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物語りの作り替え

友だちに手紙で過去の殺人事件の話を訊かれて、詳細を書いて送ったら、「まこちゃんにとって、大切な人だったんだね。辛い過去を思い出させてしまってごめん。」と返信が来た。でも、そんな事は無いんだよ。

私は物語を都合の良い様に作り替えているのだと思う。私はHSPだから、一般的な人よりもより傷つきやすい。だから、本能的に自分自身を守るために、子どもの頃から沢山の自分自身を守る方法を選択してきた。その中の一つだ。自分を守るために、自分が納得がいって、受け入れやすい物語りに作り替えるのだ。

専門的には、ナラティブアプローチではドミナントストーリーのオルタナティブストーリーへの転換とか、認知療法で言えば、認知の歪みの修正とか言うのかもしれない。でも、私はカタカナや難しい言葉が苦手なので、自分が理解できる言葉にいつも造り変えてしまう。

この殺人事件の物語りも、私にとっては過去の痛みだが、既に過去の物語りなのだ。過去にできているから何度も何度も牛の様に反芻し、その度ごとに自分に都合の良い様に書き加えられ、見たくない部分は消去され、自分好みの美しい物語りに作り替えている。
だから、過去の辛い体験を訊かれることは嫌いではない。その度ごとに書き換えを行う機会ができるからだ。

過去の辛い体験を訊くことは、フラッシュバックを起こさせるからPTSDではよろしくない事とされている。しかし、その人にとって過去の出来事として昇華させるためには、自分自身の中で自分に都合の良い物語りに作り替える必要があるのではないだろうか。もちろん、その体験があまりに強烈で生々しく現在に残っている間は難しいが…。時薬が必要な事もある。

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