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男子大学生によるエッセイ No.7 「散髪」
男子大学生によるエッセイ
へばりつく暮らし
No.7
「散髪」
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散髪屋に行く。
冬の天パの髪は湿度の低さに伴ってどんどんその勢力を失って、比較的さらさらな髪の毛へと変貌を遂げる。そんなもんだから、気が付くと頭がもっさりと超ボリュームに増大…なんてことがほぼ毎年同じように繰り返されている。
近所のショッピングモール内にあるカット専門の店。そこがここのところのお気に入りである。…いや、単に美容院を探すのが面倒だし、ヘアカットにあまりお金をかけたくないという理由なのだけども。ここの一回のカット料金はわずか1300円。一週間の食費を削ればこんな出費はへでもないので、お金のない僕のような大学生には大助かりだ。
とにかく、伸びに伸びた髪の毛をどうにかしてもらわねば。このところ星野源さんのツアーの抽選に外れたりとよくない運気がこのくるくるパーマに住み着いてきているような気がするので、禊はらわねば…。
モールの入り口に焼き芋のケータリングが来ていることに気が付く。やきいも、たまに食べたくなるなあ。帰りに買っていこうかな、なんて思いながら店内へ。
平日、しかも大学が春休みになったこともあってか、モールの中も散髪屋も人影はまばらだった。
コートを脱ぎ、背負っていたリュックサックを片付け、眼鏡をトレーに乗せる。
ぼくは極度の近視で、眼鏡を取った後の僕は辺りの一切がぼやけて見えるので、切ってくれる店員さんの人柄もほぼのっぺらぼうの状態から察知しなければならない。体形や声の感じからして、今日の担当は50代くらいの男性だ。
「今日はいかがしますか?」
散髪屋は便宜上みんなこう質問しなければならないのだろうか。
ぼくはいつもこう聞かれると、少し悩む素振りを見せて
「半分くらい空いてもらって、前髪はちょっと残しておいてください。」
と噛まずに答える。そのちょっと後で
「あ、あと後ろは軽く刈り上げておいてください。」
と付け足す。
そちらが便宜上の会話をするつもりならば、こちらも便宜上で返答させていただくぜ…!とはいえ、髪を切ってもらう立場なのだからいつだってちゃんと敬意はある。
過去数回の来店で毎回僕の髪を切ってくれた人はその会話の後、すぐに無言で髪を切ってそのままカット終了、またのご来店をお待ちしている状態になる。しかし、今日のこの店員はどうやら違いそうだ。
「…兄ちゃん、学生さんかい。」
その瞬間に僕は悟った。この人、ガンガンお客さんに絡んでくるタイプの人だ…!
僕だって伊達に約20年間を生きてきたわけじゃない。こういう問いかけから入るタイプの人は、経験上みんなお客さんとコミュニケーションをとるタイプの人のことがまず多い。
その中にはあちら側が先に話しかけてきたのに、ぼくの返答次第で会話が途絶え、その後カットが終わるまでの間「うわ、気まずいな…」という雰囲気をこちらに漂わせてくるような人もいる。そういう人が担当になると「いや、あなたが先に話しかけてきたんですが?」と思う。余談だが、僕の苦手だった数学の先生はこういうタイプだった。
「いや、今日そこのスーパーのお弁当がすごく余っててさ。いつもはそこの大学の子たちが根こそぎ買って行っちゃうのにな。」
「今ちょうど春休みが始まった感じなんですよね。多分そのせいかも知れないです。」
「春休み⁉」
「はい。まだ一月ですけどね。」
「ふーん、長いねえ。」
あ、いいぞコレ。なんかめっちゃ楽しくなってきたぞ…!
さっきあれだけ長々と「散髪屋での店員との会話は気まずくてならない」とか書いていたが、そもそも僕は誰かと話をするのが大好きな人間だ。話をしてくれなくて気まずい方が苦手な性質なのだ。
思えば、小学校時代から散髪に行くのは億劫だったが、行けば行ったで店員の人と世間話をするのが楽しかった記憶がある。
特に僕のよく行っていた1000円カットの店は、野暮な話、ムショ上がりのような人が多く、今回の担当の店員さんはそうでなくとも多少粗野な感じがする人で、自分と違うタイプの人間とゆっくり会話ができるのが散髪屋だという印象もある気がする。
あの頃、まだ人の悪意に触れる前の頃の僕とはいろいろなところが変わってしまったが、散髪屋でしか会えないような人と、その人の過去の話を聞くのが好きなところは変わっていないものだな。
「へー。英語学科の生徒なんだぁ。俺が高校の時なんて、先生が嫌いでならなかったから、みんなで英語の授業はボイコットしていたなぁ。」
「僕も数学がまさにそうでした。」
「授業中に先生の黒板に生卵を投げつけたりしたくらい嫌いだったわ。そういうの兄ちゃんの世代でもある?」
「ええ!?さすがに無いですよ。」
「俺たちの時代は、問題児はみんな俺みたいにやんちゃな奴でばっかりで、今みたいにいじめなんてなかったからなぁ。今なんて陰湿で自殺しちゃう子供だっているじゃん。あんなの悲しすぎるよな。」
「僕の中学でもそういう陰湿ないじめ、ありました。いじめる奴が狡賢いんです。何かしでかして先生に呼び出されたら泣いて謝って許されるような。ウソ泣きですよ?なのに許しちゃって。」
「…俺の世代は、男が泣くってのがまず考えられないなぁ。なんだかねえ…。」
「嫌な時代になっちゃったなあ。」僕には店員さんがその言葉を飲み込んだように聞こえた。
マチズモの時代は古い!賢く新しくあるべきだ!というのが、世間一般的なZ世代の特徴なのだろうけど、そのZ世代である僕にとっては、陰湿ないじめもなく、過度に誰かに気を使わないで済む、裏表のないパキッとした「あの時代」の方が生きやすい世の中だったのかもなあ、と思う。
中三の頃に嫌というほど味わった「子供の特権」を乱用するいじめっ子(という名の少年犯罪者)たちによる陰湿な悪意さえなければ、僕は今頃すごくのびのびとした人間でいられたのだろうに。
まあ、それはそれで好きな音楽に出会えなかったり絵なんて描かなかったりしただろうから、別に今となってはどうでもいいのだが。
彼らは今どう生きているのだろうか。僕はいまだに彼らのような人間が血を吐いて苦しみ、自らの過去に心底後悔する未来を心から願っている。
なんてことを言っているようじゃ、僕もいつまでも変われないのかな。
想定以上に短くさっぱりとした後ろ髪をカリカリと撫でながら、僕は店を出た。有意義な会話だったなあと思いながら家に帰り、数分経ってやきいもを買い忘れたことに気が付く。
買いに行こうかと思ったが、もとよりそこまでやきいもが好きなわけでもなかったし、お金が勿体ないので、今日のところは購入を見送った。