ドロハ(Drop out House)でブロッコリーを刈る日々①
自転車旅に出て、2か月以上が経過した。
計画性がない私は、やはり計画性がなかった。
「お金がないっ」
自転車旅に出てはや2か月で貯金が無くなってきたのだ。
社会人を何年もやっておきながら全く恥ずかしい限りだ。
そこで、突然ですが北海道の日高でブロッコリーを刈る日々が始まった。
いわゆる住み込みバイトだ。あるゲストハウスの主人から「おてつたび」という、旅人が地方で農業や漁業・観光業で働ける仕組み(アプリ)を教えてもらった。
早速、長くつと麦わら帽子を街の金物屋さんで買い付けて、
自転車で日高の山を越えて、平取町(びらとり)にやってきた。
他にもブロッコリーを刈りに来た人たちが集まった。
大学中退の若者1・バイクで日本一周中の夫婦・看護師を辞めた女の子・大学中退の若者2。さらに、このブロッコリー農場に正社員として雇われて2週間ほどの男性(彼がドロハの名づけの親)。
このメンバーで2週間ブロッコリーを刈り続けた。たまに
ブロッコリーの苗植えの日もあったけど。
朝起きたら必ず枕横で蛾が死んでいる家で起床して、みんなで朝ごはんを食べた。ハイエースに相乗りしてひと山越える。途中、湧水を水筒に汲んで。時々、道中にキツネを見たり、女ハンター(幌尻岳で活動する女漁師)を発見したりしながら。
ブロッコリーを刈りすぎて腱鞘炎になるかと思うくらい刈った。
リアカーに机がついた様な荷台を押しながら、緑の葉に覆われた畝(うね)を切り開いていく。後ろを向くと、切り刻まれたブロッコリーの葉と茎が散ばっていて、なんとも言えない爽快感がある。
ブロッコリー農場のオーナーさんは面白い関西人だった(関西人だから面白いのかはさておき)。ぼくは「けん」ていう名前だけど、顔のイメージだけで最終日まで「あきら」だとオーナーから思われていた。
オーナーの言う通り「ブロッコリー・ハイ」になった。
ブロッコリーを刈り続けていると、もっと刈りたいっていう気持ちが強くなり、周りの他のものが見えなくなって、周りの音も聞こえにくくなる。
ブロッコリー・ハイにみんななってたかもしれない。農場は広い。
各々、自分の畝を自分のペースで刈り進めるので100メートル以上離れることもある。休憩だよと声をかけても、全然気づいてくれない。
こんなに沢山ブロッコリーを刈っているけど、
実は僕はブロッコリーが小さい頃から嫌いだ。
どんだけ沢山刈っても、ブロッコリーは好きにならないけど、ブロッコリーライフは中々いい日々だった。収穫を終えて毎晩、みんなで晩酌をする。
飲んで、食べて、話して、そろそろ寝ようと誰かが言って、それぞれの部屋に戻っていく。また明日もブロッコリーを刈る日々。