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【読書】若桑みどり『皇后の肖像―昭憲皇太后の表象と女性の国民化』

 若桑みどり先生の本はハズレがない。打席にたてば常にホームランしか打たないような強打者、ことジェンダーから歴史を読み解く能力はズバ抜けております。フェミニズムに関する本でも常に一流。読まない手はない!
 そんなわけで『皇后の肖像―昭憲皇太后の表象と女性の国民化』を手にしたわけですが、書かれてから20年を経た2021年末、このご時世にここまでぴたりと嵌るとはおそろしい。読んでいるだけで血が滾る。そんな一冊です。

女系と女性天皇排除の理由とは?

 近代における帝国主義は、人種や性別に対する差別がなければ成立していないと言い切る本書。それまでは「神」だの「天意」だの、そんな理屈でごまかしていたのを、科学革命以降は「科学」を根拠に正統化してゆくと。本書は皇后の表象を扱うなかで、近代国家における女性の国民化の過程が検証されます。

 ここで井上毅が女性天皇を排除した理由が書かれているわけですが、身も蓋もないまとめ方をすればこうだ。

「明治日本で女が国のトップじゃまとまらない。女なんて出産育児にしか向いていない。そういう特性しかない。だから向いてない」

 ちゃんとした言葉は本書でご確認を。

 そこには伝統だのなんだの、もちろんY染色体の話なんて出てこない。ここで筆者は抜かりなく指摘しております。
 江戸時代の天皇は女性的だった。多くの女官にかしずかれ、うっすらと化粧をしていたほど。しかしこんな女々しいリーダーではイケイケの明治国家にはそぐわない。いっそ女が君主になることもやめてしまえ。そうなったと。
 これには当時から「女性だって立派な君主になれますよ。ヴィクトリア女王がいるでしょう」と突っ込まれていましたが、それでも明治日本は押し切りました。
 天皇というリーダーを男性的にする一方で、皇后というゴッドマザーを形成し、さらに国民の女性にまで浸透させてゆく。その手法を本書は暴いてゆくわけですが。

 こんなノリで大事なことを決めるなよ。それがいまだに祟っているのか……これじゃまるで政治家や思想家というより、イケイケの兄ちゃんのノリだよ。そう突っ込みたくなりますけど、実際のところ、明治政府上層部ってホモソーシャルそのものですよね。

 司馬遼太郎も好きな理屈として、明治という国は、狭い町内の若者たちがつくりあげたというものがあります。それのどこがいい話なのか。大学生サークルがウェイウェイするノリで国家を作り、その呪いがいまだに続いているんじゃないかと私はいい加減ゲンナリしています。
 幕臣の方が老獪で粘り腰の交渉ができていた。そのころあのウェイウェイ尊王攘夷サークルのにいちゃんたちは、キャバクラでテロ計画を密談していたわけじゃないですか。
 日本史が好き。戦国時代が好き。好きな戦国大名のことになるとノリノリになる海外の方も、幕末になると「あー……」と目を逸らすことが実に多いんですよね。そりゃそうよね。テロリストが心機一転国作りだ! こんなシナリオで盛り上がれるのって、それこそガラバゴス日本人だけだとそろそろ自覚しましょうよ。

ティアラが重くなる令和三年

 この本を読むいくと、ティアラにせよ、ローブ・デコルテにせよ、もう無心にはみられなくなります。明治日本がいかに背伸びして、なんとか西洋列強の末席に加わろうとしたかがわかってくる。その残滓がモロにあるのが、あの皇室女性のフォーマル姿でして。
 いうまでもなく、あの装いって、日本の伝統と微塵も関係がありませんもんね。

 そんな脱亜入欧のシンボルであるティアラが、2021年末、面白いことになってきております。

愛子さまティアラ『配慮と思慮深さの証し』イタリア誌が称賛 「日本のロイヤルウオッチャーたちは…」(中日スポーツ)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5f9150cd29acaababf02c675c5f2723e8d6b43b

 井上毅から「女には君主の適性がない!」と否定された愛子様が、ティアラによって君子の徳を示してしまった。一方で、未来の天皇であるあのお方にはこんな声が。

秋篠宮家の“放任教育”が悠仁さまに与える影響 “学習院回避”は本当に子どもたちの自発的考えなのか https://www.dailyshincho.jp/article/2021/12100556/

 あの人は果たして君子の器か? そう問われてしまっていると。それこそ井上毅なら「男で天皇家の血を引く時点で大丈夫なんだよ!」と熱く語り出しそうなところですが、果たして。ま、オリンピックがらみのあれやこれやも、そんな尊い血筋なら発生しなかった気がしますが。

五輪招致の闇、東京も JOCに衝撃、会長交代―五輪、迷走の8年(3):時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2021071000227&g=spo

 2021年、こうも立て続けに続くとなると、もはや血統神話は終わったのだと思わされることこのうえない。

 その象徴があのティアラだ。

 皇后の頭にティアラを被せるほど、西洋のことばかりを考えていた明治。明治にならい、それこそ西洋がどう日本の皇室を見ているか考えた方がよいのではないですか? 西洋の王室は次から次へと、女性君主を認めていますが。

 日本はコロリと西洋の真似もできない。むしろ明治時代の呪縛に手足を縛られている。そう確認できるよい一冊でした。これが出版された二十年前よりももろもろの状況が悪化しているかのように思えるところは、気になりますけれども。

 これぞ今こそ読むべき一冊です。

 


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小檜山青 Sei KOBIYAMA
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