
お店は機能
お父ちゃんは、これでも人と話したいほうだ。
色んな事を知ったり学んだり。
そんな事を聞いて欲しい。頷いて欲しい。
共感して欲しい。
君はどう思う?
お父ちゃんが、いかに孤独好きでも人間だ。
これでも1社会人として学びもあれば、
気づきもある。喜びも悲しみも。
なので共有したいではないか。
我々ホモサピエンスはそういう生き物なのだ。
福岡の片隅でひとり、10年間カウンターのある
お店を営んで気づいた事がある。
それは、
みんな話したいんだろうな。
そういう現実である。
毎日色んなお客様がやって来た。
老若男女。よりどりみどり
とてもカラフルだった。
そして何故か1人のお客様が多かった。
お父ちゃんは決して社交的な人間ではない。
超内向的なオタクである。
毎晩、夜空のムコウとチャネリングする様な
ドリーマーなのだ。
たぶん3次元の住人ではないのだろう。
なのにカウンターのあるお店など、
作ってしまった。
なのでやってくるお客様と
お話ししなければならないのだ。
色んなお客様がやってくる。
男女とわず年齢もさまざまだ。
その前にお父ちゃんは料理を作らねばならない。
飲み屋とはいえ、食堂なのだ。
そういう訳で、毎日忙しい日々が続いた。
夕方の5時オープンだった。
今は昼のみという言葉があるが、
当時飲み屋としては早いほうだった。
開店と同時にやって来るお客様がいた。
弁護士のMさんだ。
というか1日何度もやってくる。笑
ビールを2秒で飲み干し、
謎の会話が始まるのだ。
「井上さん知ってます?」
念力!念力!げげんちょ!
と言って椅子をひっくり返し、
お金持ち払わず帰っていく。
そしてまた何度もやってくる。
福岡の弁護士協会の会長らしいのだが。
そういう不思議な人達と日々を過ごしていた。
しかしカウンターの中はお父ちゃん1人。
そうやって1人ひとりのお客様と、
お話しするには無理がある。
だってお父ちゃんはまず料理人なのだ。
美味しい料理でもてなしたくて、
お店を作ったのだ。
ところがどっこい、
お店を始めたら様子が違う。
もちろん高級レストランでは無い。
何処にでもある洋食居酒屋である。
がしかし計算ミスであった。
どうやらカウンター商売というものは、
お話ししなければならない。
行動してから理解する事がある。
当たり前だがカウンター商売だ。
カウンターの向こうには、生身の人間がいる。
そりゃあ話さなければならない。
料理人として腕を磨いた。
修行もしたし努力もした。
がしかし、サービスは学んでいない。
どうしたら良いのだ。
目の前には何人もの縁もゆかりも無い、
様々な人がお父ちゃんを見つめている。
初めは、1人ひとり相手をしていた。
一対一ではない。
一対十以上である。
お父ちゃんの脳みそを、十分割して対応した。
つまりパフォーマンスは十分の一になる。
何を喋って、何をしているかわからない。
目の前はぼやけ、動悸も激しい。
料理は焦がすし、文句も言われた。
ある日シャッターに張り紙をした。
沖縄に旅にでます。
名護のとなりの本部の沖合に、
伊江島という島がある。
そこにある土の家という、
障害者が運営しているゲストハウスにいた。
泡盛を舐めながら海を眺めている。
逃げたのだ。街から。商売から。
現実は厳しかった。
一番苦手な事に向き合わねばならなかった。
カウンター商売はコミュニケーションが
一番必要だった。
借金もしている。
辞めるわけにはいかない。
反対する親父にも見栄を切っている。
どうしたら良いのだろうか。
宿の主人は障害者であった。
四肢が不自由である。
しかし不便な身体ながら、実に絶妙に
日常生活を営んでいた。
夜になると、囲炉裏の前で宴会がはじまる。
それぞれ料理を持ち寄り宴がもりあがる。
若い旅人たちが楽しそうに過ごしている。
お父ちゃんはひとり、
片隅で泡盛を舐めながら榾火を眺めていた。
寂しそうにしていたのだろうか。
囲炉裏の向こうから、ゲストハウスの主人が
不自由な身体を駆使して、お父ちゃんの隣にやってきた。
「どーしたさー。暗い顔してよー」
優しい瞳だ。きっと苦労も多かっただろう。
街で始めたばかりの商売の話をした。
料理人として作ったお店だった。
しかしいざやってみると、重要なのは
料理よりサービスだと知ってしまった。
サービスの訓練はしていない。
というより出来ないから職人の世界に
飛び込んだのだ。
本末転倒ではないか。
愚痴ぐちネトネトと話をした。
「大変だねー。しかしおめ、この島もさ
アメリカやって来ていっぱい◯んだ。
トーちゃんも、カーチャンも◯だ。
でも。おいらまだ生きてるさ。
生きてるからなんかできるさ。
帰ったら、神様に感謝してさ、
よーく、みてみれ。なんかあるさ。
気付くこともさ。
よくみれ。」
(沖縄弁のつもり)
重みのあることばだった。
なんだか拳を握りしめて、泡盛を一気に流し込んだ。
今日もお店のドアが開いた。
いつもの常連客だ。
ビールを注ぎ料理を作る。
ありがたいことに次々とお客様はやって来る。
あんなに休んだのにありがたい。
しかしすぐに感謝の気持ちは消え失せた。
カウンターには1人客が10人以上並んでいる。
また接客しなければならないのか?
