野のゆり印

絵や文章を書いています。西と東の霊性をめぐる旅、瞑想と祈り、日々の考察や気づきを中心に、noteでは主に長文を掲載しています。面白かったらぜひ「スキ」をいただけると励みになります。

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最近の記事

自己紹介

こんにちは野のゆり印です。 note歴は結構古く、2016年ごろから細々続けています。始めた頃、私は足繁くインドに通いながらヨガや瞑想を学んでいました。このページの前半は、そうしたテーマについて書いています。様々な道や技法を探究しながら、最終的に出会ったのは自分でもびっくりのイエス様の道でした。2022年の末のことです。これにより、過去のアイデンティティは一掃され、今はキリスト教(プロテスタント)の信仰を持ち、教会に通って、聖書学び、日々祈っています。 今の私の内的な風景

    • 私という重荷を預ける

      探し物は我が内に 聖書とはとても不思議な書物です。読む人それぞれが、一番必要としている言葉に、自然と目が留まるのです。聖書を読み始めて、私の心を掴んだのは、人間とは大体みんなダメ人間だという前提に立っていることでした。 そう、人間とは例外なく「間違う」のです。それを聖書では「罪人」と呼びます。新約聖書が書かれた言語であるギリシャ語で、罪人は「ハマルティア」、それは「的を外した」という意味だそうです。 現代のスピリチュアルな文脈で捉えると、これは非常にネガティブな考え方で

      • 見えないものへの愛

        先日、私が通っている教会の礎を築き、非常に尊敬され、慕われていた教師が亡くなりました。その葬儀が教会で行われました。キリスト教会の葬儀は故人を神格化して殊更に賛美したり、拝んだりということはしません。あくまでもいつも通りの神への礼拝という形は崩さず、その中で故人が愛した聖句を読み、讃美歌を歌って偲び、神のもとへ送り出します。とても長く牧会生活を送った方でしたので、その遺志は徹底され、葬儀には 教会員であれば誰でも(例え本人をよく知らなくとも)出席できました。 私はその方とは

        • 瞑想から祈りへ

          降りていく人生 毎夜、眠る前に、私は分厚い聖書をめくる。2022年の年末から、少しづつ読んでいるのだ。地道にマイペースで読んでいって、もうすぐ読み終わりそうだ。全く意外な展開だと我ながら思いつつ。 きっかけは、1年前。私の書く文章に何度も登場する、大切なヨガの師が亡くなったことだ。その知らせを聞く前の数ヶ月は、何故だか不安定な精神状態が続いた。職場の人間関係もしんどかったし、体調も悪く、そのせいで先行きも見えず、アーサナを行いながら、理由もなく泣いてしまうことがあった。振

          カーラ、時間という女神

          待つことこの週末久しぶりに冬物を買い出しに出かけたら、かなりの人出で驚いた。エレベーターで耳に入った老年の母とその娘の会話でも「半年ぶりに来た。」と話していたから、みんなもう普通に外出してもいいよね、って気分になっているのだろう。 しかし一方実家のある北海道では感染者が急増している。高齢者施設でクラスターが発生したとかで、父が暮らしている施設も、急用以外は外出禁止、面会も禁止らしい。ヨーロッパもロックダウンし始めているから、関東圏でもこの冬は油断はできないと思う。しかし、こん

          カーラ、時間という女神

          この手の向こうに永遠を見る

          身体は壺か神秘なのか?先日プラム・ヴィレッジのオンライン・リトリートに参加してみました。プラム・ヴィレッジはベトナム人の禅僧・人権運動家・詩人であるティク・ナット・ハンがフランス南部に設立した瞑想センターです。ティク・ナット・ハンはダライ・ラマ14世と並んで、20世紀から平和活動に従事する代表的な仏教者で、著作も多く、マインドフルネス瞑想を世界的に広めた方でもあります。 お名前は以前から知っておりましたが、インドびいきだったゆえ、今まで著作を読んだことはありませんでした。た

          この手の向こうに永遠を見る

          カルマの処方箋

          カルマは重い?インドで生まれた哲学や宗教には「カルマ」という考え方があります。日本語では「業」、シンプルに訳せばカルマとは「行為」という意味です。 人間がある行為をする、その行為によって結果が起こります。その結果をもとにしてさらに次の行為が引き起こされ、そして次の結果が生み出される。そのようにカルマの連鎖は延々と続いてゆくという考えです。 たとえ人間の肉体が死によって終了となっても、魂は死ぬことがなく、カルマの連鎖は肉体を超えて続くとされます。これが輪廻転生という考えに接

          カルマの処方箋

          桶の中の月

          長旅の決着をつける朝起きると、静かな空間が広がっている。私は自分で自分におはようと言う。それからベランダの植物の水やりをして、軽くアーサナと瞑想を済ませたら、鍋に水を入れて生姜とスパイスを煮出してチャイを作る。ここまではほぼ欠かさない日々の日課だ。 それからチャイを飲みながら、世の中のニュースをチェックする。毎日ニュースを眺めるほどに今生きているこの現実が不思議で仕方ない。中国や日本で降り止まない雨、バッタの襲来、減らないCovid-19の感染者、きな臭い印中の国境、世界で

          桶の中の月

          私という深き問いかけ〜ニサルガダッタ・マハラジ「意識に先立って」

          私についての科学 前回ラメッシ・バルセカールの「誰がかまうもんか?!」について書いたが、ニサルガダッタ・マハラジは彼の偉大なグルである。  マハラジの代表作である「アイ・アム・ザット」は随分前から持っていたけど、ものすごく分厚い本で読みにくく、マハラジの突き放したような物言いが、取りつくシマもない感じがして、なかなか読み切ることができず、ずっと苦手意識を持っていた。  しかし「誰がかまうもんか?!」を読んでからは、マハラジが言わんとしているポイントがぐっと掴みやすくなり、

          私という深き問いかけ〜ニサルガダッタ・マハラジ「意識に先立って」

          自由意志はあるのか?

