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【映画】『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』アレンジしつつ王道の唐代伝奇

 盛大な邦題詐欺だ! 珍作だ! 一体これはなんなんだ! そんな芳しくない評価も多い本作。
 しかし、私は大いにありだと思えました。陳凱歌といえば『無極』もあった。それよりははるかにマシじゃないか。よりにもよってそれとは比較せずともよい作品を持ち出し、かえって信憑性を下げてしまいましたが。
 そういうことはさておき、これはよい映画だとは思います。ただ、日本の配給があしをひっぱっているとは思いますが。

『長恨歌』制作秘話に妖猫を絡めたぞ!

 邦題詐欺にもほどがある本作。ちなみに私は原作は未読です。空海が主役といえばそうとも言える。でも、別に空海が修行をするとか。空海の生い立ちとか。そういう話ではないのです。

 空海がホームズで、白楽天がワトソン。このバディで楊貴妃の死の真相を探っていく。白楽天は「李白みたいな詩人になるぞ!」と意気込んでおりまして。詩の題材として玄宗と楊貴妃を選びます。すると黒猫が「おまえの詩はデタラメだ! 楊貴妃は悲恋のヒロインじゃない! むしろ利用されたんだ!」と言い出す。

 なぜ黒猫が?
 黒猫は妖怪なのです。元のタイトルは『妖猫伝』。猫が主役のようにも思える作品です。主役というよりは悪役とも言えるのですが、悪とも言い切れないし、人を襲っていてもかわいらしいので困ります。

 こんなプロットなので、最低限『長恨歌』は頭に入っているとよろしいかとは思います。詠みあげる場面があればよいものの、李白『清平調詞』は出てきても『長恨歌』は出てこないので。
「そのくらい有名なら知ってるでしょ!」
 そういうことなんでしょうね。日本でも知名度はかなり高いとは思いますが。比翼の鳥といえば『長恨歌』ですよね。そんな名作の制作背景と妖怪猫を絡める。これはなかなか豪華な話だとは思うのですが。

ファンタジーじゃない、伝奇だ

 しかし、この肝心の猫の話があんまり伝わっていないのではないかとは感想を見ていると思えてきます。ファンタジー映画という評価もありますが、そもそもこのファンタジーという言葉の使い方には色々突っ込みたい。ハイ・ファンタジーか、ロー・ファンタジーか? そういうツッコミをしたくなる時もある。明確にファンタジーではない、『麒麟がくる』の駒や東庵を「ファンタジーw」呼ばわりするとか。ありゃなんだったんでしょうね。

 話を戻すと。
 この映画はファンタジーではない。英語圏の方がそう呼んでもそれはそうかもしれないとは思います。しかし、漢字を使う文化圏ならそこは「伝奇」と呼びましょうね。
 
 慣れていないと、「なんじゃこりゃ!」となってしまいそうな本作。しかし、唐代伝奇の文脈には沿っている。いろいろそういう文脈をすっ飛ばした『PROMISE』のような無茶苦茶さはない。中国古典らしさにアレンジを加えていて、とてもよくまとまっていると思えました。西瓜売りの幻術なんて実によくできていました。
 ただ、唐代伝奇に馴染みがない層には、わけがわからないだろうとは思いますが。珍妙どころか、この映画は王道です。この映画を理解できない感想が多いということは、やはり日本人の漢籍読解力や中国文化、思想への理解が落ちてきているのかと不安になったことも確かです。

 唐代の考証もしっかりしています。楊貴妃はもっとふくよかでもよかったんじゃないかとか、そういうことはさておき。衣装や道具も綺麗。長安は広大なセットを作ったというのも納得。見ていて引っかかるところがない、極めて秀逸な出来と言えます。
 VFXも進歩している。唐代伝奇の世界をそのまま実写化されているという衝撃は素晴らしいものがあります。2000年代や2010年代からの進歩も感じます。変な捻りをせず、そのまま中国の伝統を映像化するだけでも美しい。そんな境地への到達を見た気がしました。

楊貴妃とは何なのか?

 楊貴妃という絶世の美女は何者か?
 これは古来、人の頭を悩ませてきたことではある。当時から「あのデブ!」と悪口を言われていたとか。後世の人が「うーん、唐代はみんなぽっちゃり好きだろ」と突っ込んでいたとか。そんな体型の話のみならず、そもそも美女とは何かという話にもなりますよね。

 楊貴妃と同じ容姿の持ち主でも、農婦だったらどうか? それこそ西瓜でも売りながら呑気に生きるだけだったかもしれない。権力者に愛され、激動の時代に立ち会ってしまっただけに、その伝説的な美貌が強調されてきたと言えます。

 本作はそのあたりを綺麗に落としている。
 本作でははっきりと、漢族以外の血を引くエキゾチックな容貌が美しいと定義されています。そんな多民族国家として成立しているからこそ、唐が偉大であることは伝わってきます。空海は当然狂言回しとしている。妓楼はじめいろいろな場所に、漢族以外の人々が当たり前のように暮らしています。
 玄宗との宴では、唐という大帝国そのものがいかに大きく、かつ美しかったか、圧倒的な映像美によって語られるのです。李白がベロンベロンになって宴にいて、阿倍仲麻呂もいる。なんで安倍が出てくるのか? 日本要素もあるのでしょうが、交際的な大帝国であるということも重要なのでしょう。

 楊貴妃はただの美女ではない。
 大唐そのものの象徴であり、その国の栄えそのものに男たちは酔っ払ってしまう。安史の乱で唐は傾く。楊貴妃の死とは、大帝国そのものの死なのかもしれない。そんなふうに思える作りでした。

 中国映画全盛期はいつなのか? かつて巨匠と呼ばれた中国の監督が、しょうもねえ娯楽大作を作り上げてしまうことにはツッコミが入ります。『PROMISE』とか『グレートウォール』とか……。でも考えてみてくださいよ。『ムーラン』にせよ『新解釈・三国志』にせよ。中国語圏以外の監督が手がけた中国ものはどうでしたか?

 みていてわからないとか。とっつきにくいとか。豪快な失敗をかますとか。そういうことはままあるとは思う。けれども、やはり中国語圏の監督こそ、中国を題材にしたものをうまく作れるのではありませんか? そう証明されつつあって喜ばしい限りです。

 最後に、染谷将太さんがやはりお上手でした。彼はさておき、他の日本人キャストを大きく扱うポスターとか。吹き替えしか上映時はなかったとか。何より邦題とか。そういう配給会社の気遣いはむしろ悪評の原因の気がしますので、どうにかして欲しいものです。ポスターはじめ、宣伝ビジュアルの日本版が一番カッコ悪いといういつもの弊害が大きい作品です。

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小檜山青 Sei KOBIYAMA
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