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メリーゴーランドーナツショップ

 遊園地にある様々なアトラクションの中で一番好きなのはメリーゴーランド。遊園地では必ずメリーゴーランドに乗る。というか正直それしか乗りたくない。高い金を払って長いこと列に並んでジェットコースターとかわざわざ乗って自分の命を危険に晒す奴らはみんな頭がおかしいです。この世は狂人だらけで私だけがまともだ。非常に嘆かわしいこと。
 メリーゴーランドはあくびが出るほど安全で牧歌的な遊具である。馬鹿みたいなスピードを出したりアホみたいな高さに持ち上がったり重力を無視して逆さまになったり回転したり、そんな愚かなことは一切しない。したがって、人間の方も金切り声をあげたり腕を振り回したり目をひん剥いたりといったみっともないことをしなくて良いのである。
 自分が乗る馬を選ぶのも楽しい。基本的には勇ましくたてがみを風になびかせて駆けている馬たちの色や馬具の装飾が選別の基準となるが、中には馬以外の動物や、馬がひいている馬車に乗れる場合もある。                

 ただ座っているだけでなにが楽しいのか、などと無粋なことを言う輩は、そもそも遊園地にあるアトラクションはただ座っているだけのものがほとんどだということを忘れている。記憶中枢を刺激するために殴っていい。遊園地全般を見下すやつのことは知らない。多様性の時代なのでそのような狭量な意見もあっていいと思いますよ。
 スピーカーから流れるひび割れた音にあわせ、貴族のように姿勢良く鞍に腰掛け、カメラを構える知らない人の前をぬるぬると上下しながら見世物のように何度も横切る気まずさも含めて、芸術的に手持ち無沙汰なあの時間を愛している。まるで架空の惑星のように同じ軌道を巡るだけなのだが、やがて馬たちが減速してスタッフが軽快な口調で「お疲れ様でした〜!」と呪文を唱えると、夢から覚めたように我にかえる。

 また回転木馬は造形が非常に美しい。細かい模様や馬具によって装飾された馬たちだけでなく馬を支える支柱や屋根も、鏡や電球によって煌びやかに彩られておりその場にあるだけで華やかである。

 そのためか、回転木馬は児童文学や小説にたびたび登場する。

 例えばイギリスの児童文学である「メアリー・ポピンズ」シリーズの中では、フェアバンクス家に勤めるようになってから初めての休暇をもぎとったメアリー・ポピンズが、チョークで描いた絵の中で煙突掃除人のバートとデートを楽しむシーンがある。山のような高さに積み上げられたクッキーと紅茶を平らげたあと二人は回転木馬に乗って絵の中を旅行する。空想の世界では回転木馬で好きなところに行くことができる。さらには物語の最後で、公園にやってきた回転木馬に乗ったメアリーポピンズは一人だけ支柱ごと独立した馬に跨ったまま、子供たちをおいて空に登っていく。

 また、イタリアを舞台にした「どろぼうの神様」という児童文学には、伝説の回転木馬が登場する。子供が乗ると大人に、大人が乗ると子供になることができる魔法の回転木馬だ。子供たちからどろぼうの神様と慕われる少年スキピオは、一刻も早く大人になりたい一心で伝説の回転木馬を探している。

 アメリカ文学の「ライ麦畑でつかまえて」では、ラストシーンで回転木馬に乗る妹を眺める主人公は、降り出した雨さえも気にならないほど目の前の景色の美しさに見惚れる。

 これらの描写において回転木馬というモチーフは、戻ることのできない子供時代や失ってしまったもの、たどり着けない場所といった憧憬や郷愁の象徴としての役割を果たしていると言えるのではないだろうか。実際回転木馬は同じところをぐるぐると回転するばかりでどこにも行かないのだが、回転木馬に乗り音楽が鳴っている間は現実から切り離されているように錯覚することができる。それを外側から眺める人間もまた、何度も目の前を横切っていく色とりどりの馬たちに過ぎ去った時間をふりかえった時のような懐かしさを覚えるのではないか。

 この仮説を立てたことにより、私の中で回転木馬への憧れはより掻き立てられ、今では立派な軽度の回転木馬マニアである。そこそこの回転木馬マニアとして、やはりできるかぎりの回転木馬を眺めたり乗ったりしておきたい。そこで数年前から思い立った時に行きたいメリーゴーランドに赴いている。ライ麦畑に登場したセントラルパークのメリーゴーランドに始まり、としまえんのカルーセル・エルドラド、品川マルセルアクアパークにある海洋生物のメリーゴーランド、西武遊園地のメリーゴーランドなどを訪れた。そして今年の夏、日本に3軒だけある、メリーゴーランドがあるチェーンのドーナツショップの1店舗に旅行した。

 昼過ぎに訪れた件の店は賑やかに混み合っており、アメリカンダイナー風の小洒落たネオンも相まって、ちょっとした遊園地のように煌びやかに感じられた。お目当てのメリーゴーランドは人が乗るには小さいサイズではあるが、店の中心で確かな存在感を放っており、ドーナツを一つ頼んでメリーゴーランドのすぐ隣の席に座ると思う存分眺めまわして写真を撮った。とはいえ観光地というわけでも無いので、程々のタイミングで切り上げて別の観光地に向かったのだが、どうしてもメリーゴーランドが灯りに照らされている様子が見たかった私は、一緒に旅行していた友人たちと別れて夜にもう一度店を訪れることにした。

 色々あって店に着いた時間は閉店の15分前だったので、客は誰もいない上に店員も閉めの作業に入っており、ドーナツを頼んだものの店内に居座る勇気が出なかった私はさっきまでの小雨のせいで結露しているガラス窓越しにコソコソと店内を覗き込むことにした。昼間の喧騒が嘘のように人のいない店内で静かに佇む小さなメリーゴーランドはものがなしく幻想的である。見知らぬ土地で一人、ドーナツの輪っかの穴の部分のようにぽっかりと切り取られた時間を過ごしたことにより、やっぱメリーゴーランドってシンプルにめっちゃいいな、と思ったのでこれからも国内外問わずにメリーゴーランド巡りを続けていきたい所存。

みなさん、子供の頃に乗った全世界のメリーゴーランド情報をお待ちしております。




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