小学校、中学校、自分よく生きたな

というのも、こちらの本を読みまして。
多分当時にこの本を読んでいたら、本を投げていたと思います。
友達から無視される、では「小学校の卒アルやSNSを見返してみましょう。会いたい人は居ますか?」
と書いてあった時には、小学校で学年ではぶかれて外部にも友達がいない私なんてどうしてくれようと思いましたし、
マウンティングされることについては、「反応しない事です」とあったけれど、私はそれでやられ続け暴言を吐く人がどんどん増えて自尊心なんてものを無くし自分を大切に思う感覚に今も狂いがあります。
そんな当時の私がこの本を読んだら「分かってない!!!」と叫びそうですが、今思うと環境が悪かった事と、私がある意味いい子すぎたからなのだと思います。

まず父は仕事でほぼ会話がなく、母は(noteでも散々書いてきましたが)自分の意見が正しくて上から目線、そして何より見栄っ張り、なので不登校やいじめられてるなんて認めないという状態。
小学校の時は学校の相談室に通ったり、その後は地域の相談室にも通っていたのですが、それで私が元気になったかといえばそんなことはありませんでした。

いじめられた事を言えなかったのは過ちなのか

私はいじめられている事を、明確に誰かに伝えた事がありません。
話せるのは軽い無視や友達ができない事などでした。今思い返すと、深刻な悩みというのはそれだけ伝えるのが怖くて、周囲の大人や家族を失望させてしまうのではないかと怖くて、言えませんでした。
なので本を読んでいて、「助けを何度でも求めましょう」と書いてあり、いやそれは当たり前だし大切なんだけれど、言えないって事は悪い事なのか?と思ったのです。

私が性格悪ければ良かったのか

私が言えなかったのは語彙力が無かった訳でもなく、周囲に信用できる人がいなかった事、またいう事によって事態を大事にしたくなかったから、という今思うといい子すぎる理由でした。
思い返せば、いじめられてないのにセンシティブすぎて「笑われた!(実際は本人の勘違いと気にしすぎだった)」と周りに訴えていた子とかって、いじめられはしてないんですよね。
黙ってる人が損をするのだというのはだいぶ後から知りましたが、それでも私は会社でパワハラフキハラセクハラにあった事も、やめる時にも上司に言いませんでした。
結局誰が悪かったの?」と聞かれて、その人が親しくしている上司の名前を出したら今後その人が会社で過ごしにくくなるんだろう、という事も、そしてこの人に言っても私が甘えてるだけだと思われるだろうと思い、言えませんでした。

その時はうつの症状がひどかったからというのもあるのですが、私はその後から対応を変えてや見ようと、「これはひどい」という目にあった時に助けを求めて訴えるようにしたのですが、正直好転した事なんてありません。
まぁ悪化しないならいいんじゃない?と思われそうですが、その前にその環境から離れただけなので、もしそこに居続けたら確実に悪くなっていたと思います。


結局周囲の大人は運でしかない

私の担任がちゃんとした人間なら、親が話を聞いてくれる人なら、私は早めに転校や不登校やフリースクールといった措置をとり、ここまで周囲の大人を憎んだ性格のひん曲がった性格にならなかったと思います。
でも、親(親戚)が頼れるか、先生に頼れるか、というのは運でしかありません。
だから、私は今でも信頼し合ってる親子や恩師という存在がいる人が羨ましいのです。
今は相談機関も(ネットが身近だし)増えているので、助かりやすくなっているとは思いますが、それでも親が話を聞いてくれなかったりしたらそれだけでも相談しやすい子になるかどうか変わってくると思います。

自分が大人になれば、環境を変えたり付き合う場を選んだり、また会う人数を増やす事もできます。
それで私は生きやすくなりましたが、それでも会社の人間関係は選べないし、親を捨てる事もそう簡単にはできません。
子供なんて極論悪いことしても大体は許されるんだから、部屋に閉じ籠ったり暴れたり学校で叫び散らかせば良かったのかもしれませんが、そんな人様の迷惑になる事なんてきっと、当時の私に勧めてもできないと思います。
なんていい奴なんだ、憎い。

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