          お正月に弟に会って、ちょっとホロスコープを見てあげたら、結構当たってると驚かれた。超初心者の見立てであったが、身内は星の象意を特定しやすいから他の人より読みやすいのだと思う。占いにあまり縁のない弟は何気に驚いたらしく、運命って決まってるのかなと色々尋ねてきたので、そのままカルマとかのインド哲学の話になったりして、分かりやすい動画送るよとYouTubeで調べはじめたら、結構面白くなり、ミイラ取りがミイラになって、久々にラマナ・マハルシなどの動画を見漁ってしまった。 インド占星

          自由意志はあるのか?

          インド瞑想を巡る旅 10(最終回)

          エンド・オブ・インディア滲む光 コルベット国立公園でのアナディ(アジズ)の瞑想リトリートを終えて、私はデリーの喧騒の中に再び舞い戻った。 グルガオンに住む友人の家に泊まる予定だったが、10日ぶりに携帯を開くと、急用ができてデリーを離れるので、近所のホテルを予約したと連絡が入っていた。 予約されていたホテルは小ぎれいなビジネスホテルで、泊まっているのは、ほとんど湾岸からのツーリストだった。 部屋に荷物を置き、グルガオンに住む別の友人から食事に誘われたので出かけると、会うなり

          インド瞑想を巡る旅 10(最終回)

          インド 瞑想を巡る旅 9

          冬の旅スリランカでたそがれて    コルベット国立公園での瞑想リトリートの後、デリーで1週間を過ごしスリランカへ向かった。2016年の12月にインドに来て約一年が経っていた。インドの観光ビザが切れるので、新しいビザを取得するための旅だ。  当初日本を発つ時は、旅行期間は一年くらいと考えていたが、日々はあっという間で、全く日本に戻る気にはなれなかった。しかし旅費は底をつきかけてたし、これ以上インドに居たければ、働くか何かしなければならない。一年もインドにいれば何かが先の展望が

          インド 瞑想を巡る旅 9

          インド 瞑想を巡る旅 8

          私と恋に落ちるニューデリーでの災難  コーチンから飛行機でデリーに着いたのは夜中で、予約していたメインバザールの宿は、窓もなく、トイレシャワーも共同だった。部屋の写真が綺麗な割に、値段が安かったから予約したけど、共同シャワーだったとは確認し忘れた。仕方ない二泊だし、我慢するとしよう。  メインバザールに滞在中、私はいつもよく眠れない。空気のせいなのか頭痛もしてくる。その日も全く同じで、疲れているのに全く眠れなかった。典型的なバックパッカー宿で、隣の部屋の声も筒抜けだ。  9

          インド 瞑想を巡る旅 8

          インド 瞑想を巡る旅 7

          最愛の人は私念願のケーララ・リトリート  2017年9月、ネパールから無事にケーララに戻った私は、月末に開催するジョシーとの「ヨガと瞑想のリトリート」の準備をはじめた。私にとってそれは、ここ数年のジョシーとの関わりの「まとめ」のような仕事だった。  30年以上日本に住んでヨガを教えていたジョシーがインドに戻って約5年、ビザの関係等々で日本に戻れなくなってから、もう一度日本の生徒たちにヨガを教える機会を作ることは、私の念願だった。しかし、機会はなかなか訪れなかった。  しかし

          インド 瞑想を巡る旅 7

          インド 瞑想を巡る旅6

          瞑想の中で迷走するステート・オブ・プレゼンス  ダラムサラを訪れるまでは、チベット仏教にはほとんど興味がなかった。昔中沢新一の著作を夢中で読んだこともあったが、そのミステリアスな修行法は自分には無縁のものだと思っていた。そもそも伝統的な宗教という枠組みに今更はまるつもりもなかった。  しかし意外なことにそこには、明確に瞑想とは何か、なぜ必要かを説明し、初心者に向けて、丁寧に瞑想を教えてくれる場があった。あなたは瞑想なんてまだ早いなんて言わない。心は世界を見るベースになるのだ

          インド 瞑想を巡る旅6

          インド 瞑想を巡る旅 5

          ヒマラヤの尼僧院尼僧院に誘われて  ダンスリトリートの後、車でさらに山を1時間ほど登り、ダライ・ラマ14世の指揮するチベット亡命政権があるダラム・サラまでやってきた。OSHOアシュラムのあるカングラはそれなりに暑くて、昼間は川で泳げるほどだったけれど、ここまでくるとすっかり山の空気。日中はサンダル半袖でOKでも夜になると靴下上着は必須。他のインドでは酷暑期に突入する5月、暑さをしのいでたくさんの旅人がダラムサラに押し寄せてきていた。  ダラムサラはチベット亡命政府のあるマク

          インド 瞑想を巡る旅 5