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漢文は不要どころか大事です
実学重視となると、国語の時間から古文漢文がなくなる。そうなったら史料が読めなくなるのではないか?
そんな危惧があるようですが、個人的にはもう手遅れじゃないかとは思っています。天安門事件以降、中国史への関心が低下した。ついでに中国由来のものを見下し、嫌悪する機が到来した。
そういうことはかなり前から指摘されています。具体的に指摘すると、現在の40代以下は危うい。
『三国志』ものは定番とはいえ、『水滸伝』の人気は低下している。漢文不要論を唱えてバズる有名人が定期的に出てくる。
儒教が何かわからないけど、「儒教ってやっぱダメだわ」と貶すことが定番になっている。インターネットではむしろ定番。
大手掲示板時代に、先行者という中国製ロボットをバカにする流れがあった。チャイナボカンなんていうインターネット用語もあった。中国を小馬鹿にすることがあいさつみたいなものでした。
小林よしのりの『戦争論』を読んで歴史修正主義に毒され、大手掲示板で中韓を小馬鹿にする。そういう青春時代から進歩できない。漢文なんて読んで意味あるの? そう皮肉っぽい笑みを浮かべる。
そういう流れが定着した。儒教や漢文なんて小馬鹿にして当然という態度は浸透していると思えるのです。
このことを確信したのは『麒麟がくる』でした。あのドラマは重大なヒントを漢籍を用いて示していた。解読すると実にわかりやすいドラマだったのですが、それができずに「脚本が粗い」「役者いいだけ」「何がしたいのかわからない」だのなんだの言われている。漢文という鍵一本で理解度がこうも変わるのかとショックを受けました。かくいう私だって、別に漢文や中国史は得意じゃないんですけどね。
歴史を学んでも、攘夷現代版のような中韓ヘイトにハマるとか。敵を知ろうともせず、己を知ろうともせず、罠にハマるとか。そういうことになるのかと自戒をこめていろいろ考えてしまいます。
一方で中国語圏では、日本史知識の吸収が高まっています。
中国語圏が日本史を学び、日本が中国史を忘れる。となると、相手は「敵を知り、己を知る」という百戦百勝の構えに突入します。
いろいろ大丈夫かな? そう不安になる今日この頃ではあります。
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