自信。

こんばんわ、liru.です。
最近また更新が止まってしまっていて申し訳ないです、。

眠れないまま朝の5時を迎えようとしている
私の脳内でグルグルと回っていることを
急に文字にしてみたくなったので
久し振りにnoteを書くことにしました。


私は友人達がだいすきです。
多分、恋人より友人達の方が大切で
だいすきだと思います。

ここで「多分」という言葉を使ったのは
自分という人間の
すきが分からないからです。

すきなもの、すきなひと
そういった類のものが私には分かりません。

私は確かに友人達がだいすきです。
友人のすきなものは知りたいし
すきになれそうであれば
友人と一緒に「すきなもの」として
追いかけたいです。

すきな事柄やものについて
話している人は
とても楽しそうで、かわいらしくて
すてきなのですきです。
色んな人のそういう一面を見たいので
流行りにも乗ります。

流行りに乗ると
そんなに話す事が無い人とでも
話題が作れます、そして
その話題がその人のすきなものであれば
その人は私に向かって
楽しそうに会話を弾ませてくれます。

でも、そうして自分の中で出来た
知識や他人のすきなもの
自分のすきなものは
本当に自分がすきなものなのでしょうか。


私は自分に対して自信が持てません。
私がすきになったその事柄やものは
友人達が
「すきだ。」
と言ってくれたからすきになれたものです。
私が自主的にすきになったものではありません。

私が自分からすきになったものもあります
それが友人達と同じだった事も。

でも、今の私を作り上げている
私のすきなもの達は
友人達が教えてくれたもので
言い方を変えるのならば
友人達が作り上げてくれたもの達です。

果たしてそれは
「自分のすきなもの」
と言えるのでしょうか?

少し前に縁が切れてしまった友人が
私に向かって言いました。

「友達に媚びを売っている。」

あながち間違いではないと思いました。

私は自分と関わってくれる友人達が
私と楽しく会話してくれるのであれば
私と過ごす時間が
「有意義だ。」
と思ってくれるのであれば
自分のすきなものを知ってもらえなくても
自分のすきなものを
すきになってもらえなくても
相手に対して話せなくても
それでいいと思っています。

なぜなら私は
「すきなことを話している人がだいすき。」
だからです。

自分のすきなことを話している人
またはしている人は
どんどんキラキラしていきます。
話している時も笑顔で居てくれて
男性の方も、女性の方も
どんどんかっこよくなっていくし
どんどんきれいになっていきます。
そんな一面を見ているのが
私はすきです。

でも相手は私に対して
「そんな一面を見たい。」
と思っていたらどうでしょうか。

私は私のすきなものを
友人に話す事はあまりありません。
自分が「すきだ。」と言える
自信がないからです。
友人に合わせてすきなものを話してしまうので
「私がすきだから話している。」
「私もすきだから話している。」
というよりかは
「友人がすきだから話している。」
に近い状態です。

「私のすきなものってなんだろう。」
「私のすきってなんだろう。」
「私ってなんだろう。」
そんな考えがぐるぐると回り
過去の悲しい出来事やつらい出来事
思い出したくない事を思い出して
胸がきゅっと苦しくなります。

私は友人達が居て色んな事を教えてくれるから
教えてくれたから
私が私になったのであって
私は何一つとして
私が私として存在する為の活動をしていないのです。

友人達が居なければ
私は私として存在出来ないのではないか。

友人達の事はすきです。
一緒に居るだけで
色々な事が学べて、触れる事が出来ます。

そのくらい私は
周りの人間に恵まれているのにも関わらず
私は恵まれている事を良いことに
周りに甘え、おんぶに抱っこ状態で
私としての活動を何も行っていません。

私のすきなものとはなんだ。

と考えれば考えるほど
頭の中が真っ白になっていき
何も残りません。
そしてどんどん自分のすきに
自信が持てなくなっていきます。

私から友人達をとってしまったら
私には何が残るのでしょうか?

私がこんなすてきな友人達に出会えなければ
私はどんな人になっていて
どんなものをすきになっていたでしょうか。

今の私には何もありません。

好きはあっても、すきはないのです。

すきを作る為の努力も
私にはどうすればいいのか分かりません。

いつか自分が
「友人の為」ではなく
「自分の為」に
すきなものを見つけ
知識を付けることが出来るのでしょうか。

知識を付ける理由に

「すき。」を使う理由に

流行りに乗る理由に

「友人の為。」「周りの為。」
「話題を広げる為。」

ではなく

「自分の為。」

という選択肢が増える日が

来るのでしょうか。

今の私には何もありません。
「友人達。」という関わりのある人達を
失うだけで私は
私ではなくなってしまうような
不安定な存在です。

「自分のすきなものってなんだ。」

と考えるだけで
頭の中が真っ白になり
生きてきた中で起こったマイナスな出来事を
思い出して胸が苦しくなり

「消えてしまいたい。」
「死んでしまいたい。」
「無くなってしまいたい。」

とそんな言葉を吐き出してしまうような
頭に浮かばせてしまうような
泣き出してしまうような
そんな不安定な存在です。


「人間らしい。」と言えば
確かに「人間らしい。」かもしれません。

頭の中の自分探しが
いつか自分を見つけて終わりを告げた時

私は今までのように

「友人達がだいすきです。」

と胸を張って言えるのでしょうか。

何も無いと思っている私の中で
何かを発見出来た時

私は今までの自分を
肯定する事が出来るのでしょうか。

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liru.
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