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結論:カラダの孤独は孤独ではないが、「ココロ」の孤独が本質的な孤独である。

 独りでいること、独りぼっちでいること、これが孤独だと誤認しているのなら、その考え方は改めたほうがいい。

 本質的な孤独とは、【周りに人がいる状態で自分一人が疎外されるが故に感じる寂しさやつまらなさ】のことだと定義するのが適切ではなかろうか。

 また、一人の人間の孤独は他の誰かを孤独にする、伝染性を潜在しているのがもう一つの孤独の本質であるとされている。

 承認欲求は誰にでもある、それも確かにその通り。ただ、自身の承認欲求を満たすために、そのように周りの人たちに振る舞うのは違う。なぜ違うと断言できるのかというと、さらにその上で承認欲求が満たされなかった場合、また、そういう状況を何度も繰り返してしまった場合、激しい憎悪や怒りを心に宿すことがあるからだ。それが人間の「光が射すことのない心の闇の部分」。

 独りでいることが孤独なのではなく、周りの人たちに対して自ら心を開放できずにいたり、周りの人たちから心を開いてもらえなかったりした時に、本質的な孤独を感じるようになり、憎悪や怒りの他に、悲しさ・寂しさ・苦しさもグチャクチャに混ざって抱くこととなるため、自分を制御しにくくなっていく。

 通り魔事件や京アニの放火事件などといった無差別殺人を犯す人間は、いつからか心の孤独を感じながら生きていたに違いない。どうも、こういう種類の人間たちが時として無差別に人様に危害を加えたり命を奪ったりすることが起こってしまうのは、どうやら現代社会の構造に欠陥がありそうだという疑念を多くの人たちが抱き始めつつある。

 アイソレーションは当たり前だと言わんばかりに、「アイツ嫌い」「アイツムカつく」「いじわるしてやる」「困らせてやる」「完全に無視してやる」などと【心の中で思ったことを実行すること】で、簡単に人を傷付け、命を奪うことにもなりかねない。

 ところが、時に相手のためを思って【良かれと思ってやること言うこと】でも、相手の神経を逆撫でしてしまったり、関係に亀裂が生じたりすることもあるため、誰の心も非常に複雑で繊細なのだということをしっかりと理解しておかなくてはならない。

 仲が良いとか悪いとか、そんなことに一生懸命に意識を囚われている人というのは、周りの人たち次第で態度を変えたり言うことを変えたり行動を変えたりと、ブレブレの人生を生きることになるものの、そのことに微塵の疑問も抱くことがない。

 だから、いじめは起こるし、パワハラやセクハラも起こる。自身の立場を大事にしたいはずなのに、自ら自分の足元をグラつかせる愚行に走ってしまう最大の理由は、まさに【意思の弱さ】から来る。意思が弱いとどうなるかというと、周りの人たちの言うことやることに対して「なんだ、周りに合わせていればいいんだ」と勘違いをするようになる。

 集団で一人の人間を袋叩きにして、仲間と一緒に笑いながらリンチする、こういうことがまかり通っている環境には、意思の弱い人間、もしくは、意思の無い人間で構成されている集団組織だと言える。

 周りの人間たちの言うことやることがどうでもいいとは言わない。その逆ではないかということを言いたい。自分が置かれている状況や目の前で起こっていることに対して、少なくとも何かしら感じていたり、自分なりに思うところがあったりするはずなのに、何も言わない、何もしない、周りの人たちに合わせているだけという、気がついた時には【卑劣な傍観者】に成り下がってしまっているケースは往々にしてあることではなかろうか。

 仲の良いフリが得意な人間ほど信用するにはリスクが伴うし、そういうタイプの人間は裏では化けの皮を剥がしているし、ボロが出ることも少なくない。

 それでも孤独がイヤだからって、本心では関わりたくないと思っている人間たちとでも一緒に居ようとする心理、わからなくはない。わからなくはないんだけれども、自分の人生をそんな輩に献上する意味って何?上辺だけ、その場の孤独感を紛らわせるため、自分がターゲットにされないようにするため、本心を殺して彼らと同じ空気を吸う意味って何?

 ボクは、ハッキリ言って、マッピラごめんのすけだ(笑)あいにく、意思はハッキリとしているので、本心を殺してまで集団心理に飲まれている人間たちと同じ空気を吸う気にはなれない。ならない。そんなヘドが出るような時間に苦痛を感じるくらいなら、ココロは他の人か何かに預けて、カラダは独りでいい。

 では、ココロの孤独を感じた時に「それを何で補えばいいのか」「どうすればそういう孤独を力に変換できるのか」、この2点に具体性を持たせたいところ。

 まずは、没頭できることを最低1つは用意すること。そして、それに対して誰に何を言われようと自分の意思を曲げないこと。結果的に、この2つをクリアすることで、これまでココロの孤独を感じてきた人が【孤独力】を強化するに至る

 孤独との向き合い方を先入観や周りの人間たちの言うことやることを基準にして誤認してはならない。最も重要なのは、【自分の意思の強さ】に他ならない。頑固だなんだと言われようと、これが仕様もない理由から感じるココロの孤独を払拭するための手段ではなかろうか。

 カラダの孤独は孤独ではないが、「ココロ」の孤独が本質的な孤独である。

 わかったかい?(・∀・)

※誰だ貴様っ!!www

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