労働組合の役員として希望退職に向き合った時のこと
血尿
「血尿が出てますね」、健康診断で指摘されたときは驚いた。
希望退職募集が公示された翌日、労働組合役員として、そこに対峙したときのことでした。あまりのストレスに血尿が出ていたようです。
その当時の日系企業の希望退職は、単純に割増退職金がもらえるということではなく、かなり濃い人間模様が繰り広げれる一大ターニングポイントでした。
定年までずっと過ごすと捉えていた穏やかな共同体からの離脱、疑似家族的な関係性の中で、ある日突然、上司と部下として対峙することで生じる色々な疑心暗鬼などなど、様々なことがありました。リクエストをもらったので、ちょっとだけ搔い摘んで書いてみます。
労使協議会
当時は、四半期に一回程度、経営陣と労働組合の役員で労使協議会という会合(と懇親会)が開かれていた。労働災害や待遇、退職者などなど、細かい話から大きな話まで、色々な現場レベルのコミュニケーションの場として、少なからず機能していたように覚えています。
懇親会はオフレコで話したいことがたくさんあったから、やむを得なかったんだと思います。うん、身に余る話題も多くて、本当に美味しくないお酒でしたw
ひょんなことから労働組合役員をすることになってしまい、時間が奪われることを含めて、かなり不満だったですが、経営陣は勿論のこと、組合の役員も会社の運営のためにそれぞれの立場を超えて、必死に取り組んでいる一端が見れたことは今に生きている気がします。
希望退職の募集
経営の先行きが危ういと皆が感じていたある時の労使協議会で、「このままの業績で会社が持つのか」と質問したところ、経営陣から、別の形で話をしていきたいとの申し入れがあった。
「希望退職か。」何も言わなくても、その場にいた全員が分かったと思います。
準備が始まってから、公表するまでは3か月程度(長くてもダレルし、短いと間に合わない)は色々と確認事項を対応していきました。
社外の伝手を辿る
当然ながら、業種毎で作られている上部団体にもアドバイスをもらいました。各社の事例を参考に、労働組合が出来ること(従業員が希望通りに残れる、希望通りに退職できる)やFAQなどを丁寧に教えていただきました。
一般に、労働組合は煙たがられる存在ですが、長期雇用へのインセンティブは経営陣よりも強いので、良くも悪くも残ることや、無事に次の体制へ移ることへのモチベーションは強かったです。
(紛めた場合に備えて、弁護士からもアドバイスをいただきました。)
社内集会
そうこうしているうちに、社内集会が緊急に招集されました。(ようやく来たかという感じでした。)
社長や経営陣がここに至った理由を説明したり、今後の体制を話たりして、その後に、人材派遣会社から支援サービスの話がありました。ここまでは予定調和でした。。。ここまでは。
疑心暗鬼の社内、社員からの問い合わせ
対象となる社員と上司の面談が始まりました。割増退職金の条件も含めて、面談が終わった組合員から、「情報が少なすぎて、判断できない」という問い合わせが殺到しました。就業時間は勿論、土日夜間の問合せも多かったです。見通しが立たないからの希望退職なので、経営者も説明できないと思います(情けない)が、労働組合の役員は経緯を知っている故に板挟みとなり精神的に厳しかったです。血尿もしばらく続いていました。。。
休みもなく、味方もいない、社内では緊張した空気だったので、無理もなかったと思います。
幾つかの事例をあげてみます。
・組合員Aさん:社内集会での説明が不十分ということで、会社からは引き留めされていましたが、申込期限前日まで、色んな人と相談されていました。優秀だったので、次の職もあっさり見つけて、活躍されているそうです。
・組合員Bさん:会社はどうしても辞めさせたかったようで、かなりの回数の面談がありました。労働組合に泣きつかれ、法律や取り決めの通り、面談をさせました。面談した部長のコミュニケーション能力にも大きな問題があり、最後は、本人、部長の面談に人事部長と労働組合の幹部が同席していました(同席は、精神的にとてもきついだろうと思います)。今も、本人は楽しく働いているようです。
・部長Cさん:この方は面接が下手、コミュニケーションに問題ありでして、複数人が労働組合に相談されていました。普段も微妙でしたが、この時は本当に困った存在でした。人事部長に抗議をして、改めてもらうように依頼しましたが、人はそう簡単に変わらないことを学びました。
(日頃から、部下を圧迫したり、パワーでまとめていた方は酷い面談をしている傾向で、クレーム対応が大変でした。人事も大変だったと思います。。。)
・役員Dさん:自分が発信したメッセージが意図通りに伝わっているのか、ものすごく気にされていました。今考えても、すごく誠実な方だったと思います。私たちが隠密として、それぞれのメッセージと捉えられ方をお伝えしていました。
退職者が出ていった後
有給消化者も含めて、指定退職日に一斉に辞めていきました。ガランとした社内でしたが、当然ながら、その後も、悪い雰囲気でした。
残った人は、退職した方の業務も引き継ぎながら、必要な業務を定め直しながら、進めていく必要がありますので、数か月間の移行措置とは思うものの、当然ながら、オーバーワークになりがちでこれもまた大変な状況でした。
退職し、上乗せ退職金をもらい、外の機会に挑戦する方々は、挑戦だから、当然ながら、勇気が必要だったと思います。同業他社、関連業種、異業種への転職、独立、リタイアなどなど、それぞれの人生に進めまれました。
労働組合の役員は、時に会社側の代弁者として、体を張って対応しましたが、会社からの評価されることは一切ありませんでした。何のためにやったのか、誰のためになったのか、果たして意味があったのか、などなど哀しい気持ちにもなっていました。(今となれば、論功行賞もあってもおかしくないとも思いますが)
元はと言えば、経営者が利益を出せる状況を作れなかったことが希望退職の原因ともいえますが、希望退職募集後も表向きは以前と変わらない様子で自己の立場を守っただけとも感じていました。
経営陣の無策のつけが社員の退職で払われるのですから、それまでの長きに渡る人事施策の失敗とも思いますが、人事担当者はそういうことを考えていなかったように、考えていました。
その後、振り返って
非常に大変で二度と経験したくない出来事でした。一方で、組織、会社の成り立ち、その脆さや人の強さや弱さなどを色々と学べたようにも思います。
よく言われるように、「いつでも辞められる人が一番強い」と改めて思います。会社と個人の関係も常に変わるものですから、関係が良くなくなったときに良い環境を求められる人が強い、そんなことを思いました。