桶の中の月
長旅の決着をつける
朝起きると、静かな空間が広がっている。私は自分で自分におはようと言う。それからベランダの植物の水やりをして、軽くアーサナと瞑想を済ませたら、鍋に水を入れて生姜とスパイスを煮出してチャイを作る。ここまではほぼ欠かさない日々の日課だ。
それからチャイを飲みながら、世の中のニュースをチェックする。毎日ニュースを眺めるほどに今生きているこの現実が不思議で仕方ない。中国や日本で降り止まない雨、バッタの襲来、減らないCovid-19の感染者、きな臭い印中の国境、世界で多発しているデモや暴動。一体全体世界はどうして急にこんなに変わってしまったのだろう?
2018年の春にインドから帰国してちょうど2年半になる。その間一度も海外に出ていない。帰国してすぐの頃は、次はいつインドへ行こうかとずっと考えていた。いつでも出国できるようにと荷物の半分はトランクルームに預けたまま、シェアハウスに半年住んでいたりしたものだった。ところが今や、気楽にインドに行けるのはいつの日か、全く目処が立たない。
先日インド滞在中の出来事を書いた「インド、瞑想を巡る旅」を読み返し、あれから日本に帰国した2年半の間に自分に起こったことと、世界に起こった出来事の濃さに、けっこう途方に暮れてしまった。それに比べたら、当時の旅は牧歌的だ。
長い旅の後、大変なのは現実にどう着地してくか、だと思う。しかも私の場合ヨガだの瞑想だのスピリチュアルな探求をしていたので、物理的な着地と精神的な着地をダブルで行わなければならなかった。50近くにもなって荷物を1畳のトランクルームに入るだけに処分し、もうインドの大地に消え去ってもいいくらいの勢いで旅立っただけに、着地は簡単なことではなかったし、むしろ旅そのものより、帰ってきた後の奮闘の方が、ずっと重かった。まだまだ自分も世界も、先の見えない大きな変化の真っ最中ではあるけれど。今回は「インド、瞑想を巡る旅」その後の顛末を少し書いてみたい。
この2年半の間に、私は立て続けに病院にお世話になることになった。2018年の夏に白内障の手術を受け、去年の夏に乳がんの手術を受けた。
乳がんに関しては、突然告知を受けたわけではない。左胸に小さなしこりを見つけたのは実は5年も前だ。当時私は離婚協議中の切羽詰まった状況下にあり、そんな中で受けたがんの診断には、完全に心身のバランスを失いそうになった。
不幸中の幸いか、しこりは0期の非浸潤がんで、化学療法などは必要ないが、場所が悪いので全摘という診断だった。私は全摘という診断に納得がいかず、自分なりに調べ、考えた結果、手術を先延ばしにして、インドでアーユルヴェーダの治療を受けてみることにした。ヨガを欠かさず、食事にもかなり気を使いながら、自分の治癒力が病を溶かしてくれるのを期待したのだった。
日本の生活を放擲してインドを行き来していたのも、ヨガやアーユルヴェーダでなんとか病を直したいという気持ちと、目の前の辛い現実から逃れたいという一心だった。その危うい崖っぷちの中で、自分を護ってくれたのは、インドの大地とヨガや瞑想だった。特に瞑想は嵐に吹き飛ばされそうになる自分の心をどれだけ静めてくれたか計り知れない。そんな中で私は自然にラマナ・マハルシの教えに出会い、より内的な探求へを駆り立てられていったのだった。
インドでの生活の中で、しこりはかなり小さくなり、普段はあまり思い出すこともなくなっていた。(もう半分治ったつもりでいた。)ところが、日本に帰国して先の見えない日々を送るうちに、それは再び、少しずつ、大きくなっているように、感じはじめた。
ちぐはぐがゆさぶられる
スピリチュアルな探求をしばらく続けると、それがたとえ日本の自宅であったとしても、だんだんと内的世界と外的世界が乖離してくることがある。きっと多くの人がそのような経験を通りすぎているのではないかと思う。
長時間の瞑想や、リトリートやセッションなどで感覚が研ぎ澄まされて、内的な境地は深くなってくるのに、現実には満員電車での通勤が待っている。
社会での人付き合い、日常生活の些末な雑事、当然内的な世界にエネルギーが注がれるので外側の世界での効率は落ち、人間関係もおそろかになる。
何よりもだんだんと、その乖離の欠落感を補おうと、厄介な選民意識みたいなものが芽生えても来る。分かっている私と無知なあなた。頑張って浄化している私と、世俗にまみれたあなた。私が目指している深遠な世界をあなたたちがわかってくれなくても結構よ。自然とそれは身近な人や家族にも向けられる。
