松尾芭蕉が求めた旅
芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』が特に有名。
なぜ松尾芭蕉は旅をしようと決めたのか、それは西行という方の存在があり旅をして歌を詠むのことに興味を持ったからだと聞いた。
芭蕉は自分だけのオリジナルの短歌を作ることと、西行さんへの憧れをきっかけに奥の細道のみちのく三千里の旅に出たという。
江戸から出て、東北、北陸を経て岐阜の大垣まで約4ヶ月という期間で旅をした。
旅先で馬を借りたり、宿に泊めてもらったり、芭蕉の人柄もありいろんな人から支えらていたのだと感じた。
何かを始めるときは何にでもきっかけと想いがある。
それが大きい旅になるか、意味のあることなのかは行動してみた結果わかることであり始めるときは誰にもわからない。
奥の細道の旅は芭蕉にとって最後の旅だと決意し、江戸の家を売っ払ってからスタートしたという。
挑戦への想いが強ければ強いほど時代を超えても、尚、人々の心を動かし続けている。
行動するとき、想いと目的を大事にしていくことが、きっと周りの人を救うことにも繋がるのかもしれない。
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