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青色ベンチ、落書き

    精神科で木の絵を描かされた時、元気な時期だったので青々と茂った木を描いたら、鬱状態の診断が降りた。好きな一節もお気に入りの曲もこぼれ落ちていく。さっきの空には入道雲が浮かんでいた。   もう少ししたら、夏の空がもう少し青く広くみえて、生ぬるい風が吹いて、そんな時が来るのかもしれない。 今はただ茹だるような暑さだけ   プールの匂いも何もないけれど。
 現実から離れて私になりたい、全部取り払いたい。 生き恥だ。これで良いですか   身を削って、摩耗して、押し潰して、殺して、生まれ変わって、本当にこれで幸せになれるんですよね、    ?。 とぼんやり考えている。「本当は幸せを知っているのに  不幸なフリやめられないね」状態だ。ずっと寝たきりで、1週間ほど布団を畳んでいない。

  雨が降ると、決まって私は古本屋に行きたくなるのです。 うらぶれた商店街の一角に佇む古本屋。その店頭にはどっしりと重々しく本棚が立ち並び、そのなかには丁寧に、有象無象に古本が詰め込まれています。   透明なガラス張りのドアを開けると、途端に古本屋独特のにおいが溢れます。夏の霧をぎゅっと閉じ込めたようなにおい。あるいは活字が静けさを吸い込んだにおいとでも云いましょうか。湿気と微々たる熱をはらんだ、しっとりとした手触りの、なじみ深いにおいです。  年季の入った本棚たちはうっすらと埃を被り、店頭同様びっしりと古本を抱えています。規則正しく型にはまって、まるで人体の臓器のように。     古本屋の本は呼吸が深いな、と思います。年月と共に、古本の呼吸も段々ふくよかに、深くなっていくのでしょう。一度、もしくは幾度か人の手に渡って十人十色の景色や温度、音を知った本たちは、それらすべてを紙に吸い込んで、質量を増してくったりとくたぶれていきます。実際、古本を手にすると、どこか手にすいつくような、しっとりと重やかな手触りなのです。  あの手触りはもしかしたら、記憶や思い出の蓄積で生まれるものなのかもしれません。  途方もない年月の地層や、そのあたたかさが   私にはたまらなく愛おしいのです。

  古本屋がすきだな、と思って衝動的に文章を書いたりして、ふと手が止まり、外では土砂降りの雨が降って、雷まで鳴っている。熱中症で子供が死んだらしい。お盆が過ぎた。廊下が今日も光っている。台所の、野菜や生魚の腐臭がにおう。     あまりにも 夏だ。

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