【1章-1】50代バツ2独身ジョブホッパーが辿り着いた「自分探しの旅に終わりはあるか?ないか?」
ジョブホッパー
みなさんは、ジョブホッパーという言葉をご存知だろうか?仕事を転々と変える(ジョブをホッピングする)人のことだ。
基本的には要因は様々で、その職場や仕事でネガティブな要素を感じていたり、もっとよい条件の仕事に出会ったり。
私は人事畑にいたので、このジョブホッパーという言葉はよく知っていて、人事から見れば「またすぐに辞めてしまうのでは?」という懸念材料になり、なかなか採用されづらい傾向ではある。
実は私もジョブホッパーと言っても過言ではなく、唯一自営の仕事だけは15年程続いたが、社員として雇用されている仕事は2~3年で転職を繰り返していた。
そんなジョブホッパー人生を振り返ってみる。
営業は苦手
大学卒業後、私がまず新卒で選んだのは大手広告会社の求人広告営業という仕事。私が就職活動をしていた時は、バブル崩壊の年でまだ仕事を選ぶことができていて、ラッキーにも大手に就職することができた。
大学の同期達も大手金融会社、大手商社に就職ができた人がほとんど。当時、特に将来の夢はなかったけど、なんとなく流されるままに、有名な会社だし、何より働いている人が元気で、私が大学で所属していた体育会アメフト部のOBも入社していて、とても楽しそうに見えた。
その会社はゴリゴリの営業会社で、今もなお業界を牽引する大手。新卒時のお給料も周りと比較すると格段に良く、体育会系のノリ。
「で、おまえは何がしたいの?」という知る人ぞ知る名言も語り継がれている様なカルチャーで昔風に言えば「イケイケどんどん」な会社だ。
でも時代は変わり、まだ在籍している同期に聞くと、その当時に比べれば今はだいぶ雰囲気が変わったらしい。
求人広告の営業で、当然売上を上げることが仕事だが、新卒の多くは、新規のお客様を獲得するための「飛び込み営業」や「訪問のアポイントを取る」が主戦場だった。
全社や地域、営業所内でインセンティブを賭けて何かしらの社内キャンペーンが行われていて、成果を問い競い合うのである。私も売上目標の重圧に押しつぶされそうになりながら、日々奮闘を続けた。
まだポケベルの時代だったしネットやクラウドなかったので、毎日営業カバンにパンフレットや見本誌を何冊も入れ、激重の営業カバンを持って出かけたり、電話でアポイントを取ったりする毎日。
電話をかけても話を聞いてもらえることもほとんどなく、取訪問先での門前払いは日常茶飯事で、受注に結びつかないことのほうが多い仕事なのは想像に容易い。
私は特に初めて会う人にモノを売りつけたり、相手の様子もわからない電話でのアポイント獲得などが苦手だった。必要かどうかもわからないものを売るりつけるなんて、、、もし忙しい時間帯に電話したら迷惑じゃないか、、、などと考えてしまうのだ。
そんな私の陰鬱な気持ちとは裏腹に、同期は次々に結果を出していく。私には、こういう仕事は向いていないな、と考え始める。
そんな気持ちではもちろん結果に繋がらず、さらに結果が出ないことへ悪循環の焦りから、仕事や自分への嫌悪感が日に日に増していき、劣等感に苛まれる日々。
そして私は2年で退職を決意した。結局、営業向かないので辞めます!とか言えず、表向きは別の退職理由を告げた。心の奥は、劣等感からの窮屈さと息苦しさから解放されたいという思いが占めていた。 私みたいに、相手の顔色を見てしまったり押しの弱い性格の人には新規営業は無理だよな、という思いはしばらく続き、そこで私の苦手な分野が浮き彫りになる経験で、押しの強さのある人がうらやましかった。
ところが、私はここで営業の成績がとてもいい上司だった人とのお付き合いが始まり、後に結婚したのだ。なんの因果か、営業が苦手な私と営業成績がずば抜けている上司がくっついた。私にないものを持っている姿に惹かれたのだろうか。
少し営業の話に戻るが、この営業や電話でアポイントを取るという仕事で言えば、インターネットが流行った今でも根強く残っていて、マーケティング手法は進歩しても、この業務自体はなくならないようだ。
前職の会社でも、今でも新卒や中途入社の社員が研修でテレアポをする研修があり、アポイントを取ることが最終の目的というよりは、打たれ強さを身につける、とか断られることに慣れることを教えるものだったり、自社の商品をおすすめする機会獲得という意味で行われていた。
もちろん数字という結果が伴うので、今でも私は苦手な業務だが、その営業の仕事が有益で必須であることは理解できる。
ニーズが顕在化しているところに出会えればラッキーだし、ニーズが顕在化されず、問題・課題として内包されている場合、それを顕在化させるためにタッチポイントを増やし、商品と出合わせるという見方をすれば、むやみやたらに人の時間を割いているという罪悪感に苛まれることはなかったのかもしれない。
当時の私も数字や他の人からの評価よりも、これは、お客様にとってもいい機会創出なのだ、と根本から理解できていれば、何かが変わったのかもしれない。
続く・・・