インドから帰ってきて、暫くの間、私はまさにそのような乖離の中で生き続けてきた。思えばこの頃が一番きつかったと思う。身体の検査をする必要があるのは分かっていたが、何かと理由をつけてそれを先延ばしにし続けた。
でも何かがいつもちぐはぐなのだ。私はきっと上の空だったのだろう、仕事先でも色々注意を受けたし、人とのトラブルも続いた。その度に自分が情けなくなり、そこから逃げようとさらに深く瞑想の中に入って行った。
よく本などでは、内的な状態が整ってくると外側の世界も落ち着いて来ると言われているが、これほど頑張って瞑想し、プラクティスを続けているにもかかわらず、落ち着くどころか外側の世界では、どんどん窮地に追い込まれることに、ただ私は困惑していた。
今思えば、そうした苦しさや揺り動かしこそ、外側と内側のアンバランスさを整えるための、宇宙の恩寵のようなものだったのかもしれない。そこまでされなければ、必要なことに気づけないなんて、全く呆れてしまうけれど。
平成も終わろうとする2019年の春、色々な出来事が重なって、自分をごまかせなくなった私は、ついに病院へ行く決心をした。大病院への紹介状を書いてもらうためにまずは近所のレディースクリニックへ足を運ぶ。事情を話して触診をしてもらう。長い間放っておいて叱られるかと思ったが、恰幅の良い医師に「それで勇気を出してここまで来たんだね。」と言われ、もう降参だと思った。
医師は紹介状を書き、すぐに大病院へ電話をする。平成の終わりには間に合わず、令和の長期休暇が終わった直後に予約が取れた。暗澹たる気持ちで、令和の始まりを過ごし、5年ぶりに再び精密検査を受けると、幸い症状は進行していなかった。多分インドでの治療やヨガの生活(ついでに言えば、プージャやマントラもやっていた。)が、功を奏してくれたのかもしれない。ここでの担当は若い女医さんで「前回と変わらず非浸潤がんですが、がんはがんですから。」と今回は手術を逃げないように釘をさされた。
ところが往生際の悪い私はそれでも尚、進行していないなら、何とかなるのではないかと、医者に懇願して手術まで3ヶ月の時間をもらい、ヒーリングに通い、断食を試みたり、「ありがとう」を唱え続けたりと、無駄なあがきを試みた。気の強そうな女医さんは「しこりが完全になくならない限り、手術は必要です。3ヶ月ですっかり消えるなんて、あり得ませんよ!」ときっぱり言い放つ。
ここで、頑張って様々なヒーリングを試みて、「私も〇〇でがんが治りました!」と高らかに宣言できたなら良かったが、宇宙は私が「勝つ」ことは望んでいなかったらしい。
桶の中の月
そんなある日、私はネットで鎌倉時代の禅宗の尼僧、千代能という人物について書かれた記事を偶然目にした。千代能は絶世の美女であったが、この世の無常を憂い、出家を望んで寺を尋ねるも、その美貌が男性修行者の煩悩につながると、入寺を断られてしまう。そこで彼女は自ら自分の顔を炭で焼いて醜い火傷を作り、その熱意を買われて出家を許される。しかし、熱心に修行を続けても千代能はなかなか悟ることができない。出家から30年も経つ頃、夜に井戸へ水を汲みに行き、桶の水に映った月を眺めていた。すると突然その桶の底が抜けて、水も月も消え、その瞬間に彼女は悟ったという。その時詠んだだ有名な俳句がある。
千代能が修行していた鎌倉の海蔵寺には「底脱の井」と名付けられたその井戸が、まだ残っているという。私は何故か、そのエピソードに深く心を動かされ、「底脱の井」を訪ねてみようと思い立った。
海蔵寺はこじんまりした庭の美しい禅寺で、井戸はお寺の入り口の脇に小さく佇んでいた。特に何の変哲もない井戸だった。私は井戸の前にしばらく立って、心の中で何回も千代能の読んだ句を繰り返した。その句がとても大切なことを伝えているように感じたのだった。
その数日後、病院に診察へ行く途中のバスの中で、「気づき」がコツンと降りてきた。
「水たまらねば 月もやどらじ」
水は心、桶に写った月は心が映し出す幻影だ。千代能は水の溜まった桶を大事に抱えてそこに映る幻の月を、さも実物であるかのように眺め、それを手にしようと追い求めていた。月を映し出しているのは心にすぎない。その水がなくなれば月は映らないのだ。
ああ、そうか。
