職場で干された時のこと
もう何年になっただろうか、思い出すのも悔しい位に、自分を抑えていた。
忘れそうになったこともあったけど、ふとした切っ掛けで言葉にして、話をすることがあった。折角なので、こちらにも残してみようと思う。
最年少プロマネとして
偶々、vacantな人がいなくて、小さなプロジェクトの担当が回ってきたことから、話が始まる。
短期間の検証試験を経て、ネガティブな結果を確認し、そのまま終わるはずであったが、、、運も人の助けもあり、プロジェクトが順調に進んで行った。
当初の経緯もあり、人的リソースも与えられず、かなり変則的な進め方ー工夫したとも表現できますーでゴリゴリ進めていた。
色々な幸運に助けられ、実証段階の手前まで順調に進められた。
上司全員との対決
そんな日も長くは続かない。役員が代わり、マネジメントが変わり、縦割りの管理体制になっていました。
そうなると、正攻法で進めてないプロジェクトは脆いもので進めるのが難しくなっていました。
とある時、部長から、課長、同僚ともに呼び出され、皆の面前でプロマネ交代を告げられました。
1対1でこういうことをしないことはパワハラとか、失礼なこととも理解してますが、そういう方々が幹部にいるそんな環境でした。
コミニュケーションエラーの責任を下に押し付けたのですから、私はそれなりに荒れました。
異動ではなく、新しく来たリーダーの元、同じチームで働いていましたが、色々な感情が入り交じるとても難しい時期でした。この配置も、パワハラ的にも思えますが、昔の話ということでご容赦を。
その後
私の担当していたプロジェクトは勿論、全てのプロジェクトは意味の分からない理由も含めて、途中で止まり、組織全体が解散に向かっていった。早期退職制度や肩たたきなどで追われるように新天地に希望を探した方も多い。皆が負けたんだなと振り返って思う。
振り返ると
私はと言うと、資格を取ったり、転職したり、クビになったり、本当に紆余曲折を経て、現在にいたっています。それでも、自分のことを自分で決められる、自分の意見をきちんと発信出来る環境にいられるので、自己肯定感も出てきたし、かなり幸せだと感じています。
その上で反省してみると、
少ない人数でプロジェクトを進めた経験はクリティカルパスを意識した教科書的な取組として評価されるものだったと考えております。
一方で、仕事自体のパフォーマンスが足りないだけではなく、私の振る舞いから幹部に嫌われてしまったことや、プロジェクトの魅力を伝えられず、新しく着任した幹部を巻き込まなかったことなど、穴があったら入りたいような恥ずかしい失態ばかりでした。
幹部は私の訴えに応えてくれないと思い込んでしまったことも良くなかったかもしれません。
今後にいかせたらと思います。
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