幸せとは、仕合せってこと。
様々な場所でよく耳にする、中島みゆきさんの「糸」の歌詞の中で「幸せ」は「仕合せ」という表記になっている。
幸せってなんだろう。ふわっとしていて、なんだかとりとめがない。
でも、お金やモノを手に入れたりして、何かをGETしていくことではないみたい。
お金持ちでも、一枚のステーキを食べて幸せだと感じずに当たり前だと思う人もいるし。その日暮らしの人でも、一枚の食パンを食べ幸せだと感じる人もいるから。
世界一幸福な国といわれるブータンは、GDP(国内総生産)ではなく、GNH(国民総幸福量)をもとにした国造りをしている。2年ごとに、約1万人を対象に諸手続きの時間を含め、一人あたり5時間ほどの聞き取り調査をしているそうだ。
一方で、GDP(国内総生産)が世界3位の日本は、幸福度ランキングでは
世界ランク80位を下回っている。
こう見ると、何を得るかではなくて、どう感じるかが幸せなんだ。
でも、幸せはもっと深いらいしい。
幸せは幸福感のことをいうのではなく、その成り立ちのことをいうらしい。
例えば、自分が旅に出たとして、道中できっと沢山の親切を受けるだろう。
道を教えてくれたり、ご飯をくれたり、家に招かれたり。
どの親切にたいしても、嬉しい気持ちになって幸せだと感じると思う。
でも、その幸せは自分が生み出したものだろうか。
道を教え、ご飯を作ってくれて、家に招いてもてなしてくれた人たちがいて、はじめて存在する幸せだろ感じる状態が生まれる。
もっと言えば、自分を旅に送り出してくれた友人や家族、同僚。旅の費用を得られたのは、仕事を教えてくれた会社の先輩の存在あってのこと。
もともと幸せとは「一人では感じることができないもの」だった。
私たちの暮らしが便利になる過程で、何かを手に入れまでのプロセスが
目に見えなくなって、幸福の成り立ちを感じる機会が少なくなってしまっ
た。
本来、幸せだと感じることができる状態は、沢山の人の働きの中にある状態をいう。「仕(つかえる、はたらき)」が「合わさる」ことで「仕合せ(幸せ)」というそうだ。
最近ではSNSをつかって、遠く離れた国の人々の暮らしを、あたかも一緒に暮らしている友人の様なレベルで覗き見ることができる。
自分が持っていないモノを沢山、身にまとっている画面越しの彼らを見たときに、自分も○○が欲しいと感じ、もっと幸せを求めていくのは僕自身を含めた皆そうだろう。
むしろ、そう思うのが人間の本能だと思う。欲こそが、生きる活力でもあるし。
ただ、あなたが求めている幸せは、本当に自分にとっての幸せですか?
誰かの幸せを真似しているだけじゃありませんか。
自分の周りにある沢山のはたらき「仕合わせ」を感じられていますか?
今の自分がいることは、とっても特別なことなんだと。
そう考えると、幸せは求めるものでも、感じるものでもなくて、気づくものなのかもしれない。
まだまだ、もっと、自分の幸せに気づけるように旅していこう。