私もずっと水がいっぱい溜まった桶を、大事に大事に抱えて、月を眺め続けていた。この私という存在の周りに沢山のストーリーを作り上げて、自分を悲劇のヒロインにして何らかの意味を見出そうとしていた。最初に診断がおりてからの5年間、私はずっと自分の間違い探してきた気がする。病気になってしまった自分はどこかが間違っている。その間違いを探し出して正せば、心も体もそのバランスを取り戻して健康になってくれるかもしれない、と。
胸だからハートが傷ついているとか、女性性が傷ついているとか、自己愛が足りないとか、食べ物が悪いとか、生活習慣や考え方のせいかもしれないとか... 気がつくと、自分で勝手に膨大なストーリーを作り上げて、それを深掘りし続けていた。
その全ては心の作った夢、幻に過ぎなかった。起こった出来事に何らかの答えを見つけようと必死になっていたが、見つかる訳はない。答えがない、ということが答えだった。そこに何のストーリーを挟む事がなければ、答えは本当にシンプルなことだ。あるがままのこの身体という現実に、ただ、対処するしかないのだ。
変わらないもの、変わるもの
幸いなことに医者は、しこりを切除すれば治ると言っている。胸を片方切り落とすだけで、命には別条はない。それが一番シンプルで、今の所、確実に治る方法なのだ。
「胸が片方ない女なんて...」とか何とか、余計なことを考えているのは自分の頭にすぎない。そもそもこの体が「私のもの」だということすら幻想だとラマナも繰り返し言っているのに。
何とも言えぬ可笑しさがこみ上げて、力が抜けた。自分がしてきた事がとても滑稽に思えた。病気になったのは、生活習慣かもしれないし、遺伝かもしれないし、ネガティブな考え方かもしれないし、悪い性格のせいかもしれないし、悪いカルマかもしれないし、星の巡り合わせかもしれない。でも、正解など誰にもわからない。そこに無理やり意味や原因をこじつけても、真実ではなく、それにしがみつくことこそ、自分を苦しめていたのだ。
もちろん、私は千代能のように悟った人間ではないので、この句の真意を深くまで理解しきれる筈はない。それでも、表面的な理解であっても、それは私に大きな気づきを与えてくれ、現実に対処する勇気を与えてくれた。
そして私は抵抗するのをやめて、医者の言う通りに手術を受けて、今に至る。私は自分の身体の一部を失うことをずっと恐れ続けていたけれど、分かったのは、体の一部が変わったところで「私」の本質は、本当に何も変わらないということだった。もちろん、悲しみや喪失感がゼロというわけではない、何故私がこんな目にと全く思わないわけでもない。けれど、体の一部が損なわれれば、私も損なわれるという考えも、頭が作った思い込みでしかなかったのだった。
それにしても、無謀で危ない橋を渡っていたのだと、心からぞっとする。片胸を失ったアンラッキーより、今生きていることのラッキーが遥かに上回る。自分の浅はかさに今は深く反省している。
体は生まれた瞬間から死ぬまで、止まることなく変化していく。静止し完全性を持った実体として存在していたことなど一度もない。その変化を止めよう、自分の思い通りにしようと過度に執着すれば、それが心の苦しみになる。ヨガの学びの中でも何度も頭に入れたはずなのに、理解がハートまで降りていなかったということだろう。その間ずっとずっと体にしこりを抱えていたことの方が、どれほどのストレスになっていたか...術後一年たってそれをしみじみと実感している。体にごめんなさいと謝りたい。
手術が終わった後、私は師であるジョシーに電話をした。この頃には彼はぼんやりしていることが多く、まともに会話できる時間はとても少なくなっていた。
「ジョシー、胸切りましたよ。」
「そう、変わらなかったでしょう?」
「うん、変わらなかった。」
「だから言ったでしょう、みんなジョシーにあれができない、これができないって言うけれど、ジョシーは何も変わらない。」
「そうですね、ジョシーも何も変わらないんですね。変わらないものが大切なんですね。」
「でも、変わっていくものも悪くはないんですよ。」
ぼんやりしている時は、私の顔を認識しているかもあやしいのに、ここぞと言う時にはちゃんと必要なことを言ってくれる。もしかして彼はずっと私にそのことを伝えたかったのかもしれない。
とはいえ、手術が終わってすぐにスッキリした!というわけではない。心に潜む「分離感」はふとした時に顔を出して、焦燥感や惨めさが覆いかぶさってくる。内側と外側をひとつにまとめるのはそんなに簡単ではなさそうだ。それはまた、次の話で。