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ゴカム後の空白に……『警視庁草紙』のススメ
『ゴールデンカムイ』最終巻も読んで、ぽっかり胸に穴が開いちまったよ。アニメに映画はあるとはいえ、この寂しさをどう埋めたらいい?
漫画を失った穴は漫画で埋めましょうか。
共通点が多い2作品
といってもさ。
・ミステリ要素あり
・青年漫画
・同時期の連載
・エログロ満載
・明治時代が舞台
この条件を満たす作品があると思いますか? 結論から言えばあるんですね。それが『警視庁草紙‐風太郎明治劇場‐』。
風太郎明治劇場とわざわざ入れるということは、他の作品の漫画化も期待しています。講談社のモーニングは『不戦日記』も漫画化しておりますから、相当のファンがいるのでしょう。
忍法帖ではなく、幕末から明治ものの漫画化は期待できます。『魔群の通過』も含めて、今後に期待したいところ。
そんな期待はさておき、本題にでも。どうしてこれが『ゴールデンカムイ』の読者にオススメなのか?
“大団円”がない明治劇場
『ゴールデンカムイ』は勢いがある作品であり、明治時代の時代背景を飛ばしても読み進められます。けれども、把握しておかないとわかりにくい要素はたくさんあります。
かつ、ちょっと甘い。糖衣コーティングされているところがある。これはアイヌに対しての態度がまず俎上にあがりました。
『ゴールデンカムイ』は優れた作品です。そこは否定しません。が、最後の最後で時代遅れになった感はある。
◆ローマ教皇「イデオロギーの植民地化」批判 カナダ先住民に重ねて謝罪 https://www.afpbb.com/articles/-/3416591
先住民への迫害は、当時から文明化だのなんだの、そんな理屈でごまかされてきました。よいことをしてやった。そういう言い訳はもうたくさんだと、教皇すら認めなければならないのが2022年。
野田先生や編集部の、強いアイヌを描きたいという思いはわかる。アイヌは滅びるさだめという描き方をされてきて、傷ついたり、避けるようになった当事者は多い。
とはいえ、迫害されてきた姿と、強いアイヌを並行して描くことができないかというと、そうでもない。『ゴールデンカムイ』の場合、それを両立したウイルクとキロランケを、杉元とアシㇼパは否定する。闘争を捨てたからこそ、ヒンナヒンナと言い合う“大団円”になった。そういう誘導はあったけれども、差別と戦うこと、謝罪することと、幸せに暮らすことだって両立するとまで示さないとどうしたって古いと思えてしまうのですね。
こうした価値観はNHKでも放映していた『アンという名の少女』にも反映されていました。コロンブス・デーは時代遅れ。先住民の日になっていく。そんな世界的な流れがあります。
大英博物館のマンガ展でアシㇼパがメインビジュアルに選ばれたのも、この流れに乗ったからこそ。それが最終盤に失速したように思えると。ただ、あの“大団円”の伏線はありました。作る側としては失速したつもりはないのだと思います。
そんな真逆の『ゴールデンカムイ』と異なるエンディングが続く。それが山田風太郎の明治もの。ネタバレ前提で進めます。
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