囃す光景を目にしたことがあるのでしゃないでしょうか?
こうした光景に釣られる方は、どうしても感性の近しい方や情弱だけになり、要するにnoteには蛸壺化を防ぐ為にはタコツボ化を進めるしかないというジレンマが存在します。
蛸壺に陥ることを防ぐためには、熱烈な信者に宣伝させ、また本人自体も活発に周囲を煽らなければならないのです。こうしてnoteを取り巻く周囲はエコーチェンバーで必然的に先鋭化していき、より人を選別するコミュニティになっていきます。
それでも有料サロンとして機能するならいいやんけ!と思う方もいるでしょうが、コレ信者ビジネスとしても致命的なことに
理由3 有料noteの宣伝は小者感が漂う
有料noteを販売する方は、大抵は煌びやかな経歴や社会的地位や大金を得ている方々です。そんな社会の第一線で活躍してると自称する方々がnoteで小銭拾いに必死になる姿は、それだけでナニかギャグのような感じになってしまいます。
結局は「どう自己ブランディングと小銭拾いの両立を行うのか?」というバランス問題になりますが、noteは拡散性が致命的に弱い性質上、販売主が積極的に宣伝する必要に迫れます。その宣伝手法も「我は凄い!その凄い我のコンテンツは○○円!」的な感じになってしまい…要するに情報商材化、情弱ホイホイ化は避けられません。
以上、3点から私は有料noteは、かなりクリエイターが工夫して横展開や互酬性や拡散性を担保する、あるいはユーザーの絶対数が爆発的に増えない限りは「既存のファンを乗せて沈んでいく泥船でしかない」と結論してコノ記事を終わります。