Twitter上の議論は無意味…通り越して有害になる可能性が非常に高い
Twitter上の議論が拗れる理由は色々ありますが、最大の理由は「そもそもナニを論点として、ナニについて話し合い、ナニを決めるのか?」という議論の前提がなく、またソレを参加者間で合意・共有することも出来ないからです。(オープンスペースなので当然ですが)
しかもTwitterは、ソノRTの性質上「穏当で複雑な意見より、過激で単純な意見のほうが目立ってしまう」という最悪の構造があります。
その為、Twitterではコノ「ナニを議論しているのか?」と「過激で単純な意見が目立つ」を組み合わせて、容易に「相手のアレな意見を正論で叩き潰して議論に勝利した」というポーズがとれてしまいます。
実際、Twitterで議論してる方の大半は「如何に自陣営に対してウケがいい意見を言うか」「如何に相手陣営が愚かであることを示すか」「相手陣営を嫌がらせ、自陣営の溜飲を下げるか」等の勝利のポーズを誇示するかに終始しており、要するに彼等のやってることは「自分の陣地に対してひたすらインクを飛ばし続けるスプラトゥーン」です。
結論から言えば、インターネットの議論は2chの時代から「相手をひたすら罵倒し続け、最後までレスしたほうが勝ち」と決まってます。
Twitterで言えば相手を鍵垢や垢消しさせれば勝利ということになるでしょう。
勝利への最適解は「相手をひたすら馬鹿にする」一択です。
こうした罵倒や茶化し合戦が(身内の結束を高めるという点を除いて)無意味であるのは間違いないと思いますが、更に有害である可能性も十二分にあると私は考えています。
まず一番有害なのは何と言っても
・陣営間の対立が激化する
TwitterではソノRTの性質上、議論ではどうしても「過激な極論」「相手を馬鹿にする過激な意見」「相手の全く的外れな意見及び、ソレを論破する意見」ばかりが目立ちます。
その為、Twitterの議論ではお互いがお互いに「相手は過激な馬鹿である」と認識します。
実際はどうであるか?を別にして、こうした目立つ意見は「都合よく選ばれた」側面がおおいにあります。
極端な話、自陣営の100ツィートの内、99が穏当で真っ当な意見だとしても、1つでもアレな意見があれば、ソレばかりが相手に敵対陣営の過激and/or愚かさの証としてピックアップされてしまい、相手の敵愾心を過剰に煽ってしまうということです。
自陣営の過激なツィートに対する苦言がなされても、残念ながら「相手の嫌がる姿を見たい」という方々は一定数いて、尚且つソノ反応を「図星を突かれたから嫌がってるんだ」と解釈する方も一定数います。
また人間は基本的に嫌い/憎い相手(連中)を怒らせたり嫌な思いをさせることは快感を覚えますが、RT(シェア)機能をもつSNSの普及は明らかにソノ快楽を高めています。
そうして、こうした動きは、相手に「要するに貴方達は自分にしか関心がないんだな」と思わせ、対話する意思を萎えさせます。
Twitterの議論は相互理解どころか、相互不信を招いています。
そうして、自陣営の意見ばかりに浸るようになると起きるのが、
・サイバーカスケード
アメリカの憲法学者Cass R. Sunsteinは「ネット上では自分にとって都合のいい情報ばかりが目に入り、また同じ意見・思想の方を結びつけるので、人々は色々極端になりやすい」と論じ、この現象をサイバーカスケードと名づけました。
これに今のTwitterの状況を顧みると、ソレに加えて「嫌い/憎い相手の発言は過激/馬鹿なものばかりが目に入る」というのも確実にサイバーカスケードを激化させている面があると思います。
そして議論の目的が「自陣営に対する勝利アピール」「相手を馬鹿にしたい」になれば、相手陣営の穏当/賢い意見=自陣営に対してウケが悪い意見はスルーするに限りますし、Twitterではブロック等で容易にスルーが出来てしまいます。(寄せられた或いは目に付いた意見に対して、ソレが実際に全うであるか?は別として、ブロックした側は「過激で馬鹿な意見はスルー」と認知し、された側は「クリティカルな意見だから逃げた」と認知するので更に色々加速する構造があります)
また相手の過激な意見に対抗する為に、自分の意見も過激にして対抗しようという気にもなります。
自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくるような閉じたコミュニティで、同じ意見の人々とのコミュニケーションを繰り返すことによって、自分の意見が増幅・強化される現象を「エコーチェンバー」と言いますが、コレに相手の過激/馬鹿な意見が増幅されることもあり、Twitterの議論はエコーチェンバー以上のナニかが産み出されています。
・人間は人間関係から逃れられない
何故、このような現象が起きるのか?というと、結局のところ人間は社会動物である以上、他人の意見や目に影響を受けないはずはないからだと思います。
特にTwitterは他人の反応(RT/FAV等)が即座に通知・可視化されるシステムなのでリアルに比べて加速するのが早いです。
例えば、Twitterには自分の社会性の無さやアウトローぶりをアピールするイキりオタク達もいますが、そもそもそんな事を言明すること自体が他人の目に縛られてる証だったりします。
本当に他人が気にならない方は、そもそも「自分を不特定多数に語ろう」という発想自体しません。
Twitterで如何にプライドが高く臆病な方が「馴れ合い嫌い」を標榜しても、結局は曖昧で可読性の低い表現やジャーゴンを多用し、アウトローを気取りつつ仲間への忖度と相互監視に終始する=馴れ合いに行き着いてしまうのです。
以下は主観ですが、その為、私は秘かに「Twitterで議論してる方は、そもそもマトモに議論したいというより、最初からソレを叩き台にして承認欲求や所属欲求を満たしたいだけはないか?」と疑っています。(手段の目的化)
勿論、本気で誠実に議論し、ナニかを変えたい!と思ってる方々もいるのでしょうが、Twitterを見てるとどうしても「早まった一般化」したくなります。
(というより、このユーザーに対し早まった一般化させてしまうのがTwitterだと言うのが上記で述べた趣旨なので、ある意味私自身が生き証人なのでしょう)
但し、Twitterで議論に勝利するのは著しく難しいことは間違いないと確信しています。
何故ならTwitterでは「交渉」や「根回し」が出来ず、またフォロワーも「公開処刑」を望むため、基本的に議論はデッド・オア・アライブの様相を示してしまい、妥協や退くことや非を認めることが出来なくなり、従って双方が歩み寄る余地がなくなりがちです。
その結果、相手を鍵垢や垢消しに追い込めても、ソレは議論としての勝利とは言えないでしょう。
そして、ソレによりサイバーカスケードや陣営対立が激化するのなら、議論としては敗北であり、従ってTwitterで「無意味」とされる議論は、無意味を通り越して有害であると言えるでしょう。
Twitterは「嫌いな相手を、もっと嫌える理由」が無限に流れてくるツールなのです。