人生の重荷リリース⑦:母が宗教に入って生きづらくなった子供の話

~ そろそろ懲らしめ<体罰>の話でも ~

前の記事で、宗教の神の名前を書くのが実はトラウマ(口に出すのはちょっと無理)であることを書きましたが、そんな思いをお持ちの方も多いのか、exJW という言葉が使われているようです。うん、これなら私も抵抗感がないので、今後はexJW を使わせていただくとします。

この記事の要旨

さて、この宗教が世間の耳目を集めたのは、「輸血問題」と「体罰問題」であります。輸血に関しての私のスタンスは一つ前の記事に記しましたが、今回は「体罰」について記述したいと思います。

当時の様子~体罰の実態~

私が母に連れられて王国会館に通っていた1970年代後半~1980年代前半は、日本で爆発的にJWの信者(会員?構成員?)が増えていた時代だそうです。ゆえに、ちょっと検索すると、「元JW2世」の方の発信(ブログ、YouTubeなど)がすぐに見つかります。そこで必ずと言っていいほど語られているのが「懲らしめの鞭」の話題。ひとくくりに語れる内容ではなく、個人差があります。元JW2世の方の発信の中には、「そんなに酷かったの…」と私も驚いた内容もあります。私はちょっと「マイルドタイプ」に分類されるかもしれませんが、私の経験を書ける範囲で以下に示します。

【月に代わってお仕置きよ?!ベルトパッチン】

父は非会員、母のみJW会員でしたので、我々(私と弟)は母から鞭打ちを受けていました。「鞭打ち」と書くと非常~に恐ろしい刑罰のように思えますが、我が家では「ベルトパッチン」と呼ばれておりました。少し呼称をカワイクしたところで、児童虐待っぽさはぬぐえませんがね。

詳しくはわかりません(背景を理解していない)が、JWの教義に「子供の躾には、必要に応じて体罰を与えるべし」「鞭で打つべし」という内容があったようです。昔とはいえ、時代は昭和、しかも日本。さすがに鞭は市販されていなかったようで(SMグッズとかでこの世にはあったのかしら(( ̄m ̄〃)ぷぷっ!)、ベルトが代用されていたというわけです。ベルトでお尻をパチン!とたたかれるのです。でも、これ、違いますね、「パチン」じゃなくて「バチン」だったし。本当は「ベルトバッチン!」というべきでした。

どんな時にベルトパッチンされたかというと、

・母の言うことを聞かなかったとき

・姉弟喧嘩をしたとき(喧嘩両成敗とかなんとか言われたような)

などです。打たれる回数は1回~3回までで、罪の重さ(!!)により変動していました。よほど悪いことをしたときは3回、それほどでもないときは1回、とかそんな具合です。ただ、母の機嫌・気分によってムラがあり、正当性や正義、愛情など全く感じませんでした。そんな背景も含めて、小学生の頃から私はJWを信じる気持ちはサラサラありませんでした。奴隷とか強制収容所に生まれてしまった的なあきらめの境地で、「自分は信じていないけど、母親がそういう世界で生きている。大人になるまでの辛抱。他の家の子は普通でいいな~、羨ましいな~」と早くから考えていましたね。

トラウマかどうか

人によっては、この経験は「虐待」的なトラウマとなっているようですが、私はそれほど「ベルトパッチン」が「虐待のトラウマ」ではありません。むしろ、週に3回行かなくてはいけなかった「集会」の方が嫌な思い出であり、学校で「宗教上の理由で〇〇できません」として「変な人扱い」されたこと、心を開いて他の人と接することができなかったことの方がよほどトラウマです。

私がそれほどこの「ベルトパッチン体験」にトラウマを感じていない理由は2つ考えられます。

1.期間が(他の方よりは)短く、回数も(他の方よりは)少なめ

私が小1の頃には、もう母は聖書研究を始めていましたが、「ベルトパッチン」が始まったのは、小4以降と記憶しています。小6までは続いていましたが、さすがに私が中学に上がってからは無くなりました。

受けていた頻度も、月に2~3回か、多くても週1くらいだったと思います。他の方のお話では、「集会中にぐずったりおりこうさんにできなかったときに、外やトイレに連れ出されて鞭打ちされた」とのことですが、私はそれはありませんでした。「ベルトパッチン」は家だけで。

ちなみに、集会中に「おりこうさんにしていない」場合、私は腕や太ももをつねられていました。爪を立ててつねられていたので、傷になって数日消えなかったこともたくさんありました。

2.宗教に関係なく、母は厳しかった

宗教を始める前から、母は厳しく口うるさい人でした。理想の子育てを実現したかったのでしょうが、こっちはいい迷惑です。まだ幼く、時計も持っていなかったのに、遊びに出かけて門限の17時までに帰宅しないと、締め出されました。家じゅうの窓や入り口のカギを閉められ、しばらく外で反省させられる、という仕組みです。外からドアをガンガンたたいて泣きながら「入れて!」と叫んでいたので、近所からは「厳しい家」と見られていたようです。かわいそうに思って私に優しくしてくれる近所の人「ジョンのおばちゃん」もいました。(また機会があればジョンのおばちゃんのことも書きましょう)宗教入会前からそんな母でしたので、「ベルトパッチン」が特別に「JW所以」ではなく「母の性格所以」と認識していたのかもしれません。

とはいえ、「ベルトパッチン」は不快な思い出です。この後、少しだけ追記をしますが、私がこの体験・記憶の中で「特に苦しい部分」を書き出します。なにせこの執筆は「重荷をリリースすることが目的」ですから。吐き出すために書いているんです。読む人を選ぶ内容なので、不要な方の目に留まることのないよう、以下有料エリアに設定しますね。

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