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魚のあたまで/テラサカトモヒロ

2003年 CD化された曲の一つでもある「魚のあたまで
タイトル表記は気まぐれで「あたま」の部分は漢字になったりひらがなだったり。

当時この曲はテラサカトモヒロの代表曲でもありライブでも多く演奏され、ラジオ出演時などでも演奏されていた。

ファンの間でも人気が高く、ギターのカッコ良さなんかからも評価の高い1曲だったように思う。

けれど、25歳当時の僕はこの歌を「ヘビロテリスト」から外していた。

理由はきっと「求めているものと違う」ってとこだったんじゃないかな。

「テラサカトモヒロ」の世界観の中で、少し異色だったように思う。
何を伝えたいのかよくわからなくて、風景は見えるけれどその言葉の裏っ側が見えなかった。

ただ、なんといってもその演奏風景は当時から「楽しそう」だった。
MCも少なく、どこかヒリヒリとした空気感で歌う彼のライブの中で。
演奏中に笑顔も見られる、ノスタルジックで可愛らしいこの曲は「無邪気」とも感じられた。
その姿に、会場は一瞬で魅了されたものでした。

寺坂トモヒロの「世界観」が大好きだった僕は、発売されないCDのジャケットをイメージしてよく彼の楽曲に勝手にイラストを付けていたりした。
そんな僕のフォルダには「魚のあたまで」だけイラストとして描かれたものが存在しない。

どうしてもイメージすることができなかった。

その理由が、ここにきて分かったように思う。

40代になってもなお「無邪気」に奏で歌う。
タイトルは相変わらず気まぐれで「魚の頭」

底抜けに楽しそうで、あふれかえる「ワンパク」感。隣のチバドンも笑えば、見ているこちらの顔さえほころぶ「楽しさ」

四角い枠にハマりきらないそのパフォーマンスが、彼の本来の姿なのかもしれない。
四角いキャンバスのイラストになど出来るはずもなかったのだ。

「寺坂トモヒロ」も「53組」も、液晶に収まりきらない程ワンパクで。
少年のまま大人になり、面白ければなんだってよくて、ただただ無邪気に遊んでいる。

いつまでたってもレベル1なのに、だから終わりがないまま面白がって遊び続ける。
大きな子供たちは、いつだって冒険したかったのだ。

言葉の裏っ側などない。
「レベル1でぶっ倒れるまで戦い 家に帰ろかな」
そんな遊びを繰り返しを続ける。裏も表もない「寺坂トモヒロ」の「世界観」

呑気な僕は、「寺坂トモヒロ」を見つけてから18年たってようやく。
そんな「世界観」を知ることが出来た。

言うまでもなく、42歳の僕の「ヘビロテリスト」には53組の「魚の頭」がセットされている。

YouTubeの閲覧回数を増やしているのは、きっと僕だけではないだろう(笑)

さて、明日はどんな遊びをみつけようかな。

written by NORiX


テラキュウのお話
「出来上がった朝
庭の軒先に魚の頭を吊るしました。
ちょうどその日が節分で
私の地元にはそんな文化がありました。
制作時間は3時間くらいです。」

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