何度も言うがコミュ障なのだ。
コミュニケーションが苦手だから、
職人。料理人を選んだのだ。
さすがに神も仏も怨んだ。
オーブンからカルカッソンヌ風カスレを
お客様に出し終えた時、ある事に気付いた。
美人のお客様だ。
ほんとに美しい。
そして隣には調子の良いお父ちゃんの友達が、
あれこれとちょっかい出している。
この後飲みに行こうとか誘っている様子だ。
これを見た時ふと気づいた。
お客様どうしを繋げたら?
お父ちゃんは美人さんに叫んだ。
「すいません!こいつバンド仲間のJです!
オモロイやつなんで宜しくお願いします」
この日からお客様同士を仲間にする事を
日課とした。
色々紹介しては繋いでいく。
するとある日はっきりと気付いた。
カウンターの向こうにコミュニティが出来ていた。
おかげでお父ちゃんは、料理に集中できるようになった。
そのうえお客様がお客様を呼ぶ。
いつの間にかある意味で繁盛店になっていた。
飲食業に入って30年以上になる。
はっきりわかった事は、
飲食店にとって、
美味しい美味しくないのは、
あまり重要ではないらしい。
むしろ大事なのはその場の雰囲気。
そして居心地良さ。明るさ。
そしてだれもが繋がれる、そう
コミュニティという機能
機能なのである。
世知辛い世の中だ。
インターネットでだれもが世界中と繋がれる。
一方で誹謗中傷も絶えない。
君には知って欲しい。
どれだけ顔が見える関係の豊かさを。
お父ちゃんは知っている。
週6日10年間お店を続けた。
ほぼ毎日まいにち同じ面子だった。
もちろん新規の素敵なお客様もやってきた。
しかし常連客のお客様は仲間になるのだ。
チカラだ。パワーだ。愛なのだ。
飲食店のコミュニティの昨日は素晴らしい。
お父ちゃんの宝だ。
最後にこんな話をして締める。
お店をはじめて10年後に辞めることにした。
そう。世界一周の旅に出るために。
お父ちゃんとママはウキウキだ。
だって少なくとも丸一年遊んでくらせる。
そりゃ顔もほころぶわけだ。
閉店する数日前の夜だった。
ある常連客のおじさんが座っている。
なんだか不機嫌なのだ。
閉店すると聞き駆けつけてくれたのだろう。
開店したら時から通ってくれていた。
お父ちゃんは今後の夢を、旅の計画を
ツラツラと話している。
うなづくお客様が顔を上げて一言言った。
お店はあんただけのものじゃ無い。
俺たち明日からどこに行けばいいんだ?
怒ったような悲しいような表情だった。
そうなのだ。
お店はお客様と一緒に作るものなのだ。
お父ちゃんのだけのものでは無かったのだ。
みんななコミュニティだったのだ。
機能だったのだ。
お父ちゃんは大きく肩を落とし項垂れた。
おじさんは笑顔で肩を叩きこう言った。
夢を。夢を実現して欲しい。
みんなの為に。
そう言って帰って行った。
自分だけのものなど一つもない。
お店だろうが身体だろうが。
そういう視点で人生を生きてほしい。
本当に大事なものが見えて来ると思う。
あれから10年以上たつが忘れない
一瞬だ。
全ての現象や機能はいったい何なのか?
誰のものなのか??
そうやって俯瞰して生きてほしい。
きっと大事な事にきづくはず。
何が言いたい話かわからなくなったが、
君に伝えたい。
ありがとう。
君への手紙32